第28話 九九式対M1ガーランド



 朝四時になると飯塚は、必ずといっていいほど目が覚める。枕元にあるラジオは、深夜番組を取り扱っている時間だ。


 若い頃は、いつまでも布団から出てこないと、妻に蹴り飛ばされたこともあるくらい、眠ることが好きだった。「年を取ると眠れなくなるもんだよ」と、先輩たちから聞いてはいたものの、まさか自分がそうなるとは思いもよらなかった。


 ごろり、ごろりと寝返りを打ってから、しぶしぶとからだを起こす。こうなってしまうと、いくら布団の中にいても眠れないのだ。


 飯塚は布団をはいでから、そのまま両手をついて、ゆっくりとからだを起こす。閉め切っているカーテンに視線を遣るが、まだ外は暗いようだった。


 それから、そばにあった箪笥から、セーターとズボンを取り出す。起き掛けは、からだが思うようではない。痛む膝や腰に気を遣にながら、ゆっくりとした動作で身支度を整え、それからコートを羽織った。


 飯塚は早朝の散歩に出るのが日課だ。早起きをして、居間でくつろいでいると、妻に「光熱費がかかる」とか、「起きているなら朝餉あさげの準備くらいしておけ」とか文句を言われるのだ。だから散歩に出かけるのだ。


 ——長生きしても、全然いい事ないんだよなぁ。


 彼女と出会ったのは、終戦から間もなくしてだった。飯塚は県の畜産課に勤務していた。そこに出入りしていた保険会社の事務員。彼女が飯塚の妻である。


 上司に「いい女性がいるから」と世話されたのだ。あの頃の彼女は、色白で豊満な体形をしていた。飯塚は彼女を一目で気に入った。二人はとんとん拍子で結婚し、そして一男一女をもうけた。


 結婚当初は、飯塚の顔もまともに見ることもできないくらいの気弱な女性だったのだが、今では見る影もない。


 ——鬼だな。鬼。ああいうのを鬼婆って言うんだ。昔話に出てくる鬼婆は、実際いたに違いないな。


 冬が差し迫っている朝方。辺りは真っ暗闇だ。飯塚は下駄箱の上に置いてある、反射材のたすきを肩からぶら下げると、杖を手に出かけて行った。


 夏場であれば、もう少し周囲は明るく、犬の散歩をしている人たちや、ジョギングをしている人たちが見受けられるものだが。この寒さも手伝って、外を歩いている人影はほとんどなかった。飯塚は痛む膝をさすりながら、いつものコースをたどる。


 家を出て、左に折れて国道に出る。トラックが往来している横をしばらく歩いていくと、近所の公園が見えてきた。


 いつも立ち寄る、小さい公園のベンチで少しの間、休憩を取ってから、今度は川沿いの堤防に上がる。サイクリングロードになっている道は、身体能力の落ちている飯塚には、安全この上ない散歩コースなのだ。


 見晴らしのよい堤防を歩いていくと、ふと飯塚は足を止めた。いつもと同じだ。人通りがないことも一緒。だが——。


 ——なんだ? 今日はなんだか……、妙な空気だな。


 飯塚は周囲を見渡した。まるで空気が張り詰めているみたいだ。風が吹いているというのに、辺りは妙な静寂に包まれていた。あまりのその緊張感に、キンと耳鳴りがした瞬間。飯塚の頬を『なにか』が掠めた。


 飯塚は咄嗟に杖を両手で握りしめた。すると、あっという間に熱に包まれて、若い頃の姿に変わる。


 ——からだが軽い!


 今までのような調子とは違う。身をひるがえした反動で、飯塚は地面に倒れ込んだ。しかし衝撃はない。飯塚の太い腕がそれを防いだのだ。


「おお、これで転ばぬとは。おれもまだまだ……——」


 しかし、すぐに次の襲撃音が響く。飯塚はからだを右に転がした。素早く視線を戻すと、つい先ほどまで、飯塚がいたところの地面に『なにか』がめり込んだ跡が見て取れた。


 ——弾丸だ!


 相手は容赦ない。まるで飯塚に考えさせる余裕を与えないかの如く、次々に撃ち込まれてくる。


「クソ! どこだ!」


 飯塚は伏せたまま、堤防の川側に身を潜めた。


 ——どこだ。どこだ!?


 視線を凝らす。日が昇る気配はない。真っ暗闇の中、ところどころに灯っている街燈だけが頼りだ。しばしの間。辺りには再び静寂が訪れる。


 相手も飯塚の姿を確認しようと、こちらを伺っているに違いない。飯塚は身を潜めたまま小銃を構え、周囲に意識を向けた。


「湿度は少々高め。北風5メートルってところか。流されるな。さてターゲットはどこかな、どこかな~——おやおや」


 飯塚は目を凝らす。すると、とある場所でキラリと光るものがある。街燈ではない。小さい光はゆらりゆらりと左右に揺らいでいた。


「見つけたぜ!」


 飯塚は狙いを定めて、素早く引き金を引いた。九九式小銃から弾丸が発射される。少々の間の後、キンと弾丸が弾かれた音が耳を突いた。


「外した? いや。避けたか」


 飯塚が撃ったことで、相手も飯塚の位置を特定したのだろう。あっという間に反撃の弾丸が彼を襲う。しかし飯塚は、すでにその場から移動していた。すぐにボルトを引いて排莢はいきょうすると、次を撃ち込む。


 双方譲らぬ撃ち合いだ。


「クソ、今回は負けないぞ! ひい、ふう、み……」


 飯塚は右、右、右と移動を繰り返す。相手は飯塚の移動方向を読んでいるかの如く、飯塚の場所を狙って弾を撃ち込んできた。


「——むう、よう、いつ、……む、なな——ほい。最後ね」


 飯塚はさっと身を翻すと、素早く最初の位置に舞い戻り、そして引き金を引いた。


 ——M1は八発入り。撃ち終えれば、装填作業が必要。つまり……隙ができるってこと。


 ドスンという鈍い音がしたかと思うと、相手からの攻撃は止んだ。


「当たったか?」


 飯塚は堤防から飛び出すと、素早い動きで、相手のいたであろう場所へと駆け出した。そこは、先ほど飯塚が休憩をしていた公園だった。人影はない。


「逃げられたか」


 滑り台の上から火薬のにおいが漂ってくる。


 ——あそこから狙ったか。


 飯塚は滑り台の階段を駆け上がる。遊具の手すりには、擦れた新しい傷が残っていた。


「ありゃ、ありゃりゃりゃ~」


 そこでタイムアウト。突然、高齢のからだに戻ってしまった飯塚は、滑り台を頭からスルスルスルと滑り落ちていった。


「あいたたた……。無茶しちゃったなあ」


 見上げた空は、やっと白白と夜が明けてくる。逆さまに見える東の空には宵の明星がきらりと輝いていた。




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