第27話 託された思い
「この小銃は大変危険なものです。それに我々は、菱沼さんたちの体調が心配だ。この小銃には、かなりのリバウンド効果がついて回るという研究結果を拝見いたしました。そんな無茶をいつまでもさせられませんから。この小銃は我々自衛隊員で取り扱うことになっています」
「ならよかった。我々には荷が重すぎます」
「しかし——」
「あの夜。N号作戦の際、あなた方の作戦を妨害した謎の勢力があったそうですね」
菱沼は聡に視線を遣る。彼は真剣な眼差しで小さく頷いた。あの夜の出来事は、全て防衛省に報告済み——ということだ。菱沼は「そうです」と同意をした。
藤東は鞄からクリアファイルを取り出す。そこには、ニコニコデイサービスの駐車場で、吉成が小銃を両手に掴み上げているところが写っていた。目の前には、座り込んでいる萌咲と、彼女をかばうように対峙している菱沼の姿も見られた。
「彼の握っている小銃は九九式ではありませんね」
「M1ガーランドだったね。それから、飯塚の妨害をしてきたのも、おそらくそれだ。この小銃の技術が、米国にも渡っていたということなのかい?」
藤東は首を横に振った。
「それなら話は簡単なのです。現在、日本国はアメリカとは友好関係にある。この技術を開発するにあたり敵対する必要はないのです。しかし。外交筋を通して、探りを入れたところ、アメリカは、この技術に関して、その存在すら認知していない様子なのです」
「とぼけているのかい?」
「いいえ。どうも本当に知らないようだ、というのです」
「じゃあ、このM1ガーランドを作ったのは、いったい誰だって言うんだい?」
「我々もそれが知りたいのです」
藤東はぽつりとそう言った。これは彼の本心である——と菱沼は理解した。あの夜、突如現れたM1ガーランドは防衛省が把握することが出来ない謎の存在——個人なのか、組織なのか——が絡んでいるということ。そして彼らは、それを警戒しているのだ。
「——しかし、僕に尋ねられても、答えようのない質問だね」
菱沼はそう返してやると、彼は軽くため息を吐いた。
「過去の情報は全て失われています。なにか思い当たることはありませんか」
「思い当たるって言われても。僕たちは、蚊帳の外だったからね。この研究のことは一切知らないんだよ」
「そうですよね」と藤東は落胆の表情を浮かべた。
「飯塚くんや小田切くんにも尋ねてみるけれど。僕たちのあてにならない記憶を頼りにするよりも、国家権力を駆使して解明されたほうが早いと思いますよ」
——人間の記憶ほど、あてにならないものはないからね。
藤東はクリアファイルから、もう一枚の紙を取り出した。そこには、小田切が集めていた「銃」を使用した、市内で頻発している事件の情報が書かれていた。
小田切が見つけた事件は三件だったが、それ以降にも似たような事件が二件ほど追加されていた。内容は、やはり子供じみたくだらない悪戯みたいなものだった。
「随分と幼稚なことをするねえ」
「そうなんです。このM1ガーランドを所持し、我が物顔で打ちまくっている奴は、かなり幼稚だ。そんな人間が、これを開発できるとは到底思えません」
「吉成みたいに、与えられた人間が犯行を繰り返しているってことだろうね」
「全国調べてみても、こういった事件は、ここ梅沢市でしか起こっていない。犯人は、あなた方に喧嘩を売っているようですね」
「喧嘩を売られる心当たりはないんだけどね。先日の吉成くんの事件を阻止されたのが、余程面白くなかったのかも知れないね。……どうだね。持ち帰るかい」
藤東は渋い表情を見せてから、杖を菱沼に返した。
「上層部で検討中です。もう少しお預かり願いますか」
「僕は構わないけれど。納得しないかも知れないけど。そもそもは僕たちのものでもないからね」
菱沼は飯塚の顔を思い出す。彼はこの小銃を握ると、それはそれはいきいきと瞳を輝かせる。小田切もそうだ。年老いて、日々の生活に追われていた自分たちに、青春の一時を与えてくれるこの小銃は、とても魅惑的な存在である。
——飯塚くんは、きっと手放したくないって言うだろうな……。
藤東は「長居していまいました」と両手で膝を叩いた。
「今日はご挨拶までに。飯塚さんや小田切さんには、また改めてご挨拶に伺う予定です。なにか昔のことで思い出されましたら、小林くんにでもお話ください。どうぞよろしくお願いいたします」
菱沼は、玄関に向かう二人を見送るために腰を上げた。
「菱沼さん。お話以上に魅力的な方ですね。またお邪魔いたします」
藤東は頭を下げると、聡を連れて去っていった。
***
あの日。いつもとは変わらぬ朝だった。所長である
「菱沼軍曹。どうだ調子は?」
空襲の日。養鶏所の掃除をしていると、小林がやってきた。彼はそばにあった
掃除が終わりかけたその時。不意に腕を掴まれた。不思議に思い、彼に視線を遣ると、小林はまるでなにかを懇願するかのような顔つきで菱沼に言った。
「戦争は終いになる。菱沼。キミは生きるんだ。いいね?」
「急になんです? そんなこと言っていいのですか。我々はお国のために——」
「そんなことは、もうすっかりどうでもいい世の中に変わってしまう。キミは生き延びるんだ」
「少尉……」
「大丈夫だ。飯塚も小田切もいる。あとのこと……頼む」
深々と頭を下げた小林に、返す言葉も見つからずに、ただ「——わかりました」とだけ答えた。自分は若かった。気の利いた事を言うこともできず、ましてや小林の心中を察するなどということまで気が回らなかったのだ。
——少尉はまるで。あの日、あの研究所が爆撃を受けることを知っていたのではないだろうか?
遥か昔の記憶は鮮明だが、それが本当に事実なのかどうかは、わからない。人間の記憶ほど曖昧で不確かなものはない。人は、自分の都合のいいように記憶を改ざんする生き物だ。
現に、なぜ今までこんな大事な会話を忘れていたのだろうか。藤東と話をして、思い出した——と言えば聞こえはいいが、なんだか都合がいいような気持ちになって、菱沼は首を横に振った。
「馬鹿げているね。こんなことは」
菱沼は縁側から覗く寒々とした冬の庭を見つめた。
本当なら、藤東に引き取ってもらいたかった、と菱沼は思った。本来は自分たちが持つべきものではない代物だ。こんな大それたもの——。国家が管理すべきものを、自分たちが持つことに激しい抵抗感を覚えたのだ。
しかし、少尉とのやり取りを思い出したことで、懐かしい気持ちに囚われてしまうと、この杖が——小銃が、とても大事なものに見えてくるのだった。
確かに、自分は少尉たちがこんな研究をしているとは思いもよらなかった。なぜ関わらせてくれなかったのだろうか。
ふとそんな思いに駆られると、それはもどかしく。そして残念な気持ちになる。
——私たちは戦力外だったのでしょうか。少尉。それとも、足手まとい……。
『あとのこと……頼む』
彼はそうはっきりと言った。
——少尉。貴方は、僕たちに、なにを期待しているのですか。もうすっかりと老いぼれて、死を待つ身です。僕たちになにができるというんだ……。
菱沼の目の前には、萌咲の作ったポテトサラダが残されていた。
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