第23話 深まる謎
火曜日。萌咲のいないニコニコデイサービスは、活気がないように見えた。突然、相談員に抜擢された
「人が変わると雰囲気も変わるものですな」
小田切は眼鏡をずり上げて苦笑した。いつもは、事務室に引きこもっている石桁もフロアに出てきている。それだけ、萌咲が抜けた穴は大きいということなのだろう。
「からだも戻ってきたし。とりあえず、今回はめでたしめでたし。と、言いたいところですがね」
飯塚は浮かない顔をしていた。
「あの妨害してきた人間は、何者なのでしょうね」
菱沼も「うん」と頷く。
「我々の九九式同様に、弾丸は見つからなかったそうじゃないか。ということは——」
「同じような仕組みの銃かもしれない——ってことですよね」
小田切は「うむむ」と唸った。
「あの環境で、飯塚くんの弾に当ててくるだなんて。かなりの腕前だ。吉成が持っていた杖。あれはM1ガーランドだった。狙撃手の持っていた小銃も同様、と考えるのが筋だろうね。なにせ、間髪おかず打ち込んできた。あの速さはM1ガーランドだね」
「M1ガーランドですか。大戦中、米国が使用していたこざかしい小銃ですね。半自動性だから連続して打ち込むことができる。南方では、かなり打ち負かされたって聞いていますけど。それがまたなんで、こんなタイミングで」
飯塚は「はあ」と感嘆の声を上げた。小田切は腕組みをして「ううん」と唸る。
「杖がM1ガーランドに変化する。それは、我々の九九式と同じでした。ただ、我々はこの小銃で若かりし頃に戻れますが、もともと若い吉成の場合は、まるでドーピングでもしているかのように、筋骨格が増強されていました。我々の杖も、聡くんがやってみたら、あんなふうになるんでしょうかねえ。興味がありますね」
「ド、ドーナッツリング、だって?」
飯塚は素っ頓狂な声をあげた。
「違います。ドーピング。スポーツで違法薬物を使用して、身体能力を上げることです」
「ああ、そんなの知っている、知っている。ド、ドーなんとか、だろう? そんなもの、知ってるぞ」
飯塚はなんとか誤魔化そうと、咳払いをしてから、「ともかくね!」と言った。
「わからない。わからないことばかりだ。けれど、確実におれたちの存在を知っている人物がいるってことですよね? あの日、あの場所でN号作戦を妨害してきたのは、そういうことじゃないですか」
「僕もそう思いますよ。あれは、完全に待ち伏せをされていた。飯塚さんの場所をわかっているからこそ、対角線上のビルに潜んでいたんですよね」
菱沼は軽くため息を吐く。
「僕はね。少し気になることがあるのだよ。吉成は、一体どこであのM1ガーランドを手に入れたのか。それから、一体誰に焚きつけられたんだろうかってね」
「焚きつけられた?」
「聡くんの話だと、吉成はあの晩の記憶がないそうだ。確かにあの時の彼は、かなり取り乱していた。だが『萌咲ちゃんは、僕のことを好きだと聞いた』とハッキリと言っていただろう?」
小田切は「確かに言っていましたね」と頷く。
「彼はその言葉で、萌咲ちゃんは自分のことを好きだと、すっかり思い込んでいた節がある。彼自身の妄想かも知れない。けれども、そうだとも言い切れない」
「つまりは、誰かが——もしかしたら、狙撃者、もしくは別の仲間がいて、吉成によからぬ事を吹き込み、そして杖を与えた。くそ! あの狙撃手を逃したのは痛いですね。我々は、もしかしたらとても大きな魚を取り逃がしたのかも知れませんね」
飯塚を見て、「そういう可能性は否定はできないね」と菱沼は言った。
「いずれにせよ。この杖——九九式を巡る謎は、まだまだ深そうだね」
「それを知るまではボケたり、寝たきりにはなりたくないですね。ああ、死ぬのもダメだ」
飯塚は「うふふ」と笑う。小田切も苦笑した。
「そうだそうだ。飯塚さんはデイサービスで背中流してもらわなくちゃ」
「極楽なんだよ。このデイサービスはね。小田切は、奥さんにな」
「僕は若い女性のお友達ができたんですよ。公園の君がね」
「なんだよ。それ。公園の君って」
飯塚は笑う。小田切は「へへ」と嬉しそうに笑みを見せた。
「軍曹は、萌咲ちゃんが辞めちゃって寂しくなりましたね。別の女性見つけましょうよ。真桜ちゃんなんかどうですか」
飯塚は菱沼を肘で突いた。この二人の元気の素は、これか——と菱沼は思った。まあ、二人とも人に迷惑をかけていることでもない。多少、長生きをするためには、そういう楽しみも必要だということだ。
「僕は、そうだね。まあ、いいじゃないか」
「おやおや。なんだか表情がにやけていませんかね?」
「そんなはずないでしょう。この僕が」
「この色男」
「からかうのはやめなさい」
三人が盛り上がっている横をスミスが歩いていく。菱沼は彼が腰を押さえているのが気になった。
「スミスさん。どうしました?」
「おや。ミスター菱沼。いやあ先週ね。ちょっと無茶しちゃいました。腰を痛めましてね」
「それは、それは。もう無茶ができないお年頃ですからね。お互いに」
「あはは。そうですね。お互いに、からだは大事にしなければいけませんね」
スミスはアメリカ製の細いスマートな杖を突きながら歩いていく。彼を見送ってから、菱沼は飯塚と小田切を見る。二人は相変わらず文句を言い合っているのだが、それが楽しい時間だということだ。
当時。確かに三人はこうして今と変わらずに語り合っていた。しかし、あの時は、いつ戦禍に見舞われるかわからない、生と死の狭間にいた。今こうして、平和になった母国で安心して時を過ごせるということは、ほんとうに幸福なことであると思ったのだ。
——小林少尉。我々は生ある限り、あなたの期待にお応えいたします。あの世で再会したら、話したいことが山ほどできましたね。
菱沼は、ソファに立てかけてある杖を見下ろした。この杖が自分の手元に巡り巡ってきたのは、偶然ではない。きっと——なにか意味がある。
『菱沼——。後は頼む。おれは、お前を信じる』
小林は燃え盛る炎の中でそう言った。自分がこの年まで生きながらえていること。きっと意味がある。残り少ない時間かも知れない。しかし。
——僕は僕に課せられたことを、精一杯こなす。妥協はない。僕は人生を全うするだけだ。
「そろそろおやつだ。行きましょう。軍曹」
飯塚の声に腰を上げ、菱沼はスミスが座っている席の向かい側に腰を下ろした。
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