第21話 暗闇の襲撃者



「トントントッカラリ、トトンガトンカラリ~♪」


 飯塚は大好きな歌を口ずさみながら、やっとの思いで、ビルの屋外階段を上った。


「いやあ。切ないねえ。若くなってしまえば、楽だけど、時間制限があるからねぇ」


 飯塚は息を切らしながら指定された場所に到着する。デイサービスの南側に位置するビルには、屋外階段が設置されていた。特に施錠されているわけでもないので、飯塚のような関係のない人間でも安易に入り込める場所だった。


「ざっと100mだな。今日は天気もいい。湿度も低い。西風4メートルか。まあ、大した誤差は出ないだろうな」


 彼はぶつぶつと呟きながら、階段踊り場に設置されている鉄格子の柵の間から、双眼鏡を使ってデイサービスの職員駐車場を覗き込んだ。


 聡から支給されたインカム越しに小田切の声が聞えてくる。


「飯塚兵長。歌わないでくださいよ。全部聞こえていますからね」


「へぇ! 今は便利な世の中だねえ。こうして離れているのに、なんでも聞こえちゃうんだから」


「もう! そんなふざけていないで。現場確認終わったんですか?」


「任せて、任せて。ちょっと薄暗いのが玉に瑕だけと。まあ、若くなれば見えるでしょう」


「怪しいなあ。本当に」


「おれを信じなさいって。m


 飯塚は踊り場に伏せ、柵の間に杖の先を差し込んで固定した。気持ちをこめればたちまち杖は小銃に変わるだろう。


「さて。研究所一の命中率を誇るおれ様の、腕の見せどころだね~」



***



 駐車場には車が三台停まっていた。まだ退勤していない職員がいる証拠だ。聡の調べだと、居残りをしている職員の大半が帰宅する時間は20時過ぎだと聞いている。彼らにも気づかれないように、速やかに吉成を確保する必要があった。


 建物寄りの大型SUV車の影に隠れている小田切が、大きくため息を吐いていることが、インカム越しに伝わってくる。職員出入り口付近、建物の影に隠れている菱沼は、二人の会話を聞きながら苦笑した。


「飯塚兵長が入ると、緊張感ないんだよなあ」


「まったく、同感だね」


 聡は、施設横の路上に車を停めて待機していた。萌咲の逃走経路を確保するためだ。インカムの会話は、聡にも伝わっている。高齢者の戯言に、さぞや呆れているに違いない。菱沼はそんなことを思いつつ、吉成が現れてからの動きを、幾通りものシュミレーションを重ねていた。

 

 すると職員玄関の扉が開く音が響いた。菱沼の予想通り、萌咲は約束の時間よりも前に姿を現した。彼女は迷惑そうな顔をしていた。聡が現れたら、抗議でもするつもりなのだろう。


 しかし——。彼女の後ろでに開いた扉から、男が飛び出してきた。吉成だ。彼は肩で息をし、常軌を逸した瞳の色を浮かべていた。


「標的。現れました」


 小田切の声に、菱沼は「よし。準備するんだ」と指示を出す。菱沼は杖に想いを込めた。熱に覆われたからだは、あっという間に若い頃の姿に成り代わる。


 突如現れた吉成は「萌咲ちゃん」と彼女の名を叫ぶ。


「どうしたの? 吉成くん」


「も、も、萌咲ちゃん……萌咲ちゃん……。どうして。どうして。僕がいるのに。結婚相手って……な、なに、冗談言っているんだよ」


「吉成くん……大丈夫? おかしなことを言わないで」


「萌咲ちゃんは……萌咲ちゃんは、僕が好きなんでしょう? ねえ、恥ずかしがらずに言ってごらんよ! 僕が好きだって!」


「な、なんなの? 別に好きじゃないよ。なに変なこと言っているの? 吉成くん……」


 萌咲は怪訝そうな表情を浮かべながら、吉成との距離をとろうと、少しずつ後ずさりをする。しかし、吉成はそれに合わせるかのように萌咲ににじり寄った。


「好きじゃない? 好きじゃないだって!? 嘘だよ。嘘、嘘、嘘。萌咲ちゃんは、僕のことが好きだって。好きだって聞いたんだから」


「聞いたって、誰が言ったの?」


「そ、それは——。じゃ、じゃあなんで。なんで優しくしてくれるの……」


「優しくなんてしていないじゃない。同僚として、接しているだけです」


「萌咲ちゃん——!」


 吉成は唐突に萌咲に抱き着いた。


「きゃあ! 離して!!」


「いい匂い。柔らかい。萌咲ちゃん。僕のお嫁さんになって。僕のお嫁さんに——そんな男となんて、お別れして。ねえ、本当は僕のことが好きなんだろ? 照れ屋さんなんだから」


 菱沼は、すぐにでも飛び出したい気持ちを抑え、飯塚の名を呼んだ。彼は「承知」と返答した。


 菱沼の声を合図に、飯塚は引き金を引いた。彼の腕前なら間違いない。菱沼はそう確信していた。しかし——。


 キンと空気をつんざくような金属音と共に、飯塚の放った弾丸は、軌道を大きく外し、近くに駐車してあった車に着弾した。鈍い音が響いて、車が凹む。


 ——飯塚が外した? いや。にぶつかった音だ。


「あれ? おかしいなあ」


「腕が鈍ってますね。飯塚さん」


 小田切の声に飯塚は反論する。


「おれは、ちゃんと撃ったぞ」


 その間にも吉成は萌咲に縋りついている。菱沼は「もう一度だ」と指示を出す。飯塚がボルトを引いて排莢はいきょうする音がインカムから響く。それとほぼ同時に二発目が発射された。


 キン……ッ!


 しかし、やはり弾丸は弾かれた。


「誰かいる」


 菱沼は周囲に視線を巡らせた。飯塚の弾丸を、弾くツワモノが。


 ——この薄暗い中。飯塚の弾丸の軌道を計算して、当ててくるとは。誰だ。どこにいる?


 菱沼の鋭い視線は、飯塚の潜伏しているビルとは反対側で止まった。北側に位置するビルの二階にキラリとした光を見つけたのだ。


 ——あそこだ!


「小田切、10時の方向! 飯塚を妨害している奴がいる。気をつけろ。我々も狙われるぞ! 援護しろ!」


「承知~」


 飯塚の弾丸では、吉成を取り押さえられないと判断した菱沼は、建物の影から飛び出す。


「助けて!」


 揉み合っている二人のところに、菱沼は駆け寄る。小田切が吉成を威嚇するかのように、わざと外して一発打ち込んだ。


「わ! な、なんだよ。これ。なに? 危ない。ひいい」


 吉成は頬を掠めた弾丸に驚愕し、萌咲から手を離す。その隙に菱沼は、萌咲の腕を引いたかと思うと、彼女の身を守るように抱え込んだ。すると、一発の弾丸が、菱沼の肩を掠めて地面に着弾した。間髪おかずにもう一発。菱沼は萌咲を抱え込んだまま地面に転がる。


 ——この速さは……?


「軍曹!」


 飯塚は、菱沼を狙う狙撃者の標的を特定したのだろうか。南のビルから、北のビル向けて弾丸が放たれる。キンと何度も音がした。敵も飯塚を狙って打ち込んできたのだろう。


「飯塚!」


 菱沼は飯塚の安否を気遣い、彼のほうに視線をやった。しかし、それは途中で固まる。萌咲から引き離された吉成は、手に杖を握りしめていたのだ。


 ——杖だと?


「うおおおお、萌咲ちゃんは、萌咲ちゃんは僕のものだ……! 萌咲ちゃんを返せええ!」


 それはまるで、菱沼たちの杖のようだった。細い杖を両手で握った吉成のからだは、一気に淡い青色の炎に包まれた。吉成の痩せたからだは、その炎を吸収して、一回りも二回りも大きくなる。手に持った杖は小銃に変化した。


「軍曹! これは?」


 ——我々の九九式と同じ? いや。これは……やはりM1ガーランド!


 吉成は、手にした小銃を持ち上げた。


 ——打ち込まれる!


 菱沼はそれよりも早く、吉成を打ち負かそうと小銃を構える。しかし吉成は、小銃を構えるどころか、それを振り上げると、「うおおお」と雄叫びを上げて闇雲に振り回し始めた。


「やつは小銃の扱いを知らないようだ。小田切」


「はいは~い」


 小田切は引き金を引く。弾丸は見事に命中。吉成の手からM1ガーランドは弾き飛ばされた。菱沼は、丸腰になった吉成に足蹴りをくれてやる。吉成はそもそもが格闘の技術を習得していない。菱沼に蹴り飛ばされて、あっという間にそばの壁面にからだをぶつけて動かなくなった。


 小田切は、ぐったりしている吉成を捕まえて、後ろ手に縄をかけた。


「標的確保! いやはや、一体。なんだったんでしょう。これは……」


 弾き飛ばされたM1ガーランドの所在はわからない。飯塚からも連絡が入った。


「クソ。逃げられた。北のビルに狙撃手がいた。おれの弾丸を弾いたのは奴だ」


「飯塚。深追い厳禁。時間がない」


 菱沼はそう指示すると、そばで座り込んでいる萌咲に駆け寄った。


「萌咲ちゃん! 怪我はなかったかい?」


「は、はい!」


 しかし——彼女は、トラック事件の時のように唇を震わせていた。




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