第18話 小型密偵器搭載猫型兵器マルコ



 マルコに小型密偵器を搭載してから五日、マルコの任務は終了した。その日の夜、四人は菱沼家に集合した。


「情報は取れたのか? そのデブ猫はちゃんと仕事をしたんだろうな」


 飯塚の問いに、小田切は苦笑する。


「いやあ、僕の睨んだ通りでした。小型密偵器搭載猫型兵器マルコは、期待以上の成果を出してくれましたよ。しかし——なんだか、若い女の子の私生活を覗いているようで、背徳感がありますね」


 菱沼は「ちょっと待って」と口を挟む。


「監視をするのは、デイサービス勤務中という約束だったはずだ」


 小田切は両手を突き出して、からだの目の前でそれを振った。


「勿論ですよ。萌咲ちゃんが自宅に入ったところから先のデータは消去してあります。断じて見ていません。まさか、萌咲ちゃんが、家でビールを飲んだり、プロレスを見たりしているなんて、知りませんし——」


 菱沼たちは顔を見合わせてから、大きくため息を吐いた。


「やっぱり、この任務を小田切に任せるべきじゃありませんでしたね。一人でいい思いしちゃって」


「飯塚さん。そういう意味じゃないですからね。本当に」


 聡は飯塚のことを嗜めたが、飯塚は「どういう問題だ?」と聞き返している。


 マルコに小型密偵器を搭載すると決まった後、菱沼は「くれぐれも萌咲の私生活を覗き見することのないように」、「今回は、あくまで非常事態。やむを得ぬ措置である」と、小田切に釘を刺していたのだが。


 どうやら危惧していたことが起こってしまったようだ。菱沼は黙り込んだ。そんな彼の怒りを感じ取ったのだろう。小田切は両手をテーブルについて「すみませんでした!」と頭を下げた。


 小田切は若い頃から規律を守れない男だったのに、彼に画像の精査を行わせたのは自分だ。菱沼や飯塚には難しい作業だったからだ。


 これは自分の落ち度だ。小田切を叱責する立場ではない、と思いなおし、菱沼は言葉を飲み込んだ。


 自分の非についての話題が逸れ、小田切はほっとしたのか、声色を明るくして、N号作戦の現状について報告し始めた。


「動画を精査してみて、我々が足を踏み入れたことのない、スタッフルームのことがよく理解できました」


 小田切の説明は以下の通りである。


 建物には、セキュリティ会社が入っていて、最後に退勤をする職員がセキュリティを作動させて帰る。そして、朝一番に出勤する萌咲がセキュリティを解除する仕組みだ。これでは無人の施設内に、職員以外の人間が立ち入ることは不可能だ。


 利用者に至っては、更に厳しいハードルが存在する。利用中、フロアには常に職員が複数名張り付き、腰を上げようものなら「どちらに?」と尋ねられる。ある意味、見守りという名の監視下に置かれているのだ。


 そんな状況の利用者が一人で職員の目を盗み、ガラス張りの事務室の前を横切って、スタッフルームに立ち入ることなど、困難極まりないということも明らかになった。


「つまり結論。犯人は職員の中にいます」


 小田切はそう言い切った。


「うーん。やっぱり、これは怨恨の線というよりは、愛情の線が強いな」


 飯塚は両腕を組んで唸る。小田切は「マルコが見てきた五日間の記録を持ってきました」と言った。すると、聡が持参してきたパソコンを開く。それからコードを取り出して、菱沼家のテレビに繋いだ。高齢の三人には、持ち運びができるパソコンの画面は小さくて見えにくい。聡のこまやかな配慮である、と菱沼は思った。


「とりあえず、職員との絡みの場面だけに編集してきました」


 菱沼家の大画面テレビに、見慣れたデイサービスの画像が映し出される。猫視線であるため、最初は足元ばかりが映っている。こんな調子で、マルコの映像が役立つのだろうか、と疑問になってしまう。


「マルコの視線だから、見えにくいなあ」


 飯塚の感想は最もだ。


「確かにな。目線が低い。これでは情報量が少ないな」


 菱沼は顎に手を当てて少々考え込んでしまう。その間にも映像は続く。


「まあ、見ていてくださいよ」


『萌咲さん~。来月のクリスマスの飾りは、いつから飾りますぅ?』


 聞き覚えのある真桜まおの声が響く。


『例年通り12月1日からにしましょう。少し残業になってしまうけど、みんなでやればすぐに終わるでしょう。悪いね。残業させて』


『大丈夫ですよぅ。みんなでやればそんなに時間かかりませんもんねぇ。ツリーは去年のものを出しますけどぉ。石桁いしげたさんが、玄関先に新しい飾りを購入するって言っていましたよぅ。それって、なにが来るんですかね~』


『さあ。真桜ちゃん、聞いていないの?』


『石桁さんと話するなんて、絶対ヤダ。キモ~! 萌咲さんから聞いてくださいよぅ』


 職員だけになると、こんな会話をしているのかと思うと、なかなか新鮮だ。いつもはよそ行きの職員たちだが、客がいなければ、こんな調子なのだろう。そのうち、真桜は利用者の話をし始める。


『そう言えば、今日。中里さんが佐藤さんにって、ビール券持ってきたんですって~。私なんてもらったことないのにぃ』


『え! 聞いていないよ。それ、断ったんでしょうね』


『最初はもらっちゃおうかなって思ったらしいんですけどぉ。さすがに石桁さんには報告をして、すぐさま返せって言われたんですってぇ。返された中里さんは、せっかく好意でやったのにって、怒っていたみたいですけどぉ』


 二人はそんな話を延々としていく。そのうち、男性職員の声が響いた。


『あ、あの。あの』


『なんだよ? 吉成ぃ~。お前、はっきりしゃべれよな』


『あ、あの。萌咲さんに用事があって……』


『なによ。私には用ないって言うの? 生意気~』


 真桜はそう言ったかと思うと、マルコを抱っこしたのだろう。カメラは彼女の顔を下から捉えている。こちらとしては、萌咲の様子を知りたいところなのだが……。マルコは真桜ばかり見上げている。


「ここで、真桜って子に連れて行かれて、マルコは違う場所に移動となります」


 聡は動画を早送りする。途中、ふと石桁が映り込んだ。菱沼はその様子を眺めてから「ふうん」と唸った。


「で、ここから萌咲は事務作業をしています」


 そこからは無言の映像が続く。マルコは萌咲の膝の上にいるようだ。時々、真桜の声が聞えるが、仕事の内容ばかりで、有益な情報ではない。そのうちに片づけが始まり、石桁に「お疲れ様でした」と挨拶をして、暗い廊下に出る。事務所内には、まだ職員が数名残っているようだった。


「あのお。この後、萌咲は更衣室に向かいます。マルコの視線なので、足元だけですが、事件現場なので一応、再生しますか?」


「致し方ないね」


 菱沼は小さく頷く。聡もそれに合わせて頷いた。


 映像はごく一般的な更衣室だった。細く縦長のクリーム色のロッカー。萌咲の足元をすり抜けたマルコは、ロッカーの中を覗き込んだようだ。中身が見えるが、そこには何もない。多分、この上のところに制服がハンガーにかかっているのだろう。


 ——こうなると、やはり物盗りとは思えない。これは……。


 バタンと音がして、ロッカーの扉が閉められる。それから萌咲がマルコを抱き上げたようだ。今まで見えなかった更衣室の様子が見て取れる。萌咲のロッカーの周囲には、同じようなものが幾つも並んでいるが。菱沼はふと気が付いた。ロッカーの扉には名前がない。職員は、その配置で自分の場所を覚えているということなのだろうか。


「という感じで、一日目が終わります。次に二日目ですね」


 聡は、次々に動画を再生した。職員同士で昼食を摂っている様子や、利用時間以降の様子が流れていく。日を追うごとにマルコは、職員たちや利用者に慣れていて、抱かれることが多い。その度に、周囲の様子がよく見えた。


 真桜は利用者に見せる顔と、職員だけでいる時の顔とでは、かなり違っているが、萌咲は変わらなかった。自分たちがいない場所でも、人の悪口を言うこともない。いつでもどこでも、朗らかで明るく話をしているのだった。


 ——キミは変わらないんだね。


 菱沼は、そんな萌咲の人柄に触れ、なんだか温かい気持ちになった。先日、菱沼がデイサービスの利用日をずらした時も、様子を見に来てくれた。彼女は優しい女性だ。






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