第16話 N号作戦


 その夜。作戦会議のために、菱沼家にやってきた飯塚と小田切は、そこに座っている小林の曾孫であるさとしを見て腰を抜かした。


「どうもすみませんでした」


 聡は菱沼にして見せたように、自分は小林少尉の曾孫であるということ、曾祖父が秘密裏に持ち出していた研究ノートの存在を知り、ついには試作品を完成させたこと。それが、その杖の形をとっている九九式小銃であるということ——などを説明した。 


 最初、驚いていた二人だったが、結局は納得をしたようだ。


「なんだかおかしいと思んだよな」


「そうだそうだ。小林少尉が戦死していたことには違いなかったから。生きているなんて、あり得ないもんな。それにしても良く似ているね。まるで生き写しだな」


「本当だな」

 

 二人にじろじろと眺められて、少々気恥ずかしいのか。聡は目元を赤らめて視線を逸らした。そんな仕草を見て、菱沼は「ああ、やはり小林少尉に似ているな」と思った。


「それよりも。聡くん。萌咲ちゃんから、新しい情報は得られたかい?」


 菱沼の問いに、飯塚と小田切は表情を引き締めた。


「萌咲に聞いたんですけれど、更衣室を荒らされた後、職場で対策を講じたそうです。今までは更衣室に施錠していなかったんですが、最後に退勤する者が、更衣室も施錠することになったと言っていました。それから、残業をする場合は、必ず石桁いしげたという管理者に許可申請を出し、勝手に居残ることのないようにしたそうです」


 聡は、萌咲から直接聞き取った内容を説明した。


「あれ以来、ロッカーに制服を置いておくことをやめたそうですが、朝出勤すると、ロッカーの扉が開いていたことが何度かあったそうです。それに、仕事中も、誰かに見られているような気がして、気味が悪いと言っていました」


「見られている?」


 聡は菱沼を見つめて小さく頷いた。


「ええ。仕事中も、帰宅時も視線を感じるって言っていました」


「それは危ないねえ」


 飯塚は両腕を組んでから「ううう」と唸った。


ストーカースカートエスカレートエスカレーターになるというからな。上り調子ってことだろう?」


「飯塚さん。かなり違っていますが、意味は少し当たっているのかも」


 聡は苦笑するばかりだが、飯塚は「そうだろう」と自慢げに笑みを浮かべた。


「これは一刻の猶予もないね。ところで今日の収穫は?」


 菱沼に促されて、飯塚は「今度は自分の番ですね?」と咳払いをした。


「今日、真桜まおちゃんに探りを入れたんです。萌咲ちゃんの周囲に怪しい奴がいないかどうかって。真桜ちゃんの話ですと、やっぱり萌咲ちゃんを好きだという職員は多いけど、憎んでいる職員はそういないと言うんです。唯一、萌咲ちゃんに冷たく当たるのは、管理者の石桁だけ」


 飯塚はツルツルの頭をぺちぺちと叩いた。


「けど。おれは石桁は犯人じゃないって確信しています」


「その根拠は?」


 小田切の質問に、飯塚は「うーん。勘って言うのかなあ」と答えた。


「石桁という男はね。かなりの仕事熱心。バカがつくくらい真面目なんだと思うんです。今日ね。おれ、転んだんです。事務室の前で」


「おいおい。大丈夫かい?」


「大丈夫。大丈夫」


 心配げにしている菱沼に笑顔を見せて、飯塚は続ける。


「彼はね。おれが転んだことに対して、その原因になった職員を叱りつけたんですよ。あれは一種の演技ですよね。管理者として、どんなに小さなことでもうやむやにしない。自分たちは毅然とした態度で、お客様と真摯に向き合っています——って感じ。あんなに賢い男が、色恋に狂って女性の服をまさぐるだろうか」


 飯塚の人を見る目は鋭い。彼の見立てはほぼ当たっていることが多いのだ。菱沼は「なるほどな」と唸った。


「あれは、なかなかの男だ。萌咲ちゃんのことをするなんて、そんな小さい人間じゃあないね」


「石桁管理者は除外か。しかし他にも男性職員はいるしね。防犯設備が整っている施設の中で起きていることだ、と考えるとやはり、職員の中に犯人がいるのではないかという可能性が高いと思うんだけどね」


 菱沼は顎に手を当てて考え込む。すると、小田切が「あの」と手を上げた。


「これを」


 小田切はポケットから藍色のベルト——首輪のようなものを取り出した。ベルトの中心には鈴がついている。が、鈴は美しい音色を奏でない。


「これは? 鈴が鳴らないな」


「小型密偵兵器の首輪ですよ。鈴の部分にカメラと、音声を拾う機器が入っています」


「この大きさでは、ネズミ仕様ではないぞ」


「ネズミの案も考えたんですがね。でも、ネズミに変なものがくっついていたら目立つし。ネズミ奴ら、人がいない時間を見計らって活動するでしょう? それじゃあ、ちょっと問題があるかなと思ったんです。——これは猫用の小型密偵兵器です!」


「それなら、施設内に監視カメラや盗聴器を設置したほうが楽ですよ」


 自慢げにその首輪を掲げ上げた小田切に、聡はぼそっと呟きを返す。小田切は「う」と唸ってから、必死に言い返した。


「その案については検討ずみ。費用もかかるし、石桁の許可も必要だ。石桁はこの件、なにもなければうやむやにしたい男だぞ。監視カメラなんて置くわけがないんだから。もう媒体にも目星をつけているんだし。これはかなり実用性の高いものだぞ!」


「媒体だと?」


 菱沼は目を丸くした。小田切は、再びポケットからスマートフォンを取り出す。


「これです」


 そこには、お世辞でも「かわいい」とは言い難い、太った鯖トラの猫が写っていた。


「猫?」


 画面を覗き見ていた聡は「あ、萌咲の家で飼っている猫だ!」と叫んだ。


「どこでこの画像を手に入れたんですか」


「萌咲ちゃん、猫を飼っているって言っていたを思い出して。確認しようと思って、彼女の家の周囲をうろついていたらね。ちょうど窓際に出てきたから」


「それこそじゃないか」と飯塚は口をとがらせるが、興奮している小田切はお構いなしだ。


「猫は飼い主の後追いをすると聞きました。猫でしたら、人に気づかれずに侵入し、そして観察する場所を自在に変えられると思うんですよ」


「それって……」


「萌咲ちゃんにぴたりと張りついて尾行させるってことが可能、というわけか」


 飯塚は唸った。


「そうです。実はね。明後日からの一週間、デイサービスでアニマルフェスがあるんです」


 菱沼は「ああ、あれか」と頷いた。毎月第三週は、毎日、利用者に害のない大人しい動物をフロアに放すイベントが行われる。動物はスタッフの飼い猫や飼い犬、小型動物が大半だ。小田切はそのイベントに萌咲の飼い猫を投入し、一週間、萌咲の様子を観察してやろうという魂胆のようだ。


「今月の担当は、かじくんの犬だったんだけど、先日の利用日に『萌咲ちゃんの猫が見たい』と、猛烈なアタックをしてみたわけです。そしたら、萌咲ちゃんが来週のアニマルフェスに猫を連れてきてくれるという話になったんですよ」


「そんなにうまくいくだろうか……」


「大丈夫! この僕の腕前、信じてくださいよ!」


 一同は小田切の熱意に負けた。こうして萌咲の猫をスパイ役として投入することが決定したのだった。


「首輪はおれが預かります。萌咲のところの猫にこの首輪を装着してくればいいんですよね?」


 小田切は「聡くん、頼んだぞ」と、彼の両肩を叩いた。なんとも頼りない作戦であるが、今はこうするしかない、と菱沼は頷いた。


「我々の行動時間は10分だ。ともかく。念入りに情報収集をし、犯人を見つける。そして萌咲ちゃんを守りつつ、犯人の確保を行う。名付けて、ニコニコ作戦、もといネコネコ作戦——略して『N号作戦』だ」

 

 菱沼が発表した作戦名に、三人は「おおお」と歓喜の声を上げた。


「開始は、明後日6時30分マルロクサンマル。萌咲ちゃんの出勤時間。それまでに小田切、小林、両名は準備を怠るな」


「了解!」


 飯塚と小田切、そして聡は敬礼の姿勢を取った。


  



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る