第13話 嘘
陸軍技術研究所とは、陸軍関連の兵器の開発、調査研究などを行う機関だ。1942年(昭和17年)に、陸軍兵器行政本部が設置され、様々な研究を取り扱うために作られた。
10か所以上あった研究所では、それぞれが担当を持つ。鉄砲・弾薬、戦車、爆薬用火薬、通信兵器、化学兵器、電波兵器などである。
その中でも、梅沢陸軍技術研究所は、一番最後に設置され、そして研究員も三十名というとても小さな研究所であった。菱沼たちに与えられた担当は、「動物を活用した兵器の開発」である。
小林をはじめ、招集された研究員たちは、生物学に精通していた者ばかりだった。 今となってはバカらしい話だが、世界各国で、動物を利用した兵器の開発が進められていたのは事実だ。菱沼たちも、動物たちの生態を活かし、なんとか軍事転用できないかと模索する日々だったのだ。
しかし思い返してみると、随分と呑気な研究所であった。他の技術研究所が取り扱っていたのは、そのほとんどが実践に投入されるような兵器だ。それに比べて、菱沼たちの研究は、あまり即戦力になるものでもなかった。
空き時間には動物たちの世話をし、それから軍事演習を行う。敗戦色濃くなってきていた時世だ。自分たちとて、いつ最前線へ狩り出されるかわからない。小銃の扱いはそこで叩きこまれた。
開設されてから一年後。研究所は空爆に遭う。それと時を同じくして、日本国は負けを認めたのだった——。結局は、菱沼たちの研究は、どれ一つとして日の目を見ることなく終わったのだ。
——動物兵器など、なんの意味がある。ずっとそう思ってきた。しかし、不老不死の研究が、そもそもの目的だったとしたら。
菱沼が見ていた景色はがらりと変わってしまう。自分たちが動物たちと悪戦苦闘している傍らで、小林は不老不死の研究をしていたということだ。あの頃は、兵士は不足し、物資も不足した。小銃の材料になる木材も足りず、子供や女たちですら、戦争の影響で、抑圧された生活を余技なくされていたのだ。
一年足らずという短期間で、一人でここまでの研究を完成させることは不可能だ。小林は、招集される以前からこの研究に没頭していたのかも知れない。戦争が長引けば、菱沼たちも研究に加えられていたのだろうか——。
菱沼は目の前にある杖を手に取る。それから、杖に意識を集中した。ただの木製の杖は、ぼんやりと光を帯び、温かくなる。そのうち、その光は目が眩むほどに強くなり、杖は小銃の形態に変化を遂げた。それに合わせて、菱沼のからだに力がみなぎった。
光が収まったその後に現れるのは、若かりし頃の自分の姿だ。居間に据えられている茶箪笥のガラスに映る自分の姿を確認し、菱沼はため息を吐いた。
最初は、この熱に苦痛すら感じたというのに、一度経験してしまうと、なんてことはないようだ。
——いつでも変身することは可能。しかし、時間制限は10分ということか。
そして、姿を変えるときは自分の意志が働くが、一度変身してしまうと、戻るためには時間の経過を待つしかないということも理解した。
菱沼は立ち上がる。膝の痛みがないというのは、いいものだ。こんなにもからだを動かすことが、楽だなんて——。若い頃は、当然だったことが、年を重ねる度に難儀になっているということを痛感した。
木製のガラス戸を開き、庭を眺めようと視線を遣ると、「あの!」と若い女性の声が響いた。
——しまった。この姿では……。
そう思ったが遅い。庭から顔を出したのは、
「すみません。菱沼さんは……菱沼さんはご在宅でしょうか? ——あ、あなたは……!」
「萌咲ちゃん」
菱沼は、彼女の名を呼んでから、はったとした。「なぜ、私の名前を?」という不可解な表情をしているのを見たからだ。
——まずいな。
菱沼は、なるべく笑顔を心がけ「曾祖父は出かけています」と言った。
「曾祖父……? 菱沼さんの曾孫さん、だったんですか?」
「まあ、そんなものです」
——なんだ、その曖昧な返答は!
戸惑っている萌咲の言葉を待たずに、菱沼は口を開く。なにかを誤魔化そうとすると、言葉数が多くなるというのはその通りだな、と菱沼は思った。
「ニコニコデイサービスの
「そんなこと、そんなことないんです!」
萌咲は目元を赤くしている。菱沼は、熱でもあるのだろうかと心配になった。
「それよりも。今日はどうされたんですか」
「あの。菱沼さん。今日、利用日だったんですが、体調が悪いとお聞きしたもので。おひとり暮らしだし。何度かお電話も差しあげたんですよ。でも、お出にならないから。心配になってしまって……」
午前中は小林と喫茶店で話し込んだ。その間に、萌咲は電話を寄越していたのだろう。彼女の性格を考えれば、予測できたことだが、うっかりしていた——と菱沼は思った。
「ご心配をおかけしました。曾祖父は病院に行っています。なんの連絡もないから、大丈夫なのではないかと思いますよ。帰ってきたら電話させましょう」
「いえ。そこまでは……お手間を取らせては申し訳ないですし……。お変わりないのであれば、いいのですけれども」
萌咲は視線を巡らせてから、なにかを決心したかのように、「よし」と小さく呟いた。なにが始まるというのだろうか。菱沼は時間を気にしながら萌咲の様子を見つめる。彼女は「あの!」と上ずった声を上げた。
「先日。銀杏並木のところで、私を助けてくださったのは、あなたではないですか?」
菱沼は気が気ではない。しかも自分には時間制限があるのだ。萌咲の前で本来の姿に戻ることは許されない。ここでとぼけても、時間をロスするだけかも知れない。そう判断した彼は、「そうですよ」と答えた。
「そうです。危なかったですね」
「あ、あの時は。本当にありがとうございました。あの、私。ちゃんとお礼しなくちゃって思っていたのに、気がついた時には、いなくなっていて……」
「友人を待たせていたんですよ。急いでいたもので」
「そうだったんですね。でも。あの、その恰好は……」
——しまった。軍服じゃないか。
「あ、あの……これは、趣味で」
「趣味?」
「こういう恰好をするのが好きなんですよ」
「ああ、サバイバルゲームですか?」
「さ、サバイバル……そ、そう。それですよ。友人とたまたま。あの公園にいて」
「そうでしたか……。あの、お名前。お名前は……?」
「菱沼です」
焦燥感にかられると、年柄もなく取り乱すものだな——と菱沼は思った。菱沼はなんとか誤魔化そうと、まるでなにかに気がついたように「あ」と声を上げてから、ポケットからスマートフォンを取り出す。それから、さも着信があったかのようにそれを耳に当てた。
「はい。菱沼です。ああ、おじいさん」
萌咲が声を上げそうになるのを、人差し指を口元に立てて黙るように指示をする。彼女は、ますます顔を赤くして黙り込んだ。
「わかりました。では後程」
菱沼は萌咲を見る。
「申し訳ありません。曾祖父の受診が終ったようなので、僕は迎えに行かなければなりません」
「こちらこそ。突然、お邪魔してすみませんでした。あの、菱沼さんによろしくお伝えください」
「もちろんです。喜ぶだろうなあ」
萌咲は嬉しそうに笑みを見せると、頭を下げて立ち去った。それを見送っていると、タイムリミットが訪れた。菱沼のぴんと伸びていた背筋が軽く湾曲し、膝に痛みが戻ってくる。
「あいたたた……」
小銃は、ただの木製の杖に姿を変えていた。
「助かった。ぎりぎりだったな」
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