第12話 少尉の秘密



「騙すつもりはなかったんです。すみませんでした」


 目の前に座った小林少尉——。いや、小林少尉とは別人はそう言って、頭を下げた。


 菱沼は、彼から視線を外すことができなかった。見れば見るほど、自分の知っている小林に瓜二つだった。いや、瓜二つなのかどうかは定かではない。なにせ小林少尉と別れたのは、もう70年以上も前の話だからだ。


 菱沼の記憶が事実なのか、それとも彼の中で捏造ねつぞうされたものなのか。いずれにせよ、信じ難い光景であることに違いはなかった。


「いや。その。謝ってばかりではわからないよ。ぜひ、説明してくれないだろうか。キミはいったい……」


 彼は視線を伏せてから、ぽつりぽつりと説明を始めた。


「おれの名前は小林さとし。小林少尉は、おれの曾祖父です」


 戦後、しばらくは小林の妻と交流をしていた菱沼だが、彼女が亡くなってから、小林家との交流はすっかり途絶えていた。そのため、小林家がどうなっているのか、まったく把握していなかったのだ。


 ——失敗したな。私としたことが……。


 なぜあの時、目の前にいる「小林少尉」が、彼の子孫であると気がつかなかったのだろうか。当時の軍服を纏っていたことで、すっかりと惑わされてしまっていたのだろう。苦い気持ちになりながら、聡の言葉に耳を傾ける。


「菱沼さんがご承知の通り、曾祖父の遺体は見つかりませんでしたが、研究所が爆撃を受けた際、生死不明で戦死扱いになりました。だから、おれは曾祖父のことは詳しく知りませんでした。よく似ていると言われますけど。写真だってろくに残っていませんからね」


「そうだね。キミはわからないことだろうね。しかし——確かに、キミは少尉にそっくりだよ」


 菱沼の言葉に、聡は気恥ずかしそうに視線を伏せた。


「おれ、曾祖父のことなんて、別に興味もなくて。『ふーん』って感じだったんですけど、……高校生の時、父の実家の蔵で曾祖父の研究資料を発見したんです。土蔵の壁に練り込まれていたんですよ。地震で崩れて見つかった——って感じです。まるでお宝を見つけたような気持ちになりましたよ。ノートを見て興奮しました」


「そのノートは、動物兵器の資料……じゃなさそうだね」


「そうです。それ——。それの資料でした」


 彼は菱沼が椅子に立てかけておいた、九九式小銃の杖を指さした。


「これだって? これを小林少尉は研究していたというのか?」


「そうです!」


「いや、だって——」


 ——我々が研究していたのは、動物兵器だ……。


「それは表向きだったんですよ」


 突然、聡は興奮したかのように、カバンから古びたノートを取り出した。菱沼はそれを受け取りノートをめくった。


 そこには見知った癖のある文字が書き込まれている。実験結果のグラフや図式、それから小銃のイラストも描かれていた。


「これは……」


 菱沼は言葉を失う。小林はいったい何について研究していたというのだろうか。菱沼はその真相を理解しようと、ノートをぺらぺらとめくり続けた。すると——飛び込んできたのは『不老不死』という言葉だった。


 ノートは途中で終わっていた。小林が戦死し、研究が中断されたことを意味するのだろう。


『危険極まりない研究だが、実現すれば人類の夢が叶うであろう。《絶対に死なない兵士》が誕生するのだ。だがしかし。時すでに遅し。我々は勝機を失った。我々の勝利への道は閉ざされた。この研究は連合軍には渡すことはできぬ。私はこの研究に鍵をかける。私はこの研究をあの方に託すことにした』


「絶対に死なない兵士を作り上げる……だと?」


「そうです」


 ——なんと、小林少尉はこんなことを……。


 菱沼は息を飲んだ。あの技術研究所は動物兵器の研究所ではなかったのだ。菱沼はノートを閉じる。


 ——人間を動かすのは生気。その生気を小銃に込め、それを手に取った者に還元する。その結果、痛んだ肉体を強化するという仕組み——か。


「まさか。我々が動物兵器を研究をしていたのは表向きで、陸軍はこんな常軌を逸した研究をしていたというのか?」


 しかし突拍子もない話でもない、と菱沼は思った。当時の日本軍は世界から孤立し、戦況は不利。動員する兵士の数も限られている。新しい駒が見込めないのであれば、今ある駒を使い回しすればいい——そう考えても不思議はないからだ。


「少尉は、この研究に鍵をかけると言っているが……。それが今、こうしてここにあるということは——。それをキミが……?」


 菱沼は手元にある杖を見据えてから、聡に視線を戻す。彼は声が上ずりそうになるのを堪えるかのように咳払いをした。


「そうです。鍵というのが、なにを意味するのか。おれにはわかりませんけど、ともかくこのノートの内容を精査して、形にしました。時間と資金がかかりました。やっとの思いで実用化できそうなところまでこぎつけたんですけど、被験者がいない。どうしたものか、と思っていた時に、曾祖父の日記にたくさん登場する、菱沼軍曹、飯塚兵長、小田切上等兵の三人が、市内でまだ健在であるということがわかりました」


「我々は実験体ということか」


 菱沼は、少々面白くない気持ちになったことは言うまでもない。だがしかし——、菱沼はうんと小さく頷いた。


「適切な選択だ。若いキミがその任を遂行することは適わない。小銃を扱えるのは戦争経験者が適任。キミはセンスがいい。だが——ご老体には、少々きつい実験だね」


「すみません」


 菱沼は笑った。


「あの日現れた小林少尉は、僕たちよりも長い時間、若い頃の姿を保っているといた。僕はそれが不思議でね。もし同じ仕組みで若返っているならば、少尉だけ別のルールだなんてあり得ない。それに僕たちが三人揃ってあの場所を訪れることをどこで知ったのだろうかと。キミはどうやって、その情報を手に入れたんだい?」


「あの。実は……三人のことを知ったのは、萌咲もえから聞いたんです」


「え? 萌咲ちゃん?」


「おれ、萌咲とは幼馴染で。今でもよく連絡を取り合っているんですよ。あいつ、個人情報があるとかなんとかって言って、そう詳しく教えてくれないけど、仕事の愚痴を話してくるんですよ。最初は、大して興味もなかったですけど、だんだんとあなたたちの話題も出てくるようになって。それで『あれ』って思って。偶然って恐ろしいものですね」


「偶然なのだろうか?」


 ——いや。人生とは偶然の連続だ。ありえないことばかり起きるものだ。これもまた、なにかの偶然なのか。それとも……少尉。あなたのお導きなのでしょうか。


 菱沼はコーヒーを口に含む。すっかり冷めてしまったのにも関わらず、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。


「聡くん。僕たちはね、萌咲ちゃんの周囲に起きている不可思議な出来事を調査しようと思っているんだ。そのために、今日はデイサービスを休んで、別日に利用をすることにしていたところだ」


「そうだったんですね。火曜日はみなさんがデイサービスに行っている日だからって、ついうっかり。油断していました。へへ」


 彼は、はにかんだ笑みを見せた。


 ——若さか。マスターもそうだが。それだけで輝いて見える。ああ、きっと。萌咲ちゃんには、こういう子がお似合いだろうな。


「萌咲から聞いています。更衣室を荒らされたって」


「キミは、萌咲ちゃんからその件に関して詳しく聞くことができる立場だね」


「やりますよ。おれだって、萌咲のことは心配しているんです」


 菱沼はじっと聡を見つめてから、「キミは萌咲ちゃんとお付き合いしないのかい?」と尋ねた。彼は「え」と弾かれたようにからだを震わせてから、顔を赤らめた。


「萌咲は。おれのこと、そんな風には思っていないと思います。もうずっと一緒ですけど。恋愛感情とか、そういう関係じゃないって言うか」


「それはキミ一人の考えだろう? キミの気持ちを萌咲ちゃんに伝えないことには、わからないと思うんだけどな」


 聡は「もう、よしましょう」と言った。


「そうだね。老人のお節介だ。すまない」


「いいんですよ。菱沼さんのこと、曾祖父は大好きでした。日記には、あなたのことばかり書かれていましたよ」


「そうか。小林少尉は、僕の憧れの人だったよ」


 菱沼は窓の外に視線を向けた。






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