第10話 スカートとストーカー
翌日の夜。菱沼と飯塚は、小田切に「見せたいものがある」と誘われて、元研究所跡地に向かった。三人の中で、唯一免許証を所持しているのは小田切だけだ。二人は彼の運転する車に乗り込み、しばしのドライブを楽しんだ。
公園の駐車場はにぎわっていた。銀杏並木がライトアップされていて、観光スポットになっているようだった。三人は、銀杏並木に向かう人たちの流れから離れ、小林と邂逅した場所へと向かった。
雑木林の中に佇む
小田切は一息つくと、「さっそくですがね」と言いながら、カバンから古びたノートを取り出した。飯塚はそのノートを見ようと、携帯用のLEDライトを当てる。辺りは暗い。歩道から離れているその場所は、夜になると遠くに光が見えるだけだった。
「これは当時の……。研究所時代のノートじゃないか」
菱沼は驚いた。空襲で研究所は全焼した。あの時は、逃げるだけで精いっぱいだった。研究資料を持ち出すような余裕などなかったはずだ。しかしこうして、小田切は当時の研究ノートを持っているのだ。
「小田切。いつの間に……」
「へへ。ちょっとくすねておいたんですよ。空襲の前にね」
「お前は手癖が悪かったもんな。そう言えば、少尉の部屋から、さつま芋をくすねていたもんなあ」
飯塚は呆れたようにため息を吐いた。
「だけど、今となったら使えるでしょう?」
小田切は悪戯に笑みを見せた。
——若い頃から、変わらないな。
菱沼は苦笑した。
「使えるでしょうって……。敵陣営にネズミを送り込んで情報収集をするとか、鳩に爆弾を装着して攻撃するとか、ああ、毒蛇を使う作戦もありましたよねえ。どれもこれも、今考えると、全然ダメでしょう。そんなもの、最新兵器を持っている連合軍に敵うわけもなかった」
飯塚は肩を竦める。しかし小田切は首を横に振った。
「当時は……、です。飯塚兵長」
小田切は「ふふん」と得意げに、眼鏡をずり上げて笑った。
「当時の科学技術では、実用化できなかったものばかりですが、今はあの時とは違っています」
彼は新しい大学ノートを開いた。そこには過去の研究を題材に新しいアイデアが所せましを書き込まれていたのだった。
「お前ってやつは」と飯塚が呆れたような声を上げた。
「ネズミに盗撮カメラを仕掛けるんですよ。観察ポイントに誘導するために、ネズミの餌をあらかじめ仕掛け、そして飢餓状態にして放つ。そうすることで、ネズミはポイントに到達する——。で、更衣室を観察するんです。どうです? 僕の案は」
「確かに。当時はネズミに搭載する機材の開発で頓挫したが。今は小型カメラ、盗聴器が豊富だね」
「今回の事件は、更衣室に夜中に忍び込む輩がいるということでしょう? ネズミを仕掛けて現場を押さえましょう」
「しかし。それなら防犯カメラを設置すればいいだけの話ではないのだろうか……」
菱沼の意見に、小田切は「あ」と顔色を悪くした。飯塚も頭を横に振る。
「小田切くん。頑張ったのはわかった。キミの努力は尊重しよう」
「うう。昨日、徹夜で考えたんですよ。うう。徹夜で……」
「すまないね。小田切くん」
菱沼は素直に頭をさげた。
「軍曹、そんな。頭を上げてください……」
「ともかく。犯人を見つけないといけませんよ。我々が若返るのは時間制限つき。行き当たりばったりではうまくいきません。作戦は念入りに練らないと」
飯塚は両腕を組んで「うーん」と唸った。
「犯人を特定するにも、我々は週に1回しかニコニコデイサービスに行けませんからね。それでは、ちょっと情報が足りないですよね。どうしたものかねぇ……」
「ではやはり、ネズミを使用しましょう」
「だから、小田切。お前さぁ——」
飯塚と小田切は押し問答。菱沼は「おやめなさい」と、仲裁に入った。
「確かに、我々は現状を詳細に把握するために情報が必要だ。今回は『
しかしだ。好意なのか、悪意なのかはわからないが、特定の人間に執着し、周囲を嗅ぎまわったり、つきまとったりするというものは、エスカレートしていくと聞いている。もし萌咲ちゃん個人への、なんらかの感情から来ているものであれば、事件はこれで終わるというわけではない気がするんだ」
菱沼の意見に、小田切が「ストーカーってヤツじゃないですか。今流行りの」と言った。飯塚は「え?」と耳に手を当てて聞き返す。
「スカートってなんだ」
「ストーカーですよ」
「スカーフかい?」
「ち、が、う! ストーカーですよ! 飯塚兵長! なんで女性の装飾品ばっかり羅列するんですか」
首を傾げる飯塚に、小田切は何度も訂正を重ねるが、そんなことは意味がないと菱沼は思った。
「まあまあ、ともかく。根気強く情報収集するんだ。今の段階だと、『萌咲ちゃんのロッカーが、何者かによって荒らされた』ということしかわからない。本当に萌咲ちゃんが狙われているのか。犯人は誰なのか。このまま、これで事態は終息するのか——。情報が不足しすぎていて、なにも判断がつかない状況だからね」
「そうですね。デイサービス側で監視カメラでも設置してくれるといいですけど、きっとそこまではしないでしょうね。管理者は、萌咲ちゃんを守るということも大事ですけど、犯人が明らかになった時に、それが職員だったら困るわけでしょう? きっと積極的に犯人捜しはしないんじゃないかなって思うんですよね」
小田切の意見は最もだ。管理者としては、自分の管理している職場から、犯罪者を出したくはないはずだ。このまま穏便に。何事もなく過ぎ去ってくれればいい。それは、管理者として当然の考えだろう。
「デイサービスに任せておいたのでは、きっとこの事件は解決しないだろうね。僕たちに出来ることを、今一度考えてみようじゃないか」
菱沼の提案に、二人は顔を見合わせてから力強く頷いた。それから、ふと飯塚が周囲に視線を巡らせる。
「——しかし。今日は小林少尉は現れませんねえ。また我々三人でここに来れば、現れてくれると思ったんですけどね……」
「小林少尉にお会いするためには、どうしたらいいのでしょうね」
小田切もため息だ。その意見に菱沼も同感だった。小田切が、この場所で話したいことがある、と言った時、「もしかしたら、小林少尉に会えるのではないか?」という淡い期待が湧いた。しかし——。寒々とした風が駆け抜けるばかりで、小林の姿は見ることができなかったのだ。
菱沼は「さて」と声色を明るくした。
「あまり遅くなると、奥さんに怒られるだろう。今日は帰ろうか」
三人は腰を上げるが、そうスムーズにいくものではなかった。
「あいててて。ずっと同じ姿勢だと腰が痛みますな」
小田切は腰を押さえて顔をしかめる。飯塚は膝に負担がかかるのだろう。テーブルに両手をついて、「よっこらしょ」と立ち上がった。
菱沼も両膝を押さえた。先日の無理が尾を引いている。若い頃とは違い、一度調子が悪くなると、なかなか元に戻るということがないのだ。
——年を重ねるということは、難儀なことが増えていくものだな。
「さあさあ、帰りましょう、帰りましょう」
先に連れ立って歩きだした二人を背に、菱沼は振り返る。
——少尉。あなたは、いったい……。
当時、そこに建っていたはずの研究所の姿が、まるで蘇ってくるような錯覚に眩暈を覚える。九九式小銃の杖に体重をかけて、じっと堪えていると「早く帰りましょう。軍曹」という飯塚の声が聞えた。
菱沼は寂寥感漂うその場から、逃れるように二人の後を追った。
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