第6話 萌咲ちゃん救出作戦
木々を抜け、銀杏並木の広間に飛び出す。更に視線を巡らせた菱沼は、
八木沢は中等度の認知症であると聞いている。彼女は、なかなか萌咲の言うことをきこうとはしない。必死に止めようとする萌咲の手を振り払って車道に飛び出した。しかし眼前には、トラックが迫っている。菱沼は、若いころ名を馳せた健脚を活かし、萌咲の元へと駆けだした。
トラックの運転手はよそ見でもしていたのだろうか。ブレーキの金切り音が響いた時、トラックは八木沢に迫っていた。
——これでは間に合わない!
萌咲は、八木沢を力いっぱい歩道に押し戻したが、その反動で逆に自分が車道に転がり出てしまったのだ。他人のことばかり考える人間だ。きっと萌咲の頭の中は、八木沢を救うことでいっぱいで、自分のことは、どうでもよくなっているに違いない。
——萌咲ちゃんらしいじゃないか。
「飯塚! 二時の方向! 僕は萌咲ちゃんの救出に向かう。トラックは頼んだ!」
鋭い菱沼の叫びに、飯塚は「承知」と言ったかと思うと、その場で足を止め、九九式小銃を構えた。
「へへ、久しぶりだぜ。この感触。弾出るんだろうな」
飯塚は舌なめずりをしながら、引き金を引いた。600メートルは離れていただろうか。それでも、飯塚の放った弾丸はトラックの前輪にヒットした。飯塚の狙撃の腕は研究所一だったのだ。
しかし、車道に座り込んでいる萌咲を回避できるほど、トラックの進路は逸れていないようだ。このままでは萌咲は死ぬ。
菱沼と一緒に歩道に出た小田切が、小銃を構えた。菱沼は小田切の名を呼んだ。
「小田切! ガソリンタンクに気をつけろ」
「わかっていますよー。軍曹! お任せあれ……っと」
飯塚に続き、小田切が小銃の引き金を引いた。小田切の放った弾丸は、トラックの横面にめり込んだ。彼は手際よくボルトを引いて
菱沼は、萌咲の元に到着すると、彼女を一気に抱え上げて、そのまま横に大きく跳躍をした。
飯塚と小田切のおかげで、トラックは車道から右に大きく逸れて、反対側の街路樹に激突して停止した。トラックの前面からは、煙が噴き出していた。
歩道には、八木沢が座り込んでいた。彼女はさすがに声を失っているようだったが、無事であることが確認できた。
「あ、あの。あの。……!」
反対車線の歩道に着地をした菱沼は、腕の中で震えている萌咲を見た。いつも気丈な彼女だが、相当怖かったのだろうと理解する。
血の気を失い、紫色に変色した唇がブルブルと震えている。大きな瞳からは、涙が零れ落ちそうになっていた。
「よかった。無事で。萌咲ちゃん」
思わず、菱沼はそう呟く。そしてはっとした。萌咲と今の自分は、初対面であるはずなのに、彼女の名を呟いてしまったのだ。
一瞬、萌咲の瞳に困惑した色が浮かぶ。菱沼は、言い訳をしなければならない——と思った。しかしそこに飯塚が「軍曹! ご無事でしょうか」と駆けてきた。
小田切はトラックの運転手の安否を確認していたが、すぐに菱沼に視線を寄越してから、軽く頷いた。運転手は無事だ——と言っているのだ。
——萌咲ちゃんも、運転手も無事か。八木沢のばあさんも無事だ。余計なことは言わないほうがいいだろう。
それとほぼ同時に、他のスタッフが駆け寄ってくるのが見えた。自分たちは、ここに長居をすべきではない——と菱沼はそう判断をした。
自分たちは、ここにいるべき存在ではないし、時間制限というものがあるのだ。萌咲たちの目の前で本来の自分に戻るわけにはいかない。
「萌咲ちゃん!」
「萌咲さん! 大丈夫ですか!?」
スタッフに気を取られている萌咲をそこに残し、菱沼たち三人は近くの草むらに転がり込んだ。
小林の元に舞い戻った時。三人は、すっかり本来の姿に戻っていた。そして——。
「いたたたた。腰が痛いですぞ」
飯塚は腰を押さえる。菱沼も膝の痛みに、思わず杖を握りしめた。
「これは……」
「若い頃に戻ったとはいえ、からだは素直。元に戻れば痛みも戻る。負担をかけるだけ、戻ったときの跳ね返りも大きいということ」
「そんなあ。では無茶できないじゃないですか……」
小田切は腰を曲げ、そばの杖にしがみついた。しかし、「あれ?」と声を上げた。
「これは、僕の杖じゃないですけど」
そう言われてみると、自分が握っている杖は、自分のものではなかった。海老茶色の地味なステンレス製の杖は、木製のテカテカと輝く杖に様変わりしていたのだった。そして、杖を使わない飯塚の手にも同様の杖が輝いていた。
「九九式小銃の仮の姿だ」
「この杖が、ですか?」
「そうだ」
小林はうなずく。
「その杖に気持ちを込めれば、キミたちはいつでもどこでも、あの姿になれるのだ。しかし制約がある。先ほども伝えたが、活動時間は10分。そして一度変身すると、パワーを充電するために24時間は使用不可となる。更に、からだに負担がかかることを考えれば、そう頻繁に使用することはお勧めしないということだ」
「確かに。こんなに腰が痛いんじゃあ、もう若い頃の姿になんて、なりたくないです……」
飯塚は「とほほ」と肩を落とした。
「しかし、これもなにかの導き。我々は、我々にできることを為さねばならないということ——そうでなんですか? 少尉」
菱沼の視線を受けた小林は、力強く頷いた。
「いかにも。キミたちの能力は、研究所でも得に秀でていた。命ある限り、からだが動く限り、我々に課せられた使命を全うする。それが我々の任務ではないのかね?」
「承知」
三人は杖を手に敬礼の姿勢を取った。
「さあ、キミたちを探しているよ。またすぐに会えるだろう。行きたまえ」
小林の言葉に顔を上げると、確かにどこかで自分たちの名前を呼んでいる声が聞こえてきた。菱沼は視線を巡らせ、それから小林がいた場所を振り返った。しかし、小林の姿は、すでにそこにはなかった——。
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