第5話 九九式小銃



 三人は集団を離れ、光も差し込まないような鬱蒼とした林の中に分け入った。


 誰も声を上げなかった。ただ黙って目的の場所を目指す。距離で言えば、そう長いものでもない。しかし昼前の時間だというのに、薄暗い視界と、整備されていない地面の状態は、高齢の三人にとっては、骨の折れることだった。


 やっとの思いで歩みを進めていくと、ぱっと光が差し込む。菱沼は思わず腕を目の前にやり、光を遮った。彼は白内障で、眩しい光には弱いのだ。


「なんだ。お前たち。随分と年寄りになったものだなあ」


 光の合間から漏れ聞こえてくる声は、三人の時間を、一瞬であの日に巻き戻した。


 ——ああ、この声は……。


「小林……少尉」


 光に慣れ、少しずつ視界が戻っていく。するとそこには、苔色の軍服を着た若い男が一人、たたずんでいたのだった。


 帽子には、五芒星の紋章が縫い付けられている。折襟の軍服。襟元には、少尉の証である赤と黄色の襟章えりしょうがある。革製のベルトとブーツ。腰には軍刀がぶら下がっていた。


 帽子の合間から覗く切れ長の瞳は、鳶色に光る。青白い肌色は、血の気が感じられず、まるで生気が感じられなかった。


「やあ、久しいね。菱沼軍曹、飯塚兵長、そして小田切上等兵」


 飯塚は腰を抜かしていたようだ。隣で地面に座り込んでいたが、すぐに立ち上がる。彼の気持ちとしては、かなり急いでいたのだろうが、その動作は緩慢。先に敬礼の姿勢を取った、菱沼と小田切に合わせて、飯塚も遅れて敬礼をした。


「かしこまらないでくれ。三人がこうして一緒に来てくれるだなんて、嬉しいよ」


「自分も小林少尉とこうして、再びお会いできたこと、幸せであります!」


 小田切は興奮したように答えた。


「しかし一体……。私は何度もここを訪れました。しかし、少尉のお姿を確認することはできませんでした」


 菱沼の問いに、小林は笑みを見せた。


「キミたちが三人揃って——というところが鍵だろうね。なにせキミたち三人は、この場所にあった、梅沢陸軍技術研究所の生き残りだからね」


 ——そうだ。ここにあった施設は、陸軍技術研究所だった……。


 菱沼の脳裏には、過去のビジョンがよみがえってきた。


 当時この場所は、陸軍が管轄する軍事兵器を開発する研究所であった。戦中、陸軍は日本各地に研究所を構えていた。武器、爆破用火薬、戦車、それから電波兵器なども研究されていた。梅沢陸軍技術研究所では、主に動物を戦争に活用するための研究が行われていた。


 菱沼、飯塚、小田切は、動物の生態を研究している学生だったために、この研究所に召集された。


 当時、世界各国で動物を兵器に利用できないかという研究が行われていたからだ。しかし、その研究のどれもが功を奏しなかった。動物という不確かな生き物を駆使して、敵軍の情報を得たり、攻撃を加えたりすることなど、所詮無理な話だったのだ。


 そのうちに、戦禍は本土にまで広がり、敗戦の色が濃くなってきた頃。この研究所もアメリカ軍の空襲を受け大破。その際、菱沼は右足を負傷し、病院で生死をさまよった。意識を取り戻した時に聞かされたのは、所長をはじめとした上層部の者たちと、現場を任されていた小林の死だった。


 彼は逃げもせず、負傷した部下たちの救出を行い、行方不明になった。菱沼も彼に助けられた一人であった。いくら捜索しても見つからなかった小林の遺体。結局は戦死の扱いになっているとのことだった。


 しかし今。菱沼の目の前には、小林の姿がある。しかも、あの頃と変わりない若い頃の姿で、だ。——自分は夢でも見ているのではないか。これは夢に違いない。菱沼はそう何度も心の中で繰り返した。


「私はここで、ずっとキミたちとの再会を待ちわびていたのだ。今日まさに、その時が来た、ということになるのだね」


「小林少尉。我々も……」


 飯塚は菱沼と小田切を見る。菱沼は飯塚に同意するようにうなずいて見せる。彼は嬉しそうに言葉をつづけた。


「我々も同じ気持ちであります! しかし——人は変わるものです。我々は、年を重ね過ぎた」


 菱沼の返答に、小林は艶やかな笑みを見せる。


 ——若さとはいいものだな。


 菱沼はそう思った。若いだけで、こんなにも輝いて見える。自分にもこんな時代があった。動かなくなった右足。それに輪をかけて、左足もガタが来ている。耳鳴りもする。思い出すことも断片的だ。老いには敵わないのだ。


「人は変わる。時代も然り。だが、我々は変わらない」


「いいえ。変わらないのは貴方だけだ」


 小田切は声色を落とす。しかし小林は高らかに笑った。


「まだまだだ。我々の時代は終わらない」


「しかし、少尉……」


 小田切は、もごもごと言葉を濁す。今朝、小田切は新調したばかりの義歯が合わない、とこぼしていたことを思い出した。


 小林は、「ふふ」と笑みを見せると、両手を鳴らした。すると、どうしたことだろうか。小林の前に輝く小銃が現れた。飯塚は「あ」と声を上げた。


「おお、なんと懐かしい。九九式ではありませんか」


 小林は両手を差し出して、それを受け取るように指示する。


「さあ、手に取るがいい。


 それは、なんと魅惑的な代物なのであろうか。菱沼は、まるで禁忌に触れるかのような畏怖の念を抱いた。


 しかし、からだは素直。そっと手を伸ばす。彼が小銃に触れたか触れないかの瞬間、「わあ」と飯塚の声が上がった。はっとして彼を振り返る。が——。


 小銃に触れた自分の指先がジリジリと火傷をするような熱さに包まれたのだ。


 ——なんだ!? これは……っ!


 熱は指先から、前腕、上腕と伝わったかと思うと、一気にからだ中を包み込む。まるで業火に焼かれているような苦痛だった。


 小田切や飯塚の苦痛の叫びが耳につく。三人が一様に同じ状態に陥っているのだということが理解できた。


 ——これはなんだ? 死ぬのか? 一体……っ?


 熱に耐え自問自答を繰り返していると、その熱はいつの間にか嘘のように引いていった。からだが、ばらばらになったのかとも思ったが、そうではないらしい。むしろ軽かった。


「うう……これは一体……」


 小田切の声にはっとした。もごもごとした歯切れの悪い口調ではなかったからだ。菱沼は彼を見て唖然とした。小田切の隣で「ううう」と唸りながら、からだを起こした飯塚の姿にも驚いた。


「お前たち——。これは一体?」


「そういう菱沼さんも……いや。菱沼軍曹!」


 飯塚は苔色の軍服に、張りのある顔を真っ赤にして敬礼をした。


 隣にいた小田切も然りだ。彼も同じ軍服をまとっていた。二人は昔の姿に戻っていたのだ。


 菱沼はそっと自分の顔に触れる。自分の姿を見ることが叶わない状況では、視覚的に理解することはできない。身なりを観察してみると、やはり菱沼も同じ軍服姿だった。しかも、悪くしていた右足は痛みもなく、動きも軽快だ。まるで、あの当時、20歳の頃の自分に戻ったみたいだった。


「小林少尉……」


「お前たちが手にした九九式には不思議な力があってね。それを手にした我々は、時間制限の中で、当時の姿に戻れるのだ」


「なんと……」


「ああ、菱沼軍曹……麗しいお姿ですぞ」


 飯塚は目を輝かせている。菱沼は、もともとは整った顔立ちをしていた。日本人離れした彫の深い顔立ちは、老若男女から密に思いを寄せられることが多く、仲間内でも「色男」と呼ばれていた。


「しかし、少尉。我々がこの能力を持っても。これは一体、どうしたらいいのでしょうか」


「私も最初は戸惑った。しかし——。これには意味がある。そう理解した。我々は、我々にできることを行う。それだけだ」


 小林がそう語ったとき。どこからともなく、悲鳴にも似た声が上がる。一斉に声の出所を探るように視線を巡らせた。


「この声は……」


萌咲もえちゃんだ!」


 菱沼は低く叫ぶと、一片の迷いもなく三人は駆けだした。背後からは「10分だ。タイムリミットは」と小林の声が聞こえた。







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