第31話「それぞれの迷い」

 紺の帳が下り、橙色の空を押しつぶす中、美幸は家への帰途についていた。冷たい風は彼女の顔を打ち、彼女の鼻と頬は赤くなっていた。

 道には足元だけを照らす電柱が並び、異質な静けさだけがあった。

 美幸が一歩踏み出すたび、妙な違和感が彼女に走った。

 

「……!誰?」

「へぇ、こんな距離でも気づくんだ……さすが」


 美幸が振り向くと、電柱の後ろから黒いパーカーを着た少女がぬるりと出てきた。、色ぬけしたような灰色の髪がゆらりと揺れた。毛先はパサついていて

 目深にかぶった黒いキャップ帽の下からは、色が褪せたような灰色の瞳が覗いた。目元にはクマが出来て不健康な様子が見て取れた。


「さすが?なんです?」

「……魔法少女って感じだね?」

「――!」


 少女が灰色のポーチから見慣れた小瓶を取り出して構えると、美幸も瓶を取り出して構えた……が、いつまでたっても少女は変身しなかった。

 少女は瓶を揺らしながら、美幸に一歩一歩近づいてきた。

 一番近くの電柱のライトに少女がさらされたとき、美幸は目を丸くした。 


「絵の具が入ってない?」

「その通り……」

「じゃあ、あなたも負けて絵の具を――」

「いや、僕はね……ガールズキャンバスですべての魔法少女を倒したんだよ!倒したんだよ!?」


 美幸は少女の発言に驚愕し、目を丸くした――対する少女は美幸の肩越しを睨み続けていた。


《美幸……あの子は別のガールズキャンバスで負けて正気を失って――》

「ねぇ!僕の彼氏君を治してよ!約束でしょ!」


 少女は瞳孔が縮まり、黒いマニキュアのついた指で髪をかきむしると、金づちをバックから取り出した。


《美幸、とにかく逃げた方がいい!》


 美幸の思考はキャンバスの助言を聞こうとしたが、少女の涙ぐんだ目を見ると、本能は美幸を前へと押し出した。

 美幸は少女の持った金づちには目もくれず、彼女に一歩、一歩と近づいた。


《美幸!相手は何をするか――》

「黙ってろ……!」


 ブンブンブン!金づちを振り回す少女の腕は、美幸の足音が止まると同時に止まった――ギチギチ、少女の振り上げた手首に美幸の爪が食い込み、金づちは重力に引かれて地面に落ちた。

 少女が膝から崩れそうになると、美幸はそれを優しく抱き留めた。


「大丈夫……お話を聞かせてくれる?」


――


 バシャーン……碧い波は白い壁に突き当たり、大きくせりあがった。辺りからはもくもくと湯気が立ち上る。

白い壁に囲まれた女性の巨人は、ぷかぷか浮かんでいる碧い船を両手ですくう。物憂げな顔でそれを見つめた彼女はため息をついた。


「理沙ち―ほんとに……」


 そこまで言った彼女は、首を横に振ると突如立ち上がる。彼女の体を碧い湯が、滝のように滑り落ちた。

 軽く体を洗い流した彼女は、バスルームを出た。


「美香?ご飯できてるわよ」


 美香の母が、リビングの椅子に腰を掛けると、美香は向かいの席に座って、はしを手に取った。


「美香どうしたの……そんなに暗い顔して?」

「やっぱわかる?ちょっと迷っちゃって……」


 美香は食欲がないのか、食べ物をつつくだけだった。

 美香の母は、彼女の前で手を振ると物憂げな顔で彼女を見た。


「あんまり考えすぎない方がいいわよ……」

「あたしらしくないよね……迷うなんて」


いつもの陽気な表情は色褪せて、眉が下がっていた。


「元気がない時ってご飯食べて、好きなことしてぐっすり睡眠をとった方がいいわよ」

「だよねー、あたしらしくらしくないよね」

「人間って行き詰まると、余計なことを考えちゃうもんだから」


 美香はいつもの笑顔を取り戻すと、目の前に広がる食事を平らげた。


――


 バリン!紫の手からティーカップが投げ捨てられ、執事が、慌ててその破片を追いかけた。


「お嬢様!今片づけますから!」

 

 その態度を見た紫は、元から皺が寄っていた眉間にさらに皺が寄った。足元に来た執事の手を踏もうとしたが、寸でで踏みとどまった。


「ああ!もう!なんですぐに片付けようとするの!」

「お嬢様!落ち着いて!」

「あたしは結局弱かったのよ、覚悟も勝てる意志も」


 執事はティーカップの破片を片付けると、紫に寄り添った。


「お嬢様、何がそんなに気に入らないのかわかりませんが、自分を肯定してください」


 献身的な態度の執事に紫は涙ぐみながら顔を伏せた。

 

「だって、あたしの願いじゃ半端すぎするし!」

「よくわかりませんが、お嬢様の夢が悪いわけではないと思うのです」 


 紫はティーカップを一緒に片付けようとして、指から少し血が出た。

 

「なんでそんなに優しくしてくれるの?」

「お嬢様の優しさを知っているからです」

 

 紫がうなだれると、執事が彼女の手を握った。


――


  桃華の部屋には、パステルカラーの家具が立ち並び、部屋を彩っていたが、彼女の表情は暗いものだった。

 明るい照明は、彼女のパステルカラーのサロペットを明るく照らしていた。

  

「紫パイセン……大丈夫かな」


 桃色の蛍光ペンを回しながら、桃華は髪を梳いていた。自分の服装を一通り見回すと、一息ついた。

 

 

「紫パイセン、アタシのファッションいいって言ってくれてたな」


 桃華はペンを回すのを止めると、ある考えが浮かんだ。


(自分らしさを追求しとけばよかったんかな……)


 トントン、桃華が眉間にしわを寄せていると、彼女の自室を叩く音が響いた。


「桃華、ご飯できたわよ」

「分かってる!」


 桃華は自室のドアを開けると、母と階段を下っていった。リビングのテーブルには色とりどりの食卓が並んでいた。しかし桃華の表情は精彩を欠いていた。


「ママはさ、自分らしさってなんだと思う」

「自分が他人の邪魔にならない限り、好きなことでいいと思うの」


 桃華の母が彼女の服装をちらりと見ると、桃華は何かを察したようにむっとした顔になった。


「だって、流行りに合わせないとやっていけなかったんだもん」

「流行りって誰かが決めた雰囲気でしょ。それに合わせるより自分の好きなことをやった方がいいんじゃないかしら」


 桃華は母の言葉を聞くと、目の前のスープを見つめた。

 

「モモちゃんは、モモちゃんでいいの……ほかのだれでもない」


 それを聞いた桃華は、瞳からあふれる涙を抑えきれなかった。太ももに拳を押し付けると、桃華の母は彼女を抱きしめた。

 

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