第30話「光の惑い、闇の垂涎」

 ズリズリズリ……理沙の手の中で角砂糖は粉々になったにも関わらず、彼女はそれを潰し続けた……

 トントントン……冴は指でテーブルをしばらく叩くと、何か思いついたのかクイーンの駒をどこからか取り出した。


「お前はチェスでいえば――」


 冴がクイーンの駒を理沙の元に進めようとしたとき……ガッ!理沙の大きな手が、クイーンの駒を冴の手ごと鷲掴みにした――

 ギリギリギリ……冴の手にクイーンの駒の王冠が食い込み、理沙の手の中から何かのマジックのように、血がだらだらとテーブルを伝った。

 痛みに顔をしかめた冴だったが、自分の血の匂いが鼻腔に届くと、顔を紅潮させた。


「へぇ……冴ちゃんって現実でも赤いの出るんやな……かわいいなぁ」

「……フフ、ナハハハ!このあーしが!即興とはいえ自分でも笑える!」

「じゃあ、話してよ……冴ちゃんってなんなん?」


 理沙は冴の手を離すとソファに背を預け、悠々と髪をとかし始めた。

 冴は血まみれのクイーンを後ろの席に放り投げると、テーブルに足を放り出し、二やついた。


「いいだろう……しかし、お前には共犯になってもらうぞ?」


――

 

 パタ!八重はテーブルに、冴の学生服姿の写真が張り付けられた資料を叩きつけた。そこには《赤羽冴――学校付近のゲームセンター内で女子生徒をバットで殴打し、中退》とあった。


「冴は5年前にこの事件を起こした後、消息が不明になっている……」

《その後魔法少女になったんだと思う……それから……》

「知らないこと以外すべて言え……」

《魔法少女はリタイヤができるんだよ……本来なら願いは絵の具と共に没収されるんだが……》


――


 冴はテーブルに投げ出していた足を素早くしまうと身を乗り出し、ティースプーンで自分の絵の具が入った瓶を軽くたたいた。


「ところがどっこい!最後まで勝ち残ってからリタイヤすると、絵の具は手元に残るんだよ!」

「はぁん……残されたキャンバスは、誰の願いを叶えたらええのか分からんくなるんか……」

「そういうことだろうな……」

「じゃあ、冴ちゃんって優勝トロフィーを捨てて帰ったん?」

「願いは暴れられたらなんでもいい……だからな……」


 理沙は合点がいって満足したのか、デザートとジュースを注文しだした。

 オーダーを受けに来た定員は、血みどろのテーブルをぎょっとした表情で見つめると、しばらくしてから慌てて布巾を取り出した。


「も、申し訳ありません?今すぐ拭きますから!」


 動転してテーブルを拭こうとした定員を見た2人は思わず吹き出す――震える定員の手を、理沙の手が握った。


「ええです、ええです、自分らで拭きますから」

 


――


「冴ちゃんは、勝ち残ってはリタイヤを繰り返したってこと……?」

《それしか説明がつかないかな……信じられないけども》


(本当に理由なんてないんだ……戦いたいだけなんだ)


 美幸は赤場冴という人物を理解した途端、彼女の心を理解する足掛かりを完全に失った。彼女が気を紛らわそうと、お茶請けとして出されていた白い和菓子を突き刺した……見る見るうちに中から真っ赤なイチゴのペーストが湧き出し、美幸の瞳はそれに吸い込まれていった――


「……大丈夫?美幸さん」

「あ、はい……」

《私もそんな魔法少女は見たことないが、別のキャンバスのことはわからないからねぇ……》

「――!待て、冴はそれを何年繰り返したんだ?」

「……関係あるんですか?」


――


 ガラガラガラ……!冴がポーチから大量の空の小瓶を取り出すと、理沙は手を口に当てて、むき出しになった歯を隠した。


「嘘やん!それ全部魔法少女の瓶なん!?」

「ああ……えーと、どれだ、ああこいつだ……」


 冴が無数の瓶から選び抜いたものには、青の絵の具がそこに少し残っていた――群青色のそれは乾ききって瓶のそこにへばりついていた。

 

「どんな子やったん?」

「こいつは……とんでもなく強かった……確か3回ぐらい前の」

「そんだけやっててもワイズペイントは今回がお初なん?」

「ああ、5年戦い続けたが、今回まで知らなかった……」

「……待って、冴ちゃんって今いくつ?」


 理沙が珍しくうろたえたのを見た冴は、犬歯を見せながら笑い出した。


「?……そうか!それも知らないんだよな!ナハハハハハ!」


――


「成長が止まる?なんで今まで言わなかったの!?」

《言う必要がないと思ってだね――》

「いや話すべきだろ!」


 八重の珍しい怒号に、美幸だけでなくキャンバスも黙り込んだ。、姿勢を正して座る彼女のその背筋から、清廉とした怒気が狭い和室の隅々まで伝わった……


《……このガールズキャンバスは、少女の願いを媒介にして発動するものなんだ。だから――》

「成長を止めないとイレギュラーが発生すると……そういうことか」


――


 じゃりじゃりじゃり……冴は自分の頭の、刈上げた部分を触ると首を振った。まとめられた金髪のおさげがゆらゆら揺れた。

 それにつられた理沙も自分の髪を見つめて撫でた……


「じゃなきゃこんな髪型、メンテナンスに金がかかるだろ?」

「確かに、うちも最近ヘアカットの予約入れたことなかったわ……」


 驚いていた理沙だったが、何かに気づくと目を細め、いやらしく笑った。


「やったらこれ、リタイヤし続ければ不老不死になれんのちゃうん?」

「そういうのに興味があるのか?」

「先輩はどんな気分なん?教えてよ……」

「いいだろう……最初は気分がいいが、だんだんと景色や感覚が褪せてくる……」

「そうなったらどうすんの?」


 理沙がジンジャエールの入ったグラスを傾けると――ガっ!冴はそのグラスを一瞬で奪って一気に飲み干した。

 理沙はそれに気を悪くするそぶりも見せずに、冴の回答を待った……

 

「こういう刺激の強いことしかしたくなくなる……」

「はぁん……なんか最近のことに合点がいったわ……」

「そうか、よかった……」


 冴が流すような視線を送ると、理沙は足を組みなおした……


――


「とめなきゃ……」


 うつむいていた美幸は、突然立ち上がると拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込んだが彼女は痛みを感じなかった。


「美幸さん?」

「あの子は言葉では止められない……」

《でも……今までの話が事実なら冴はかなりの強者だよ……ワイズペイントを発現する者は多くはない》


 美幸はその言葉に少したじろいだが、バックから小瓶を取り出し、見つめた――黄金を纏う真珠の絵の具は、ゆらゆらと煌めいていた。


「……美幸さんにもブレイブペイントがある」

《確かに、ブレイブペイントも強力だが……》

「あの時つかみ取った黄金が、私の本質なら……」

《?》


 未知に対する恐怖が、本能でつかみ取った勇気の前に、ひれ伏した瞬間を美幸は思い出した……勇壮な黄金の残り香が美幸の心に広がった。

――


「てか……冴ちゃんにとって美幸ちゃんってめっちゃ愛しい人やん。ブレイブペイントなんて見たことなかったんやろ……?」

「ナハハ、そうだな……それに」

「それに?」

 

 冴は注文したチャイティーに、ポーチから取り出した小瓶に入った蜂蜜を入れる――夕陽を浴びて黄金に輝くそれを、スプーンでかき混ぜると、褐色と黄金が溶けあった……


「あいつは大義や正義じゃなく、本能で人を守る……」

「確かに……頭より先に体が動いとるよね」

「倫理なんて、歴史の浅い道具だ……精神の方が先にできたと、あーしは思ってる」

「確かに……時代によって変わってまうしね」

「そんなもんができる遥か前から、破壊者と守護者は戦ってきた……」


 冴はチャイティーの入ったカップを持つと、香りを楽しんだ。一通り楽しんだ彼女は、テーブルに身を乗り出ていた理沙にもそのにおいをかがせた。


「あーしは戦いたいんだよ……」

「本物の戦士と?」


 2つの暗い双眸は――だが、その中に欲深い輝きを宿していた……


――END

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