第29話「喪失の後で」

 病院の長く続く廊下はどこまでも白く、病室から病室へと、アリのようにせわしなく行きかう看護師達の往来で満たされていた。

 その中でゆったりと、しかし丁寧に仕事をする清掃員が、美幸の目に留まった。

 しばらく彼の動作を見つめて落ち着いた美幸は歩を進める……

 廊下を歩く美幸だったが、足取りは重く、目当ての病室が目の前だというのになかなか進まなかった。


「ちょっと!お見舞いはいいですけど、あんまり大人数はよしてくださいね?」

「は、はい!……気を付けます?」


 美幸がやっとのことで病室に着くと、病室から出てきた看護士が、イライラしながら別の病室へと向かっていった。

 病室に入ったとき、美幸の疑問はさらに大きなものとなった。室内にはベッドで休む緑と、向かいに置かれた椅子に座る八重がいた。


「八重さんだけですか?さっき看護師さんが――」


 そこまで美幸が言うと八重は、緑の私物が入った車輪付きの棚を指さした。そこには紫と桃色のシュシュが日差しを浴びてその色を鮮やかに映し出していた――少し離れた影になっているところには水色のミサンガも置かれていた。

 美幸は表情を緩めた。同じように微笑んでいた八重と目が合ったとき、美幸の胸の重さは幾らかなくなった。

 

「私より早かったみたい……3人とも」

「そうでしたか……緑さんは?」

「落ち着いているんだけど……」


 美幸の視線の先では、緑が無心で折り紙を折っていた。いつもなら美幸達の表情をうかがう彼女だったが、まるで自分以外いないかのように、ただ無心で手を動かしていた。


「緑さんの願いは――」

「人の役に立つことです……本人からずっと前に聞きました」

「うん、だからたぶんね……」


 そこまで八重が言ったとき美幸は顔を伏せた――美幸の前髪で隠しきれなくなった涙は、病室の冷たい床に落ちた……


「私がやっぱり甘かったから……冴ちゃんを本気で倒すべきだった」

「それは私達らしくない……緑さんだって同じ風に感じたはず」

「でも……もうなくなっちゃった……緑さんの大切な色」


――


「……どうするんすかうちら?」

「どうするって、どうもしようもないでしょ……馬鹿」


 赤い落陽が建物の影を長くする中、紫と桃華は行く当てもなくショッピングモールを練り歩いていた。紫はフリルの付いたモノトーンの服装に身を包んでいた――紫のアイシャドーが、彼女のプライドと切れ長の瞳を際立たせた。

 紫は桃華の体を下から上へとなぞるように見渡し、顔をしかめた。


「あんた、なんなのその服?小学生?」

「ああ、これっすか?……ダサいっすよねこんなの……」

 

 桃華は水色のサロペットのポケットに手を突っ込み、バッグにはぎゅうぎゅうに詰めた缶バッジがちりばめられていた。顔はうつむいていたが、足取りはいつもより自然だった。


「でも、いつものケバイのより……あんたに似合ってるんじゃない?」

「……紫パイセ――」   

「あれ、読モのサキちゃんじゃない!?」

「ほんとじゃん!ヤバ!」


 紫達の歩む先に人だかりができていた。その中心には周囲の女性より何倍もあか抜けた女性が、困った様子で彼女達に応対していた。

 桃華はその女性を羨望と共に見つめ、諦観とともに視線をそらした。


「結局うちって逃げたんすね……読モから」

「アタシも、自分の心から逃げた……」


 2人はいつにもなく辛気臭い表情を浮かべ、いつにもなくしおらしかった。


「でもっすよ!?逃げた先はもっとやばいのがいて……」

「マジでソレ。あんなマッチョばかりとかあたしも聞いてないし……ふふ」

「馬鹿っすよねうちら、甘すぎて……アハハ!」

「マジでバカ!なんも考えてない!フフフ」


 2人はお互いをひとしきり笑いあうと、神妙な面持ちで夕陽で焦げたコンクリートの地面をみつめた。


「もう、着いてこなくてもいいわよ……見たでしょ。緑の姿……」


 桃華は歩みを止め、しばらく紫に置いて行かれたが、突然駆け出し、紫の前に立った。


「うちらの願い!せっかく色にしたらこんなにきれいなんすよ!」

「はぁ?何言ってんの?」

「今までに見たことないくらい、いい紫と桃色なんすよ!」

「だから?あいつらに実力も覚悟も負けてるでしょ?」


 黙り込んだ桃華を、紫は何度も追い越そうとしたが、そのたびに桃華は立ちふさがった。


「弱くても、覚悟がなくても……うちらそれでも願ったんす!」

「でもあいつらには――」

「理沙パイセン達は関係ないんすよ!紫パイセンの気持ちだって――」

「あんたにあたしの心がわかるっての!?うぬぼれんじゃないわよ!」

「だって――」


 そこまで言った桃華は紫の顔を見て黙り込んだ。紫の頬には涙が伝っていた――彼女の自慢のアイラインは崩れ、出来の悪いピエロのメイクのようになっていた。


「紫パイセンごめんな――」


 紫は桃華を押しのけ、顔を手で隠したまま、ショッピングモールを逃げるように駆け出した。

 そのあとを追おうとした桃華は、すぐに歩みを止めてしまった……小さな体から出た長い影だけがそこには残った。


――


「理沙ち―、ほんとに皆の願いを叶えるんだよね?」

「まぁ、うん……」

「ねぇ、こっち見て真面目に言って!!!」


 バン!理沙達がたまり場にしていた喫茶店の隅で、美香が隣に座る理沙を睨み、テーブルを叩いて立ち上がった。

 理沙は突然のことに目を丸くし、手元にあったグラスを倒してしまった――グラスからオレンジジュースが流れ、その上を氷が滑った。


「まぁ、焦るなよ……こっからが面白いんだからな。青波?」


 立ち上がった美香の肩に、向かいに座っていた冴が歩み寄り、肩に触れようとした……バシン!その手は美香の手で大きく払われた。


「だいたい、なんなのこいつ!こんなへんなの仲間にするなんて聞いてない!」

「これは嫌われたもんだな……あーしはお前が好きなんだが?」

 

 ニヤリと笑った冴に、美香は犬歯をむき出しにして睨んだ。呆れた様子の理沙が立ち上がり、美香の肩を両手でつかむ……


「どうしたん?美香……約束を守るためには、冴の協力は必要やろ?」

「――確かにこいつが強いのは認める……戦う様はかっこいいし……でも――」

「初めて魔法少女が退場したから混乱しとるんやろ?」


 美香の顔を優し気なまなざしで見つめた理沙は、彼女の頭を胸元まで引き寄せ、優しくなでた……


「だって緑っち、あんなふうに……黄華だって」

「大丈夫、うちが最後に全部叶えたるから」


 美香の視線が自分の胸に隠れると、理沙の瞳は、一気に外を包む暗い落陽の光のように冷たくなった。 

 

――

 

 




 美幸は八重の家の客間で彼女と向かい合っていた。客間は横から入る日差しのせいか、前に来た時よりも哀愁を美幸に感じさせた。


「これからどうすればいいんでしょう」

「あれからキャンバスについて調べていたんだけど、何も分からなかった」 

「それじゃあ――」

「でも、赤場冴については少し分かった」


 神妙な面持ちで美幸を見つめた八重は、赤い和菓子をつまようじで突き刺した。


「まず、公園で会ったとき違和感を感じたの……」

「あの時ですか……」

「赤場冴は魔法少女の瓶を首から下げていた……」

「あの時に冴ちゃんを仲間にしなければ……」

「そうじゃなくて――」


 そういうと八重はぱちんと指を鳴らす――すると、八重の隣に極彩色の球体が現れた。自分で呼んでおきながら八重は苦々しい表情で球体を睨んだ……


《なんだい八重、呼び出すならちゃんと名前を呼んで――》

「キャンバス、今回のガールズキャンバスに選ばれた魔法少女は何人だ?」

《本当に冴も君も……君を入れて9人だよ。もう7人だけどね》

「――!じゃあ、あの魔法少女の瓶は誰の?」 

《わからない……そもそも――》

「冴と契約した記憶すらないんだろう?キャンバス」


 キャンバスは八重の追及に黙り込んだ。表情こそないものの、キャンバスの居心地の悪さは美幸にもわかるほどだった。

 呆れた表情の八重は、バッグから束ねられた資料を出してテーブルに並べた…… 

 

 ――


 喫茶店の隅のテーブルで理沙と冴は向かい合っていた。暗い瞳同士が、お互いを飲み込むようにしばらく見つめあっていた……痺れを切らせた理沙が砂糖のカップから角砂糖を1つを取り出し、冴の方に弾いた。


「仲間になったついでに聞きたいんやけど、冴ちゃんってどこの学校なん?」


 理沙の疑問共に砂糖はサイコロのように転がった……

 

「あぁ?お前らの学校からちょっと北の方にある、吉良木坂高だよ……」


 カタッ……転がった砂糖がテーブルから落ちる前に冴はそれを受け止めた。理沙が挑発するように手を振ると、冴も砂糖をはじいた。


「え~!あそこなん!?結構頭良くないと入れへんとこやろ!何年なん!?」

「美幸達と同じ、2年だよ……」

「でも魔法少女としてこっちに来てるし、成績とか大丈夫なん?」

「まぁ、その辺は上手くやってる。心配無用だ……」


 角砂糖のキャッチボールの速度が増すほど、理沙と冴の会話は弾んでいった。先ほどまでの緊張感は嘘のようになっていた。


「さすが冴ちゃんつよつよやなぁ~」

「大したことなんてねぇよ……」

「でもさぁ……」

「あ?」


 ゆっくりと理沙の元に転がってきた角砂糖を……バキッ……彼女は一瞬で掴んで指で砕くと、瞳孔を縮めた。


「あそこ3年前に廃校になってんで?」


――END

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