第24話「燃え盛る者、澄み渡るもの」

 八重は自分の家の座敷で、薄紫の袴に身を包み、胡坐を組んで瞑想に浸っていた。家には彼女の呼吸の音以外なく――静謐としていた。座敷の壁にかけられた掛け軸には、筆で《明鏡止水》と書かれていた。しかし、彼女の閉じられた瞳はぴくぴくと動いていた。


(私には理沙さんを倒す覚悟がない……結局紫達にやらせるつもりだったんだ……)


 ピンポーン……八重の家中にインターフォンの音が鳴り響く。静かに立ち上がった八重は襖を開き、冷たく長い廊下を歩く……木の柱をいくつも越えて、よく手入れの行き届いた、庭園が見える縁側を越えて玄関まで辿りついた。

 ガラガラ……八重が戸を開ける――彼女の瞳に昼の日差しと共に、オーバーオールに身を包み、キャップのひさしを上げてあいさつする美幸が入った。


――


 ガチャ……バン!理沙が自宅のドアを手荒く通過すると、ふわり――彼女が脱いだ紺のフォーマルなジャケットとスラックス、橙色のシャツが舞い上がった。彼女は豪華なレースの下着のまま、広いリビングのソファに飛び込んだ。家の壁がほぼガラス張りできていることを、彼女は一切気にも留めなかった。


《黙って帰れ……人の心がわからないのか?》

(うるさい……)

《理沙ちゃんってたまに感情がないって感じするよね~》

(うるさい……)

《母さんはたまに、理沙ちゃんがわからないの……》

(だまれ……)


 理沙の心はすでに、自身の感情の灼熱の炎で焦げ付いていた。心に居場所を失った彼女は、気をそらせるものを探した。

 ガラスのテーブルに置かれていたリモコンを手に取った彼女は、目の前の大きな黒い板に命を吹き込んだ。ちょうど理沙が昔から見ていた、特撮ヒーロードラマの再放送がされていた。

 

「あ!うちの好きな龍日と、王我のシーンやん!」


 理沙はなじみの特撮ヒーロードラマの展開に心が躍ったのか、にこにこしながらテレビに食いついた。 

 紫色の悪役ヒーローが、徒党を組んでいた黒色の悪役ヒーローを裏切って倒し、それに主役の赤色のヒーローが激怒する展開だった……


《どうした?ランナーバトルってのはこういうもんなんだろ?》

《お前、最低だな……仲間だったんだろ!?》

《お前だってこいつを許せなかったんだろ?》

《それでもこんなやり方は許せない……人の心がわからないのか!?》

《俺もお前も人の心なんてわからんさ……》


「そうやん!見えへんからわからへんやん!」


《少なくとも……俺は人の痛みはわかる。やっちゃいけないことだけはわかる!》

 

「……」 


 ブツン!ドラマを放映していたテレビは、急に元の黒い板に戻った。何も映さなくなったテレビには――だが、眉をしかめた理沙の不機嫌な顔が映っていた。

 理沙は唐突に立ち上がると、ソファにあったベージュのクッションを手に取ると思いっきり壁に投げつけた……


「分からんくて……何が悪いん……」


 ――


「ん~~!おいしい!」

 

 美幸は八重が出した、お茶請けの和菓子の味を堪能していた――白く雪のように口の中で溶けるもの……月を模したもの……仄かな桜の風味のするもの……どれも美幸の舌には贅沢な品だった。ともに出されたお茶も絶品で、和菓子の甘みをちょうどよく中和していた。

 ふと部屋を見渡した美幸……八重の家は和風でありながらモダンな印象だった。通された客間も普通の和室より開放的で、昼の光がふんだんに部屋に入ってきていた。


「ごめんね……うちの両親は共働きだから……私しかいなくて」

「大丈夫です!逆にこんなおいしい和菓子食べていいんですか!?」

「大丈夫……私甘いのあまり食べられないから」

「じゃあ、遠慮なくいただきますね!」


 和菓子を頬いっぱいにほおばる美幸を見て、八重は微笑んだ。しかし、すぐにその表情は憂鬱なものとなった。


「私は理沙さんを元に戻すためなら、なんでもできると思っていた……戦士になったつもりだった」

「……仕方ないですよ……八重さんにとって大切な人だから……」

「考えた作戦もほとんどうまくいかないし……ダメな指揮官だよね」

「それはー私がちょろちょろ動きすぎたせいですね。前だって美香さんといちゃいけなかった……」

「まぁ、当時は紫達に、単独の美香を撃破させる予定だったけど……」

「けど……?」


 八重は安心したような表情で美幸を見つめた。


「失敗してよかった……美香も大事な友達だから……」


 八重は美幸が見たこともないような、情けない笑顔を見せた。しかし、それを見た美幸の表情は、安心したようなものにふわっとなった。


「これでよかったんです……私達。だって何のためらいもなく出来たら……怖いですよ」


 美幸のあまりにも素直な態度を見て、八重は微笑んだ。いつもより親し気な笑みだった。


「私、おかしいと思うんです……キャンバスって」

「どういうこと?」

「なんで皆願いが叶うって信じてるんだろうって……」

「確かに……みんな与えられた力を証明書だと思ってるね」

「私、一度立ち返りたいんです、元の自分に」

「なら……」


 八重は立ち上がると美幸を手招きした。


――


(イライラする……)


 理沙が気づいたときには、爆音の渦巻くゲームセンターに到着していた。暗い店内では、あちこちで赤や青の光がチカチカ点滅し、クレーンゲームの商品はほとんどなくなっていて、意味をなしていなかった。ジャキッ……理沙は紺のジャケットの襟を直すと悠々と歩みだした……男物のジャケットとスラックスを着た彼女は、周りの客の目をいくばくか引いた。

 彼女に、ここに来るまでの記憶はあまり残っていなかった。ただ茫然と歩き続けるうちにここに着いていたのだ。

 彼女はある筐体を見つけると、即座に席に座り込んだ。筐体には《スコーチドガールズ》と、相当に色褪せたタイトルが書いてあった。

 ゲームがスタートすると理沙は素早くレバーを弾き、次々と技を決める――開始して数十秒もたたないうちに、向こう側の筐体に居た男性が立ち上がり、理沙から顔をそむけるように去っていった。


(……なんやろ、この怠い感じ……魔法少女になってからや……)


 それからも何度も理沙に挑む者がいたが……少し手合わせすると皆席を立ってしまった。

 興味がなくなっていた理沙は、新たな挑戦者が席に着いたことを音だけで確認した。


(まぁ、大したことないやろ……)


 理沙は今まで通りの戦術で挑戦者に対応した――しかし……


(なんやこいつ……!これに対応してきたんは初めてや)


 見えない対戦相手は間合いの取り方、仕掛け方、理沙のキャラクターの挙動に対する対処……すべてが今までの相手より何倍も上だった。

 まるで理沙の思考を読み取るかのように、対戦相手は彼女を圧倒した。


「はぁん!ええやんけ!こういうのを待っとったんや!」


 理沙は気づいたときにはジャケットを脱ぎ、シャツの裾をまくっていた。彼女の思考速度は頂点にまで達し、動体視力は総動員され、集中力は最大になっていた……

 先ほどまでの虚無感、倦怠感は息をひそめ、彼女の脳内は刺激で満ちていた。

 少しづつ、理沙は勝ちはじめ、黒星と白星が同点になり始めた……


「もうええやろ……そろそろ顔見せてよ?欲しいんやったら……キスぐらいしてもええよ?」

「……あいにくだが、そういう趣味はあーしにはない……」


 その声に理沙は驚愕した。反対側の筐体から立ち上がって、向かってきたのは赤場冴だった。赤いスカジャンに茶色のガウチョパンツ……キャラメルカラーのサンダルは異様なシルエットを醸し出してた。

 それを見た理沙は、長い指を顔の前で突き合わせて歓迎した。


「冴ちゃんや~ん、ゲームもつよつよなんやな~最高やったで~」

「あーしも困ってたんだ、たるくてよ……」


――

 

「すぅ~……はぁ~」

「すぅ~…………はぁ~」


 美幸はいつの間にか《明鏡止水》の掛け軸のある和室で瞑想をしていた――八重と共に。

美幸の心は静まり、呼吸を合わせるうちに、隣にいる八重と心のスピードが同調するかのようだった。

 思考を静めると、次第に空気が鼻の奥を通り、肺を膨らませる感覚がわかるほど集中していた。


(…………あ、呼吸が深くなった)

「そろそろやめようか……」


 八重の声で美幸の意識は、体内から外界へと引き戻された。心なしかいつも以上に、八重の顔や、周りの景色が鮮明に見えるような感覚が彼女に宿った。


「ふぅ~すっきりした~」

「なら、よかった。私は迷ったとき、いつもこうするから……」

 

 美幸は手のひらを握ったり、開いたりして感触を確かめると……八重に向き直った。


「私、やっぱりキャンバスで誰かを倒すなんてできません。そんなの私じゃないから……」

「……それでいいと思う。私も理沙さんを倒す覚悟はやっぱりできない……」

「何かほかに方法があれば……」

「私も色々調べてみる……」


――


 ドォン!パンチングマシーンの的が大きく揺れながら倒れ、ゆっくりと起き上がる。左に嵌められていたボロボロのグローブを取りながら理沙は測定を待った。スコアが出た瞬間、冴と周りの男性客が驚愕した。


「アハハ!やばいな金城!」 

「なんでわろてんの?」

「220㎏だってよ!おめぇゴリラじゃねぇか!アハハ」  

「うちやったことないから平均わからんもん……」

「あーしでも140㎏ぐらいだぞ。男の平均がそんなもんだ……」


 理沙が振り向くと、周りに居た男性客は蜘蛛の子を散らすように去っていった。


「はぁん……そう思ったらなんかギラギラしてきたわぁ」

「やっちまえ!ゴリラ!ナハハハ!」

 

 理沙の心はギラギラと燃え上がり、野心とも闘争心ともつかないその心は、彼女の体内で太陽となった――彼女のギラギラした瞳を見た冴も、心に焦げるほどの刺激に対する期待が満ちていた。

 体幹に力を入れ、そのまま左腕を大きく振りかぶると……

 ダァァァァン!!大きな衝撃がパンチングマシーンの的を揺るがした……


「来るぞ……260!やばいなお前!ナハハハハハ!」

「あーあ、うちが男やったらなぁ……」 


グローブを外しながら、理沙は少し不満そうに眉を下げた。見かねた冴は、理沙の前でコイントスをした――結果は裏だった……


「だからあーしはキャンバスに感謝してる……あそこなら、あーしらみたいなあぶれものが好き放題できる」

「――せやね、せやね……せやね!」


 活力を取り戻した理沙は目を瞑り、天を仰ぎ見た――その様を見た冴は静かにほくそ笑んだ……

 

「あ、せやこの後ごはんでも……あれ?」


 理沙が振り向くと冴はいなくなっていた。


END――

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