第20話「届かぬ思い」

 八重と緑は2年生の教室の廊下を、振り返る生徒を無視しながら駆けていた。彼女達の瓶はほんのりと光り、熱を帯びている。八重の手に握りしめられたスマホから声が聞こえる。


「だ、だれですか?」


 八重は緑の質問に、赤い絵の具の入った瓶を見せると、スマホからの声に集中した。


《誰が戦ってる?あーしはすぐには行けん》

「おそらく美幸さん……!」

《お前の予想なら美香が狙われるって話だったが?》

「だから急いで――」

「美香に任せときーな……」


 駆け抜け抜けていた八重と緑は立ち止まり、背後を振り返った。そこには理沙が、本を片手に仁王立ちでいた。


「また足止めですか?」

「ちゃうちゃう、あっちは2人に任せて世間話でもせん?」



 八重は眉を吊り上げ、逡巡したが、理沙が瓶をちらつかせると諦めるように体の力を抜いた。


「相変わらず気まぐれですね……」

「分かっとるやん?」


 緑は八重と顔を合わせると真剣な面持ちでうなづき、その場を足早に去った。


「行ってらさーい」

 

 理沙は肩をすくめると本をゆらゆら揺らした……



――



「もうちょっと打撃を与えられれば良かったんだけど……ね!」

「です……ね」



 美香は飛び上がり、錐揉み回転しながら撃槍を振り回し、ゴーレムの頭をかち割った。続く美幸もゴーレムの攻撃を盾で受けてそらし、反撃の一撃を見舞った――その瞳には迷いが見えた。


(さっきの一撃……手を抜いてしまった)


 対する紫達はまったくダメージを受けずに、桃華の作ったゴーレムの手に腰掛けながら、優雅に戦場を見守っていた。


「がんばれよ~愚民ども~」

「早く倒さないとやられるっすよぉぉ?」

「にしてもラッキーだったな、白井のやつ外しやがった。なぁ?紫」

「あ……あぁ」


 その中で紫だけは少し、神経質そうに髪をいじりながら周囲を警戒していた。紫の瞳は左右にきびきび動き、カツカツカツ……貧乏ゆすりをするたびに彼女のハイヒールがと音を立てた。


(こいつら何を呑気に……早く美香を仕留めないと……)


 美幸の周りが大きな影に包まれる。その瞬間、美幸の生存本能が彼女を振り向かせた――


(――!後ろ!?)


 ゴワァン!美幸は轟音を聞く――彼女の兜にゴーレムの破片がこつんと跳ねた。


「大丈夫?美幸っち?」

「――!」

「わぁっと!」


 突然美幸は美香を突き飛ばし、彼女の前に躍り出た――ガン!ギチギチギチ……ゴーレムの腕に、美幸の剣が食い込んでいた――


「――あたしも頑張んないと」


――


 2人しかいない図書室には、窓から差す光で、室内のチリがきらきらと煌めいていた……静謐なこの空間は――八重にとっては心地がいいものだった。普段なら……

 向かい合って座った2人の間にはしばらく沈黙が続いた。

 

「正直どう思う?」

「何がですか?」

「魔法少女になって願いを叶えるっての……」

「なにを今更?」


 呆れた八重を前に、理沙は椅子にふんぞり返った。そうして持っていた本の適当なページを開くと、9色の蛍光ペンを取り出して線を引き始めた。

 理沙は本の適当な文字を、右手で持った桃色のペンでなぞるように線を引く――続いて左手で持った紫のペンで、また適当なところに線を引いた。ピンクのペンを捨てると最後に黄色のペンで文字すらない場所にぐにゃぐにゃな線を引いた。


「ある者は読者モデルになりたい……ある者は恋を叶えたい、はたまたあるものは一生遊んで暮らせるお金が欲しい……」

「私も理解はできないが……尊重はしたい」


 八重の言葉に目を細めた理沙は、さらに緑のペンでやたらと丁寧に線を引いて――水色のペンでおおざっぱな線を引いた。


「人の夢を応援したい、人に恩義を尽くしたい……で次は?」

 

 そういうと理沙は珍しい銀の蛍光ペンを構えて、八重を暗い瞳でにやにやと見つめた。


「理由もなく人を助けるあなたが好きだった……」

「うちは今でもここのヒーローやけど?」

「全然違います……」

 

 理沙は張り合う気がないのか、手を挙げて降参のポーズをとった。


「正直こんな願いは自力で叶えるか、あるいは願いとして持つべきではないと思うねんな」

「皆あなたのように強くはないのです……」

「まぁ、ええわ。で、残る3つなんやけど……」


 理沙は待ってましたと言わんばかりに本を急に閉じ、ベージュと赤の蛍光ペンを両手で構えると、一気に表紙に線をクロスするように引いた――


「片やただ戦いたいだけ……片や人が諦めないようになってほしいだけ。この二人はおもろない?」

「片方は同意しますが、もう片方は――」

「どっちも一緒やで……」

「は?」


 八重は、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情になった。その表情を期待していたのか、理沙はニヤリと笑った。


「なんていうか……過程自体に価値を見出してるって感じ?」

「……まぁどちらも明確な目的がありませんね」

「やからおもろいねん」

「それで……」


 八重は残った橙色の蛍光ペンを見ると、理沙の顔に視線を移した。

 理沙は八重の視線に、ニヤッとした表情で返すと、左手で橙色の蛍光ペンをくるくる回した。


「うちは~……なんやろな?」


 理沙はもったいぶるような表情でいたが、何かを感じると急に立ち上がり、八重を置いて去っていった。

残された八重は、本の表紙をじっと見つめることしかできなかった……


――


ガキーン!


「ぐぁぁぁぁ!」

「美幸っち!?」


 ゴーレムの太い腕が、美幸の体を盾ごと吹き飛ばした。美香が倒れた美幸をかばうように膝をつく……それを見た紫は立ち上がると矢をつがえ、3本の矢に一気に絵の具を滑らせると、一呼吸もおかずに放った。


「紫パイセン、そんなに焦らなくても……」

「そうよ、このまま――」

「黙れ!」


 放たれた矢は、美幸を庇うのに集中して、バリアを張り損ねた美香の胴体と踵に迫った――

 ズグッ!

「ぐわぁぁぁあぁ!」


 美香の悲鳴が、美幸の頭にこれでもかというほど響いた。彼女の目の前で倒れた美香の体には、水彩絵の具がしみるような紫のあざが広がっていた。美幸の頭が真っ白になる……


「ざまぁ見ろよ!プリン頭!」

「なんで……今まで友達だったんでしょう!?」

「元から気に食わなかったのよ……」



 紫は吐き捨てるようにそう言うと瓶のコルクを弾き、中身を優雅に振りまいた……


「ファイナル――」

「ファイナルペイント!!」


 紫の最後の一撃の宣誓は、上ずった大声に遮られた。それと同時に翡翠色の波紋がキャンバス全域に広がった。同時に美幸の視界に翡翠色の榴弾の軌跡が、空へと駆け上げるのが見えた――

 榴弾が空に届くと、空は翡翠色に染まり、びゅうびゅうと音を立てた――それは嵐の到来をそこにいる全員に予感させた。


「緑さん!」

「なんであの眼鏡が!」

「どうするんすか!?」

「空からなんか来るのはわかるだろ!ゴーレムに隠れろ!」


 ゴーレムは一斉に紫達を覆うと砦のように固まった。隠れていた桃華が息をのむ……

 

「翡翠の嵐よ!」


 ヒュー……ドンドンドン!!緑の宣言と共に、翡翠色の流星がいくつもキャンバスに降り注ぐ。紫達を庇っていたゴーレムの背中が吹き飛ばされ、翡翠色の爆風に交じって、桃色の鉱石の粉塵がきらきらと舞い上がった……

爆心地から離れたところで美幸は、引きずって運んできた美香と、誘導した緑と共にその光景を見守るしかなかった。美香の憔悴した顔を見るたびに、彼女の心に鈍い鉛の泥が食い込む痛みが広がった。


「私のせいで……私がもっと覚悟を決めていれば」

「美幸さんは間違ってません……」

「でも――」

「前、私にも言ってくれましたよね?結果が悪くても姿勢は間違っていないって……」


 緑の真摯なまなざしを受け取った美幸は、一瞬目をそらそうとしたが、強い意志を持って見つめ返した。

 美幸と緑は立ち上がると武器を構える……ぬるりと立ち上がり、再生するゴーレムを前に激戦を予想した。


「た、ただの花火じゃん。驚かせやがって芋女2!」

「た、確かに絵の具の供給は無限だし……」

「黙って仕留めろ!」

 

 紫は矢を5本つがえ、一気に放つ。それを皮切りに、ゴーレム達の群れも突進する。美幸は間一髪で矢をはじく、が――ゴリュ……5本の矢をはじいた衝撃が盾から伝わると、美幸の腕はぶらーんと垂れさがり動かなくなった。


「あぇ……」

「美幸さん!下がって!」


 翡翠色の爆撃がゴーレムの行く手に立ちふさがるが、その進行を止めることはかなわなかった。 

 先頭のゴーレムが腕を振り上げ、ハンマーのように振りかざしたその時だった。

 ゴーン!美幸の体に来るはずの衝撃は、だがしかし、橙色の戦斧によって遮られた――彼女の前に立ちふさがったのは烈日の覇者だった。


「この戦、うちが預からせてもらうわ――」


――END






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