第12話「桃色の天蓋の中で」
美幸はお気に入りのオーバーオールを身にまとい、ショッピングモールを練り歩いていた。天から真っ逆さまに落ちてくる日の光はキャップのつばで遮られて、美幸はつばから伝わる熱でそれを感じることができた。行きかう人々の顔を見ると、美幸の口元は思わずほころんだ。そんな美幸の視界に意外な人物が入り込んだ。
(桃華ちゃん?)
美幸は人違いかと思ったが、風見鶏桃華その人が、服飾店で年上の女性に服を押し当てて朗らかに笑っていた。
「桃華ちゃん?」
桃華は一瞬固まった後、何食わぬ顔でショッピングを続けた。
「で、でさーママはどれがいいと思う?」
「?ももちゃん……あのこ――」
「こ、これとかどう。ママ若いく見えるし似合うと思うけど!」
フリルの付いた服を手に取り、桃華は美幸と母親の前に割って入った。
「風見鶏桃華ちゃん!」
「も、ももちゃんお友達?が呼んでるわよ」
「う、うそーママお祓いでもやってもらったら?下の階に占い師っぽいのがいたしー」
桃華の母を覗こうとする美幸をブロックしながら、桃華は強引にショッピングを再開しようとしていた。
「風見鶏桃華さん」
「……もう無理よ?ももちゃん」
「あああ!もうわかったわよ。この子は芋……じゃなくて白井美幸さん。アタシの……友達」
「アタシ?ももちゃん?」
桃華はウェーブのかかった頭をわしゃわしゃと搔くと、ぎこちなく美幸と肩を組んだ。
「あら~モモちゃんのお友達だったのね~私は風見鶏秋江よ~よろしく~」
「……とにかく合わせろ芋女」
「合わせろって?」
「どうしたのももちゃん、みゆきちゃん?」
美幸に耳打ちした桃華は、すぐに貼り付けたような笑顔で母親に向き直った。
「せっかくだからみんなでお買い物しましょうか~」
「大歓迎ですよ!……モモちゃんもうれしいですよね!」
美幸は彼女らしからぬ邪悪な笑みをしながら桃華の反応を待った。
「あああ~楽しいなーともだちと買い物、たのしいなー」
「じゃあ、美幸ちゃんにお洋服選んでもらいましょうか!」
「はぁぁ!?」
服飾店に居た全員の眼差しが桃華に注がれた。桃華がそれで静かになったのを見て、美幸はにやりと笑った。
「だめですよ?ももちゃん」
「ぐぬぬぬ」
――
薄暗く、チャイティーのむせるような甘い香りの充満する部屋で、冴は自分のテーブルに敷かれたメモ帳にペンを滑らせていた。メモの周りには色とりどりの飴が散らばっていた。
「青波美香、あの機動力で油彩タイプとは恐れ入ったな」
《集めたカードを見ているのかい》
キャンバスの存在を感じた瞬間、冴の表情は険しいものになり、黄色の飴を壁に投げつけた。
「お前はなんであーしの邪魔がしたいんだ?」
《他の子は人といるからね……一人な君がかわいそうで……》
「ふん……まぁいい。あいつは遥か後方に居た、緑の射手のとこまで一発で強襲しやがった……」
冴は水色の飴を手で持ち上げ、透明な飴と白色の飴を通り越させ、緑の飴にぶつけた。2つの飴をぐりぐりさせたあと、緑の飴を放り投げた。
《今までにあんな油彩タイプはいなかったね。理沙といい番狂わせが多い》
「状況分析ににも秀でていて、不利な状況を駆け引きで乗り越えた……」
《ちなみに美香はバリアと合わせても、瓶の3分の1も絵の具を使っていないよ……》
「はぁ、大したもんだ……」
冴は青い飴を天井の照明にかざし、透き通った内部を楽し気に眺めた。しかし、テーブルに散らばった、紫と桃色の飴を見た彼女は侮蔑の表情を見せた。
「それに比べてこの2つのごみはなんだ?」
《紫はまだしも、桃華はひどいねぇ……》
「そうこいつ!あの銀のフィールドがなかったとしても、あんなにどばどば絵の具を使う馬鹿はいない」
《私が見た中でも最弱かもね》
「だろうな。なによりあの意志の無さが……ふふふ、ハハハハハ!」
《君がいつも一人な理由がわかったよ……》
冴はキャンバスの毒づきを物ともせず笑い続けた……
――
買い物を一通り終えた美幸達は、ショッピングモール内のカフェで一息ついていた。桃華の抱える袋には、ポップでファンシーな服が詰められていた。
「こんな服ダサいし……またクローゼットのごみが増えちゃった」
言葉とは裏腹に桃華の表情は穏やかで、いつもの陰険な表情は霧散していた。
美幸はふと桃華の私服が気になった。いつもの派手なピンクのアクセサリーは少なく、水色の丈の短いサロペットのポケットに手を突っ込み、バッグには可愛らしい缶バッジがぎゅうぎゅう詰めになっていた。全体的にパステルカラーでまとめられ、ポップな雰囲気を漂わせていた。
「ももちゃんって普段はそんな格好なの?」
「うるさい……トイレ行ってくる」
上機嫌だった桃華は急に機嫌を損ねて、席を立ってしまった。美幸と2人きりになった秋江は物憂げな表情で、手元のコーヒーをスプーンでかき混ぜていた。
「あの子、昔はああいう格好をずっとしてたの。友達と会う時も……」
「昔は?」
「そう、それに昔はもっと笑う子だった……」
「――何かあったんですか?」
――
トイレの洗面台でメイクを直していた桃華は、いつもなら数分で終わる作業に妙に手間取っていた。ファンデーションのパフが洗面台に落ちる。パフに水が染みていく……
「ああもう!最悪……なんであんな奴をママは……」
道具を拾い上げた桃華は、よれよれになったパフを暗い瞳で見つめた……
「アタシはもう芋女じゃない……」
――
可愛い水色の短い丈のサロペット、お気に入りのキャップにはかわいい缶バッジ、可愛いパステルカラーポーチは彼女の一番のお気に入り。今日の桃華は彼女史上最高かわいく決めていた。青い空と照りつく日差しは桃華を祝福しているかのようだった。
彼女は喫茶店でくつろいでいた、大人っぽい服装の3人の少女達の集団を見ると、一目散に駆け出した。
「遅れてごめん、待たせちゃった?」
「あー桃華、おそ……かっ……たじゃん?」
「――桃華って普段そんなんなんだ?」
「え……う、うん。そうかな?」
「……いいんじゃない?」
桃華を視界にとらえた瞬間、にこやかだった少女達の表情が一変した。桃華の本能は、背筋にひんやりとした感覚を彼女に滑らせた。しかし、彼女はその正体を掴めなかった。その時桃華のおなかが急になりだした。
「いや~何も食べずに来たから……鈴音ちゃんたちは食べた?」
「ううん……先に食べに行こっか……」
少女達はお互いに目配せをすると、桃華を連れてショッピングモールに繰り出した。桃華の本能が帰るべきだと告げていたのを、彼女は理性で押し殺した。
――
桃華はいかにも高そうなレストランの看板を呆然と見つめていた。鈴音達はその入り口を抜けると、自慢気な表情で振り返った。
「うちらは安っぽい味じゃ舌がおかしくなっちゃうから」
「桃華もうちらといるならこれぐらいの店じゃないとだめだよ」
「そ、そうだよね……」
訝し気な表情を浮かべた桃華だったが、彼女の足は前にしか動かなかった。
桃華達はレストランを離れ、近くの服飾店に足を運んでいた。周りには桃華達と、同じくらいの年の少女であふれかえっていた。悠々と歩く鈴音たちの後ろで、桃華は薄くなった財布を陰鬱な瞳で見ていた。
「うち、これがいいな」
「鈴音ちゃん……それめっちゃ高いんじゃ」
「うちはこれ買っちゃおっかな……」
桃華は少女達の手に取った服の値札を見て驚愕した。どれも5桁に近い値打ち物ばかりだったからだ。
「桃華はなんか買わないの?」
「いや~アタシはいいかな。今持ってる服で十分コーデできるし……」
それを聞いた瞬間、鈴音の顔が豹変した。
「はぁ?じゃあうちらの買い物は無駄だっていうの?」
「い、いやぁそうじゃなくって……アタシは」
「てかさ……桃華って調子乗りすぎじゃない?」
「さっきだって、なんか安い料理ばっか頼んでたし」
「だって、あれだけでも十分おいしかったし……」
桃華の表情は一気にこわばり、手と手をこすり合わせ始めた。その仕草を見た三人は、桃華を試着室に連れ込んだ。
「その缶バッジといい……自分は周りとは違います、みたいな?」
「そんなことは……」
「じゃあ何なの?これ」
鈴音は桃華のキャップを取り、缶バッジを外して下に落とした。桃華がそれを拾おうとすると、鈴音はそれを踏みつけた。
桃華の目が潤んだのを見た鈴音の瞳は、三日月形に歪み――それには彼女の歪んだ愉悦のすべてが詰め込まれていた。
「そのポーチも……なんていうか芋くさいのよ」
「――!」
「キャハハ!もう桃華って芋女じゃん」
「それまじわらう。芋女!芋女!」
「アタシは……」
「アタシ?」
「あた……う、うちは芋女です――すいやせんでした!」
――
桃華の瞳には涙がにじみ、アイラインは溶けてめちゃくちゃになっていた。
「くそ!」
桃華は化粧道具の入ったポーチを投げた!ドス!彼女に聞こえた音はポーチが落下する音ではなかった。振り向いた桃華は顔を手で覆った。
「あんた!なんでこっちに来たのよ!」
「なかなか帰ってこなかったからお母さん見てきてって」
桃華は背を向けたままになった。美幸は無理に桃華の顔を見ようとせず……続けた。
「私、ももちゃんに何があったかよくは知らないど――」
「じゃあ、黙ってろや!」
美幸は目を丸くしたが、直後に凛とした表情になり続けた。
「あなたはあなたでいい」
「分かったような口きくなよ……芋女」
「うん、だからこれ以上は言わない……」
美幸はそれだけ言うと女子トイレを去っていった。
「くそっ!クソ!」
桃華の嗚咽交じりの泣き声だけが女子トイレに響いた――
END――
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