第10話「翡翠の誓い」
美幸は自室の机に頬をぺったりつけ、窓から差す陽気に浸りきっていた。目の前にあるノートにはいくらか勉強した後があったが、途中から落書きに変わっていた。
ブブッ……スマホのバイブレーションが美幸の気を引いた。彼女はゆっくりとそれを手に取ると、にっこりと笑った。
ピンポーン!美幸の家のインターフォンが鳴り響く。
「美幸~あんたが言ってた子じゃない?」
「今出るから!」
べたべたべた……裸足で階段を駆け下りた美幸は、玄関にあるサンダルを乱暴に履くとドアを開けた。
「ご、ごめん待たせちゃった?」
「ううん、全然」
二人は階段を上がると、美幸の自室に入った。
「ご、ごめんね八重さんと会う前に話したいとか言っちゃって……」
「ううん、私も話したかったから……」
緑は部屋の中で座って美幸と向かい合うと、しばらくしてから滔々と語りだした。
「わ、私がキャンバスに祈ったのは人の役に立つことなの……」
「素敵だと思う……」
「ほんとかな?」
「え……」
朗らかだった緑の表情は重く暗いものへと形を変えた。
「わ、私ね……あんな風にどんくさかったから中学の時いじめられてたの」
「どんくさいだなんて……」
緑は美幸に目線を合わせていたが、その瞳に美幸は映っていなかった。
「それまでは人に親切にして生きてれば、何も悪いことは起きないって思ってたの……」
「それで悪いことなんか起きちゃだめだよ」
美幸の回答を予測できていなかったのか、緑は少し驚いていた。
「で、でね、中学に上がってから……」
――
八重はK市市内の交差点で信号の赤いランプを見つめながら立ち尽くしていた。八重の隣は信号の色が変わるのを待つ人々でいっぱいだったが、八重はそうではなかった。
「あの子達、来るかな……」
信号が青になったが八重は進めずにいた。
――
「……そんなひどいこと」
「私、それまで人に悪意を向けられたことがなかったから、やられ放題だった……」
「うん……」
緑の瞳は暗く焦点が合わず、汗がにじみ出ていた。握る手は太ももに沈んでいた。
「誰か助けてくれた人は……」
「居たの。私の友達がそのことを担任の先生に言ってくれて」
すがるようだった美幸の表情は、ふっと明るくなった。
「あぁ、それでいじめが――」
「でもね……私、担任の先生に呼ばれたとき、庇っちゃったの……その子達のこと」
「え……」
美幸は思わず言葉を失ってしまった。暖かくなったはずの彼女の胸の奥に薄暗い膜が下りた。
「結局私って親切にすることしか知らなかったの……卒業まで地獄だった」
「それを……」
「それを?」
「悪いことだって言いたいの――?」
「え?」
緑は予想外の言葉だったのか、固まってしまった。
「確かに結果は悪かったかもしれないけど、その姿勢が間違ってるとは思わない」
「でも、それじゃ都合がいいだけの――」
「そういう人達にははっきり言えばいい……」
「……」
美幸は凛とした表情で緑を見据え、決して視線をそらさなかった。
「……うん、私が間違ってたんじゃないよね」
「うん……そろそろ、行こっか。八重さん結構時間に厳しそうだし」
美幸がそう言って微笑むと、緑も微笑み返した。
――
八重がいるファミレスの店内は前回来た時より人が多く、彼女にとってやや過ごしづらかった。人通りの少ない端の席に陣取った彼女はイヤフォンを装着し、曲に聞き入っていた。広げられたノートには、魔法少女の情報が描かれていた。八重が入り口に視線を移すと、美幸と緑が手を振っていた。2人に一瞥した八重はイヤフォンを外し、小走りする二人を迎えた。
「……2人は嫌じゃなかった?ここに来るの」
八重の唐突な質問に2人は首を傾げた。
「この前はめんどくさいこと言っちゃったから……」
「八重さんの優しさだと思ってます……!」
「ま、負けたら願いを失っちゃうから……」
八重は2人をしばらく見つめた後、ふっと笑った。
「じゃあ、やろうか」
八重が瓶を取り出すと2人もそれに続いた。
極彩色の空間には木々ではなく、岩石があたりを覆っていた。七色に光る鉱石は空から注ぐ光を淡く反射していた。
「……教練の誓いは立てたから――」
ダァァン!八重ののどを翡翠の弾が霞めた。銀の絵の具が八重の首を伝う。
「――!それでいい!」
緑はすでにエンチャントを済ませ、一切もたつかずに次弾を装填していた。
それを見た美幸は緑に一切振り向かず、瞬時に、まっすぐに、最短で八重に突撃した。八重はサイドステップで軸をずらそうとしたが、翡翠色の軌跡がそれを遮った。八重は一瞬視線を美幸からそらしたが、美幸とすぐに目が合った。遠くで爆音が響く……
(体が覚えてることだけでいい!)
美幸は十分に距離が近くなると体幹に力を入れ、渾身の突きを放った。しかし、八重の体をとらえることができなかった。それどころか八重は美幸の視界から消えた。
「美幸さん上!」
美幸の耳に緑の報告が届き、自分の周りが暗くなったのを感じると、すぐさま後方上空に盾を投げた。ガン!甲高い音と共に盾が地上をえぐる。
美幸が振り向くと、八重の槍による一撃が後方の岩盤をえぐっていた。粉砕された虹色の鉱石がきらきら輝く。
ガチャ……美幸の後方から銃のリロード音が響いた。その音を聞いて美幸の心は熱くなった――
「かなり……やるね」
盾をなくした美幸は、すぐさま突撃しながら自身に絵の具をかけた。真珠色の恩寵を美幸は纏う――
「美幸さん盾なしじゃ――!」
「回復し続ければ問題ない!」
美幸は八重の槍の一撃を、左手でかばいながら接近した。八重が攻撃を諦め、後退しようとしたその瞬間――
ヒュン!ドーン!美幸の顔の横を翡翠色の軌跡が横切ると、八重の足元を翡翠色の爆風が包んだ。八重は態勢を崩し、美幸の前で隙をさらした。美幸は腰から足に力を込める――彼女が足を踏み出すと粉塵が舞い上がった。
「ここで!」
美幸の渾身の突きは、八重の腹をとらえようとしたその時だった……辺りの岩石が紫と桃色の光に照らされた。
「あんたらさぁ、何コソ錬してんの!?」
「芋女らしいって感じ……」
美幸が手を止め振り向くと、紫が矢をつがえて、桃華が地面を鞭で叩き、桃色の鉱石でできたゴーレムを召喚していた。
「なんの用?紫……」
「見ればわかるでしょ……ウサギ狩りよ」
「もう八重先輩は、パイセンじゃないんで……」
八重は一瞬周囲を見渡すと、ふっと笑った。
「あなた達だけでできるの?」
「はぁ!?」
野蛮な怒りを露わにした紫は、紫の絵の具が滴る矢を八重に向かって撃った。ガン!しかしその矢は真珠色に輝く盾に守られた。一瞬美幸の盾に紫の絵の具がにじんだが、真珠色の輝きがそれを押しとどめた。
「……美幸さん?」
「私は味方を守るのに集中します!それでいいんですよね?」
「守るだけじゃないよね?」
「ふふ……分かってます!」
「緑さんは――」
ダァァン!八重が言い終わる前に銃声が響いた。
美幸と八重は緑に一瞥もくれず、紫達を正面に据えた。互いの武器がそれぞれの輝きを纏った……しばらく静けさが続く。緑の額に汗がにじんだ。
(美幸さんと銀城先輩を信じて、私のできることを……!)
「そういえば、領域の話だったけど……」
「どうすれば?」
「よく見といて……」
八重は自分の瓶を手に取り、足元に絵の具を撒いた後、槍の石突を地面に付いた。
「銀月よ……染めよ」
八重の足元から銀の絵の具が冷気を纏って辺り一帯を染めた。その光景は冬景色のようで、緑は心を奪われて感嘆を吐いた。
「ここより先は銀月の領域……」
「やばい……桃華!あんまり絵の具を使うな――」
「なんすか紫パイセン?」
紫の制止も虚しく、手を止めた桃華はすでに大量の絵の具を使って、ゴーレムにエンチャントしていた。
「くそ!そのおもちゃをとっとと突撃させろ!」
紫は目をきょろきょろさせた後、緑を見つけて睨み、弓を引く。桃華はそれ見ると慌てて緑にゴーレムをけしかけた。
(やっぱり私を狙ってくる……弱いから)
「美幸さん……」
「分かってます!」
放たれた矢は、美幸の盾で防がれた。紫の絵の具は一瞬盾を侵食したが、またもや真珠の輝きに遮られた。それを見た途端、緑は後退を始める。ゴーレムが一歩歩くたび、緑の額の冷や汗が増える……
(できるだけ引き付けて……ここで!)
緑が振り返るとフリントロックライフルの撃鉄が下り、翡翠色の火薬が煌めいた――ゴォォォン!ゴーレムの集団が翠色の爆風に包まれ、桃色の粉塵がきらきらと舞った。翡ほとんどは体の一部を失って倒れた。
「う、うちのゴーレムが!?はよ作り直さんと……!」
緑の照準器に映る桃華は、ぞっとした表情で自分の瓶を見つめた。緑は彼女の瓶を見てその正体に気づいた。
「絵の具がもどってへんやん!?」
「私の領域で調子に乗るから……」
「これなら!」
八重と美幸が桃華に突撃したのを見計らって、緑は射線をずらし、桃華にクロスファイアを浴びせた。もはや汗は、冷えたものではなかった。
(逃さない!)
「あぁぁもうめんどくさい間抜けが!」
「ど、どうすればいいんすか!?」
「桃華!八重の領域が切れたら塗り替えせ!」
「は、はい!」
表情をゆがめた紫は残ったゴーレムと共に桃華の前に立ちふさがった。八重の槍は固い腕に遮られ、美幸は紫の射撃で進行を止められてしまった。緑は少し思案した後ニヤリと笑い、銃口をななめ上に向けた。
(エンチャントしていれば私の弾は――!)
キィィィン!緑の放った榴弾は、流星のように空に軌跡を残し、桃華を目指した――
「嘘、芋女なのに……」
ガァァン!ドォォォン!翡翠色の輝きを呆然と見つめていた桃華は……だが、爆風に包まれることはなかった。……水色の波が飛沫を上げ、サンダルが地面を踏みつける音があたりに響いた。
「くそ……まずいのが来たな」
八重は瞳を閉じ、顔を伏せた。
「ん~ん、あたしも混ぜてくんないかな~?」
END――
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