第4話「落陽に昇る太陽」
校門から出た美幸の瞳は橙色に染まっていた。周囲の橙色の光に見入ったとき、再びあの暗い瞳を思い出す。どこまでも冷たく、どこまでも深かった。いくら歩みを進めても美幸は彼女のことを忘れられなかった。
カツカツカツ……美幸は歩を進める。影は長く伸び、漆黒の塔のように見えた。下校する生徒達の影も加わり、針のむしろのようになっていた。その針が一つまた一つと消えてゆき、気が付けば美幸の一本のみとなっていた。
カツカツザス……美幸は違和感を感じた。自分の足音に交じって誰かの足音が聞こえたからであった。唐突に美幸は振り向くが、そこには誰もいなかった。そう誰もいなかった。まだ帰宅途中の他の生徒や主婦が通りかかってもおかしくない時間、美幸はたった一人だった。焦った美幸がさらに歩みを進めると、見覚えのある色鮮やかな木々が視界に入ってきた。
美幸は諦めるように歩を止め、瞳を瞑る。これから起こる事に、すでに彼女の心はしみるような痛みを感じていた。
「変身しろよルーキー、始めらんねぇから」
美幸の背後から聞き覚えのある声がした。同時に周囲にの木々が一瞬黄色に染まった。
「どうしても戦わなきゃならないんですか?」
「あぁ!そういうのはさまないと善人様は戦えないもんねー……さっさと手続き済ませろよ」
《美幸、一度変身しないとここからは出れないよ》
美幸は静かに目を閉じると、一度深呼吸をした。
「……せめて名前だけ聞かせて下さい」
「……まぁいいわ。あたしは山園黄華。」
美幸はカバンから取り出した小瓶を握りしめる。中の絵の具が少し波打つ。そして勢いよくコルクの蓋は弾かれた――
「変身――!」
白い絵の具が宙を舞い、美幸の体を伝う。絵の具は白い装束となった。油彩絵の具のように重たく粘るそれは固まり、白金の鎧と剣、盾となる。盾の表面を溶けた金の絵の具が滑る――固まった金は優美な紋章となった。構えた美幸はそのどっしりとした重さに安心感を覚えた。
その姿を見た途端、黄華の表情が歪んだ。
「気に食わない――そのいかにも清廉潔白ですって色が!」
黄華は瓶のコルクの蓋を弾き、黄色の絵の具を獲物である扇子に滑らせた。油彩絵の具のような質感の黄色い絵の具は重く伸びた。
「エンチャント!」
扇子はバチバチと音を立て、轟雷を纏った。そして半分に分裂し、黄華のそれぞれの手に握られた。美幸の肌は逆立って人造の雷に備えていた。
美幸は盾を構え、重心を整えた。黄華はすでに突進し、美幸に迫っている。
「バーカ!」
バチバチバチ!盾に扇子が触れた瞬間、美幸の体に痙攣が起こった。体中は沸騰するように熱くなり、同時に強い痺れが彼女をよろめかせた。
(なんで――?)
「もう一発!」
「がぁぁっぁあっぁ!」
バリバリバリ!美幸の体にさらに電流が伝う。彼女の様子とは対照的に盾には傷一つなかった。その様子を見て黄華の攻撃は激化した。
「あんたみたいなのは!一生!サンドバックなんだよぉ!!」
美幸の体は限界を迎えていた。体の感覚はすでに消えかかり、白い絵の具は滴り落ちていた。美幸の装束は徐々に灰色になっていた――美幸はふと遠くに見えた、この世界でおそらく最も大きい極彩色の樹木が、仄かに光ったように見えた。
《美幸、このままじゃお前の願いは消えるよ……残念だね》
今まで人の心配ばかりをしていた美幸の脳裏に初めて、自分の願いが潰えるという結果が現実味を帯びた。美幸の心の奥は凍り付き、しばらくしてざわざわと沸き立つような感覚が起こった。
「これで……とどめ!」
美幸の鼻腔に嗅いだことのある仄かな蜂蜜の香りが満ちる。周囲の木々が一瞬橙色に煌めいた。
ガキーン!美幸の目の前に巨大な橙色の斧が突き刺さっていた。斧は黄華の攻勢を完全に打ち砕いた。
「えらい楽しそうやな、うちらも混ぜてや」
美幸と黄華の視線が声の方にくぎ付けになる。橙色のヴァイキング風の衣装に身を包んだ理沙と、色とりどりの魔法少女が3人立っていた。理沙が手をかざすと斧は地面からひとりでに引き抜かれ、彼女の手元に戻った。理沙の左腕の筋肉が隠していた形を浮き彫りにされ、野性的なファーの襟が風圧でなびいた。
「ああ!?てめぇらなんなん、あたしの獲物なんだけど?」
声の威勢のよさとは真逆に黄華の額には汗がにじんでいた。黄華の計算高い頭脳は、敗北の二文字をはじき出していたのだ。
「はぁ?ざこが偉そうに吠えてんじゃないわよ」
紫のカクテルパーティドレスのような衣装に身を包んだ紫が、美しい紫色の弓を構えた。腰に巻いたサテンのリボンがさらさらと輝き、紫のイヤリングが揺れ、きらきらと光っていた。
つがえた矢の先は怪しい紫の絵の具が滴り、落ちた雫は地面を溶かした。
「今回は理沙ち―がやるんだよ?見てようよ」
紫のとなりにいた美香は水色の、ホットパンツが特徴的なスポーティな鎧に身を包み、二振りの暗い水色の槍をくるくると回していた。美香の立つ地面はわずかに波打ち、彼女が退屈しのぎに飛ぶたびに水色のサンダルはパシャパシャと音を立てた。
「そうっすよ、今回はでもんすとれーしょんなんすから」
桃色の軍服風の衣装に身を包んだ桃華は、いつもより背が高く見えた。厚底のミュールのせいだろう。桃色の鞭で地面を叩いた彼女は、二体の桃色のゴーレムの後ろに隠れていた。
しかし、その3人より美幸の目を引いたのは、あのとき列の最後に居た少女だった。彼女は銀色のたすきに袴にといった清楚な和装に身を包んでいた。銀の胸当てに手を当て、もう片方の手で白銀の槍の石突を地面に当てている。背筋がピンと伸び、涼しげな表情で状況を見守っていた。
理沙は戦斧を肩に担いで堂々と美幸達に歩み寄った。彼女のサンダルがジャカジャカと音を立てた。美幸が構えたが彼女はそれを無視し、黄華の前で止まった。ニヤリと笑った彼女は開いていた方の手で首を切り落とすジェスチャーをした。
「あぁぁ!?なめてんのデカ女!!!」
たった一度の挑発で黄華は一気にこめかみに熱が入って赤くなり、彼女は瓶の蓋をはじいた。
黄華の瓶の中の絵の具が黄色に輝き煌めいた。彼女は一気に瓶2本分の絵の具を使い、エンチャントを施した。
「そんなに使ったら……」
《美幸は一度見ているといい、魔法少女の本来の有様を……》
黄華は跳躍し、理沙に切りかかった……が、次の瞬間黄華の攻撃は弾かれていた。理沙は電撃を一切喰らうことなく、涼しげな表情だった。美幸にはあまりに速く、どのように捌いたのかわからなかった。理沙は黄華の瓶を見るとニヤリと笑った。
「あんたの能力って絵の具を増やすこと?」
「……半分正解。まぁ全部見せる前にあんたを潰すけど」
美幸は驚愕した。黄華の腰に下げた瓶はすでに3本とも満タンになっていた。理沙は絵の具の量で負けていたが微笑みを崩さなかった。美幸はその表情に不気味さを感じて眉をひそめた。
「まぁ、ごちそうさまってことで……」
「はぁ?」
「エンチャント――」
理沙は橙色の絵の具を戦斧に滑らせる――濃い赤に近い橙色は溶岩のようにどろりと垂れる。高熱を持ったそれは地面に垂れるとジュウジュウと音を立てた。彼女が握りしめた戦斧は太陽の如く燃え盛る。
(いやな色……)
戦斧を構えた理沙は黄華を再び挑発した。
「なめんなよ――」
黄華が扇子で理沙を切る――理沙は大ぶり橙色のガントレットでそれを掴む――バリバリバリ!!轟雷が理沙を包み、彼女の紺のキルト地の腰巻が風圧で膨らんだ。
「やった!」
「だめ、黄華ちゃん構えて――!!」
ぬか喜びする黄華だったが、美幸は本能的に気づいていた、理沙の体勢はほとんど崩れていなかったことに。理沙は目を見開き、血走った眼で戦斧を振りかざした。
「うそ、なんでひるま――」
ズガーン!!黄華の体が一気に薙ぎ払われた。彼女の体は元居た位置から、美幸の目の前まで虹色の砂を引きづって飛んできた。理沙から黄華の位置まで、筆で強く引いたような黄色の線が出来上がった。
「理沙パイセンやっば~」
「うわ~理沙ち―えぐ……」
「理沙……さんの前で調子に乗るから……」
状況を見ていた3人もあまりの鮮烈さに感嘆を吐いた。対して銀の魔法少女は無表情だったが、少し飽きれるように瞳を閉じた。
「黄華ちゃん!大丈夫!?」
「くんなよ、クソルーキー!!あたしのえのぐは減らな――!」
黄華の補充されたはずの絵の具は2本分しかなかった。
「はぁん……なかなかなお味で」
優雅に長い髪を梳いた理沙は自分の瓶を眺めていた。橙色の絵の具はドロッと波打った。
(絵の具が3本とも満タンになってる!?)
美幸は理沙の力が異常なことを理解していた。それでも彼女の体は動いていた。
「はぁん、うちと戦う気なん?助けてあげたのに」
「頼んでません!」
美幸は構えたが、理沙は戦斧を地面に突いた。
「その前にうちの願い聞いてよ、美幸ちゃん――」
「願い?それでこれからの関係が変わるとでも?」
「変わると思う。だってうちの願いは……みんなの願いを叶えることやから」
「……え」
「何言ってんのデカ女?」
「つまりうちが勝てば、文字通りみんなの願いが叶ってハッピーエンドってわけよ」
「だからあたしらは理沙ち―の味方をしてるんだよ、美幸っち?」
「どうせこんなの勝てないし……」
「理沙パイセンをサポートしてれば、らくらくゴールってわけ」
美幸は呆然とした。盾を構える手に力が入らなくなった。うっすらと気づいてしまったのだ。
「そんな……」
「そんなの信じられるわけないだろ!!」
ゴォォォゥ!黄華が横やりを入れた瞬間、彼女の目の前に燃え滾る橙色の絵の具が、球体となって降り注いだ。黄華はそれからしゃべらなくなった。
「……んで、キャンバスに聞いちゃったんやけど、美幸ちゃんの願いってみんなの幸せなんやろ……ほぼ一緒やん?」
「それは……」
「あと美幸ちゃんって魔法少女倒せんのやろ?見てたらわかるわ」
「でも――」
「やったら、うちに任せとけばええやん」
美幸は何も言い返せなかった。地面だけが美幸の視界にあった。紫達のくすくす笑う声だけが彼女の耳に届いた。
(理沙さんの言ってることは本当?)
《理沙は透き通っているから分かりづらいけど、その内容で契約したよ》
(透き通ってる?)
《冴や八重なんかもそうだね。他の子は願いに欲の淀みが生じるから分かりやすい》
(八重?)
《そう銀城八重、そこにいる幸薄そうな子さ》
(あの人が……)
美幸は八重と目が合う――彼女の透き通る銀の瞳に美幸は少しの間見入ってしまった。しかし八重はしばらくして視線をそらした。
「で、どうすんの?」
理沙がイライラしながら地面を戦斧で掃き始めると、笑っていた2人が静かになった。張り詰めた空気で美幸は断ればどうなるか悟ってしまった。彼女の額を汗が伝う。
「私は……」
「私は?」
「あなたには……」
そこまで聞いた理沙は戦斧を振りかぶり、瓶のホルスターに手を当てた。一瞬、ほんのり甘い香辛料の香りがあたりに漂う……紫は周囲を一度見まわした。その時だった――
「――彼女には考える時間が必要かもです。理沙さん」
凛とした声があたりに響いた――声の主は八重だった。彼女は理沙のところまで歩み寄る。理沙はこれからの問答を楽しみにしているようだった。
「彼女かなり疲れてますし、3日ぐらいあげてもいいんでは?」
「あんたがめんどくさいことするなんて珍しいやん……どういう風の吹き回し?」
「別に……なんでもないです」
橙色の瞳は、銀の瞳を強く見つめた……理沙の太い眉は水平になり、何かを計っていた。しばらくして――
「ええわ……ただし期限は2日、それ以上は待てへん」
理沙が戦斧を肩から降ろすと、美幸は肩の力が抜け、その場に座り込んでしまった。その瞬間、黄色い煙が美幸の背後に広がった。
「あー、逃げたか。悪くない引き際やな」
「……」
美幸にゆっくり歩み寄よる理沙、極彩色の空間は消えていき、それぞれの姿が学校の制服に戻っていた。美幸の元までくると理沙は彼女の肩をたたいた。
「ま、そういうことやから考えといてな?美幸ちゃん」
「みゆきっち~またね~」
「身の振り方は考えなよ?雑魚」
「ざこざーこ、ばいばい芋女―」
「……」
橙色の光が支配する道を少女達が去っていく中、美幸は座り込んでただ地面を眺めていた――
END――
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