第3話「極彩色のキャンバス」

 校門の前に立った美幸は、自分の通う校舎を改めて見渡した。美幸の通う新校舎の壁は赤色のレンガのようなもので、彼女はたびたび指でなぞってその質感を楽しんでいた。目の奥を刺すような青い空がより、その風情ある光景を際立たせている。新品の窓は日の光を反射し、美幸は手でひさしを作らなければ上を見上げることができなかった。5月の風は美幸の肌と長い髪を優しく薙ぎ、心を静めた。吸い込めば、彼女の鼻腔にさっぱりとした香りが満ちた――

 他の生徒たちは友達と話したりしながらゆったりと登校していた。美幸も同じように歩みを進めると、美幸が来た方から聞きなれた声がした。


「美幸さんおはよう」

「緑さん今日も早いね」


 美幸に挨拶した少女は橘緑、美幸のクラスメイトだった。背筋が伸びしっかりとした表情だったが、特に目立った特徴のない少女だった。


「みどりさん、眼鏡変えたの?」

「うん、フレームを緑のやつに変えたの」


 少し恥ずかしそうにはにかむ緑は、癖なのか肩に垂れたおさげの網目に触れていた。そんな仕草を見た美幸は優しく微笑む。


「二人とも今日も早いな、さすが優等生は違うな。関心関心」

 

 野太い声が美幸達の体に響く――二人に声をかけたのは大柄な男だった。彼は生徒指導教員の松平義信。190cmもある身長と厚い胸板を見た生徒は、少しでも頭が働けば彼に喧嘩を売ろうとはしないだろう。彼は丸太のような腕を振り、美幸達を歓迎している。近づいた美幸達は影に包まれた。二人は軽く会釈し、行儀よく返事を返した。しかし緑は義信の服の一点を見たとき、顔をしかめた。


「先生、ちょっといいですか?」

「どうした……っておい、何してるんだ!」

 

 緑はカバンから裁縫道具を取り出し、義信に屈むように指示した。緑は滑らかで無駄のない手つきで、ほつれた個所を修繕し始めた。緑の熱心な様子に美幸と義信はあっけにとられていた。通りかかった生徒も何人かは気になって少し様子を見たが、すぐに飽きて去っていた。


「……これで大丈夫ですよ」

「悪いな、橘。先生こういうの苦手だから困ってたんだ」

「やっぱり緑さんって器用だよね。前も可愛いアクセサリーくれたし」

「……これぐらいしか取り柄がないから」


 緑は謙遜していたのと同時に、自分のやったことに誇りを持っているのか、すがすがしい表情で胸を張っていた。


――


 教室へと続く廊下には窓から日の光が差し込み、そこを歩く生徒の髪先を滑りながら反射していた。 美幸達も他の生徒に習って自分達の教室へと向かっていた。

「それで前に作ったやつがフリーマーケ――」


 ドン!緑の肩に強い衝撃が走る。眼鏡が衝撃でずれてしまった彼女は、慌てて直しながらまだ見ぬ追突者に反射的に誤った。


「はぁ?ごめんなさいですむと思ってんの?1年生のくせに生意気」


 追突者は緑の丁寧な対応とは対照的に、高圧的に美幸達を見下ろしていた。肌は浅黒く、彩度の高い紫の瞳は、細く鋭く緑をにらんでいる。ウェーブのかかった黒髪をポニーテールのように束ねていた彼女は、その毛先を手で梳いていた。美幸にはそれがとてつもなく神経質な仕草に見えた。

 彼女は二階堂紫……2年生だった。

 「また二階堂さん……」周囲から彼女の態度にうんざりした声がうっすらと上がった。しかし誰もが介入せず、去っていった。


「もう謝ってるんですから許してみようとは思わないんですか?」

「はぁ?悪いのアンタらの方でしょ?こっちは賠償金とってもいいんだから」

「大体あなたの方もよそ見してましたよね?」

「はぁ!!??」

「あーあ、紫さんを怒らせちゃった。知らねーの」


 紫の後ろにぴったりとついた少女は、ピンクのカーディガンから少しでた指先で、美幸達を指さしながら笑っていた。ウェーブのかかった金髪の、前髪をかき上げてポンパドールのようにして、大人っぽさを演出しているようにみえた。しかし広い額は彼女の身長のせいで、美幸には子供っぽい印象に見えた。彩度の高いショッキングピンクの瞳は三日月形に歪み、彼女の歪んだ愉悦のすべてが詰め込まれていた。

 彼女は風見鶏桃華、美幸達と同じ1年生だった。



「眼鏡、賠償金払いなさいよ……早く」

「ばいしょーきん、ばいしょーきん。早く眼鏡売って来いよ。キャハハハ」

「そんなもの払うわけ――」


 ざわざわとし始めた周囲を、ちらちらと見た緑は汗をかき始める。目の焦点が合わずうろたえていた。


「いいから――!私が払えば済む話だから」

「だめだよ!こんなことまかり通って言い分けが……」

「なんだ、眼鏡のほうは物分かりいいじゃん。えーとね、7000円」

「そんな大金払わなくていいよ!」

「え、大金なの?」


 紫の疑問を聞いた瞬間、美幸の血管が破裂しそうな熱さを感じた。

 完全に目が泳いでいる緑がバッグから財布を取り出し、中の紙幣に手をかけた時だった。


 カツカツ、一人の足音がやけに響く――あれだけざわざわしていた周囲が一気に静まった。しばらくしていやらしく笑っていた桃華が後ろを振り返り、ゆっくりと首を動かすと静かに紫の袖を掴んだ。

「……やばいっす、紫さん」

「ああ!?桃華、なんで今水さ――」


 勢いづく紫の肩をオレンジのマニキュアをした大きな手が叩く。


「紫なにしてんの~?」

「――!」


 妙に甘ったるい京都弁が響いた直後、紫の瞳の瞳孔が一気に縮まり、体が硬直した。乾いていた肌は一気に汗で浸されていった。

 美幸は紫の背後に高校生とは思えないほどの巨体を見た。190cmはあるだろうか……先ほどの教員と同じくらいはあった。長い金髪は光を受けて煌めき、大きく開かれた額は桃華と違い、大人びた印象を美幸に与えた。胸元の空いたシャツはその自信の程がうかがえた。細く、浅い三日月形に湾曲した橙色の瞳は、しかし……感情がなく笑っていなかった。どこまでも暗いその瞳に美幸の心は凍り付いた。

 彼女は金城理沙2年生だった。


「すみません、理沙……さん」

「なにが悪いん?続ければ?」

「いや……もういいです」

「いや~、紫はおいたが過ぎたね~てか懲りないね~」


 理沙の横にいた手足のすらっとした身長の高い少女が紫をたしなめ、肩をたたいた。金髪の髪は肩のあたりで足を付き、頭頂部は根元の黒い地毛が見えていた。他の生徒に比べて筋肉もややあった。

 彼女は青波美香2年生だった。

「あんたは関係ないでしょ!?プリン頭」

「あ?」

「――!」

 美香の八重歯が覗き、暗い水色の瞳がギラっと開いた。紫の肩に水色のマニュキュアの付いた爪がぎりぎりと食い込む。彼女は一瞬で戦意を喪失し、視線をそらした。彼女は牙を抜かれたライオンの如く、威勢を失う。しばらくすると紫は理沙の後ろに一歩下がり、それ以来しゃべらなかった。


「助けてくれたんですか?悪いのは私だったのに……」

「?悪いのは、あんたとはちゃうんちゃう?」

「この人のいう通りだよ、緑さんは悪くない」

「堪忍してな、たまに紫はヒステリー起こすから。ちょっと言って聞かせればいい子になるんやけど……」

「理沙さん?でしたね、ありがとうございました……私達はこれで」



後ろ髪を引かれる緑を半ば無理やり引っ張って、足早に美幸が立ち去ろうとした時だった――


「ちょっと待ってよ……美幸ちゃん」


「……どこかで会いましたっけ?」

 理沙は口元をゆがめて、美幸に近寄り、耳元に顔を近づけた。美幸の周囲が影になり、鼻腔に仄かな蜂蜜のような甘い香りが満ちた。金のピアスが怪しく光り、橙色の暗い瞳が彼女の真横に見えた。


「あんた、魔法少女やろ」

「――!」


 美幸の生存本能が逃走を提案していた。急に汗が体中に満ち、寒気がした。しかし、美幸の体は鳥肌が立ち、体の芯は硬直していた。この空間で美幸だけがこの理沙という人間の圧力を受けていた。美幸の体から感覚が消えていく――


「美幸さん?」

「――!」

  

 緑のことばで体の感覚を取り戻した美幸はやっと体が動いた。しかし後ずさるだけだった。


「ほな、さいなら」

 理沙は歩みだし、彼女の後を様々な表情で色とりどりの少女達が連なった。苦汁をなめた紫色、取り繕う桃色、無邪気な水色、そして颯爽とする橙色――美幸は確信したこの少女たちはすべて自分と同じ魔法少女だと――

 そして、美幸は列の最後を歩いている少女の存在に今気づいた。少女が振り向くと、さっぱりと切られた黒く短い髪は風を含んで広がった。少女はまったく表情を動かさなかった。澄んだ銀色の瞳と薄紫の瞳が通い合う――

「あなたに――るのなら……」

 美幸は少女の言葉を聞き取れなかった。美幸は少女の口から発せられた言葉の意味をこの先、心と体すべて持って思い知る。


 END――

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