にせライオン

尾八原ジュージ

にせライオン

 この世の果てみたいなところだなと思った。廃園間近の動物園とは聞いていたが、なるほどいかにも朽ち果てる寸前という感じだった。

「キリン」と下手くそな手描きの文字で記された看板がある。しかし檻の中にはキリンどころか何もいない。かつていたのかどうかすら怪しい。こんな場所だというのに彼女は「お散歩日和だねぇ」と言いながらやけに上機嫌で、確かに天気はいいけどもはやそこは問題じゃないだろと思った。

 土曜日だというのに園内は空っぽだった。柵の向こうで一頭のイノシシがぐったりと横になっている。「ふれあいコーナー」には鶏が三羽放たれていたが、殺気立った様子で地面を突いているので、とてもふれあう気にはなれなかった。どうして彼女はこんなところに来たがったのだろうと思いながらも、好奇心を唆られていた俺は、黙って後をついていった。

 最近付き合い始めたばかりの子で、こういう突拍子もないところが面白いなと思ってはいる。が、それにしたってこの動物園はひどい。

「なんか見たいものとかあんの?」

 俺が尋ねると、彼女は肩越しに振り返り、

「ここにしかいない動物がいるの」

 と教えてくれた。

 そんな貴重なものがこんなところにいるもんかねぇ、と思いつつも、やはり口には出さなかった。機嫌を損ねると面倒だ。

 俺たちは次第に動物園の奥へと入っていった。檻の中はどれもこれも空っぽか、もしくは珍しくもない動物が入ってぐったりしている。飾り羽の抜けた孔雀が苛々と歩き回る脇を通り抜け、暗い小道を歩いていくと、とうとう彼女が足を止めた。

「これこれ」

 俺はその檻に下がっている看板を見た。「にせライオン」とあった。

 一体何なのかわからない。ともかく見てみようと檻の中を覗いて、ぎょっとした。

 何もない乾いた地面の上に、うす黄色の紐状のものが固まって蠢いていた。ライオンというよりは、ラーメンから丼ぶりを除いたようだった。それがバレーボールほどの大きさに集まって、ざわざわと動いている。

「何あれ」

「にせライオン」

 彼女が事もなげに言った。

 薄汚れたイソギンチャクのようなものが動くのを見ていると、なんだか気分が悪くなってきた。「なぁもう行こうよ」と声をかけたとき、彼女が突然「おーい! にせライオーン!」と大声をあげ、檻の中に向かって手を振った。

 にせライオンがぴくりと動きを止めた。それからその真ん中がざわざわと盛り上がり始めた。ああ今起き上がったのだ、とわかった。紐状の器官の向こうに土色の仮面のようなものが見える。素焼きの面に穴を三つ空けただけのような単純極まる顔が、こちらを向き、おれたちの姿を捉えた。

「おーい! にせライオンってば! おーい!」

 彼女は大声で呼びかけながら手を振っている。異様なものがこちらを見ている。

「おい、やめろよ」

 俺は強い恐怖を覚えて彼女の肩を掴んだ。そのとき彼女がこちらを向いた。

 素焼きの面に穴を三つ空けた、にせライオンの顔になっていた。

 生物を模した不格好な偽物の仮面が、真っ暗な穴みたいな両目で、吸い込むように俺を見つめた。


 気がつくと、俺は動物園の入り口にぼんやり立っていた。

「あー、おまたせー」

 園の中から彼女が出てきた。にせライオンの顔ではなく、普段どおりの彼女の顔だ。

「楽しかったね。帰ろ帰ろー」

 彼女はひどく上機嫌だったが、道中はにせライオンどころか動物園の話すらせず、俺が何か訊こうとするとあからさまに嫌な顔をした。

 俺はと言えば、彼女の顔がふとした拍子にあの仮面の顔に見えるようになってしまい、何日か後に一方的に別れを告げて逃げた。その後のことはなにも知らない。

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