☆第三十六話 全身全霊!☆
「…そろそろ開幕式だ…っ!」
育郎は土曜日の朝、自室でベランダの窓を全開にして、晴天の空を振り仰いでいた。
雲一つない空は、十月らしい涼し気な風が爽やか。
「今日は、亜栖羽ちゃんたちの学校の、球技祭…っ!」
亜栖羽の通う私立の高校は、関係者ではない育郎がもちろん立ち入り厳禁な、女子高である。
「ならばせめてっ、亜栖羽ちゃんたちが勝利できるようっ…祈りを捧げるんだっ!」
今日のこの時の為に、青年は今週の仕事を昨夜の金曜日までで、超がんばって片付けた。
木曜日に急ぎのチェックが廻って来たものの、それも徹夜で終わらせて、金曜日の夜には全て仕上げて、データ送りもチェックも完了。
特に友達の編集者には、今日一日は絶対に連絡を寄越さないよう、念入りに伝えておいた育郎である。
それ程までにして何をするのかといえば、もちろん、自室での亜栖羽への応援であった。
掌の上のスマフォを見ながら、亜栖羽から送って貰った球技祭のプログラムを、何度もチェック。
「…開会式での選手宣誓も終わって…そろそろ球技開始だ…!」
スポーツの応援なので、いつもの普段着ジャージではなく、新しく購入をした空色のジャージを着用。
今週の始めにネットストアで注文をして、今朝シャワーを浴びて全身を綺麗に洗浄をして禊までして、神聖な気持ちで開封をして、袖を通した。
頭には必勝ハチマキを巻いて。ベランダの前へ正座で座り、ネットの地図で調べた亜栖羽の学校の方角へと、応援の念を送り始める。
「………亜栖羽ちゃんの参加するバスケはまだだけれど…今のうちから、亜栖羽ちゃんの一年A組が大量得点を取れるよう、お祈りをするんだ…っ!」
いつもの巨漢が更に力んだ筋肉で盛り上がり、アメリカンサイズを超えたファッティーさん用のジャージなのに、ピッタピタに張りつめる程の筋肉力。
必勝ハチマキを巻いた強面も、勝利を祈る念を込めたおかげもあって、いつも以上の鬼フェイスだ。
普段ならベランダの手すりで寛ぐスズメたちも、執念に似たナゾの気配を発散しまくっている鬼に警戒をして、今日は遠くの枝で様子を伺っている。
「一年A組…っ。まずはソフトボールと卓球でっ、一抜けをするんだあああっ!」
熱と圧を隠さない応援だけど、流石に大声を出さないよう、注意はしていた。
以前、亜栖羽のマンションの前で偽りの無い愛を叫んだら、後ろにいたお巡りさんに呼び止められた経緯がある育郎。
近所迷惑にもなりますからと、交番で注意もされた。
なので音声量は押さえているものの、低く小さく念を込められた青年の声は、恐ろしくドスが利いている。
しかも表情も必死で、地獄の沸騰沼へ落とされた鬼が、神聖な巫女へ強烈な逆恨みで燃えてるかの如くだ。
育郎の視界に入っていなくても、遠くを飛んでいる烏などは強烈過ぎる念に充てられて、思わず全身が硬直をして落下する勢いである。
「亜栖羽ちゃんのクラスっ、頑張れっ! みんなっ、輝く勝利を掴むんだあぁっ!」
両掌の指を組んで、育郎は一心不乱に祈り続けた。
午前十時を過ぎて、プログラムによると、そろそろ亜栖羽の参加するバスケットボールが始まる。
「! いよいよだっ! 亜栖羽ちゃん…っ!」
育郎はこれまで以上に、強く熱く、必勝祈願の念を送ってゆく。
「亜栖羽ちゃんのっ、パスがっ、阻止されませんようにっ! 亜栖羽ちゃんのっ、ショートがっ、決まりますようにいぃ…っ!」
ギュっと目を閉じる強面は、まるで怨念を強める鬼のよう。
強く鋭い視線を送る強面は、即死の呪いを念じる鬼のよう。
特に視線を向けているワケでもないのに、マンションの前を散歩している犬が、ビクっと怯えてマンションを見上げたり。
「亜栖羽ちゃんっ、頑張れっ! 亜栖羽ちゃんならっ、絶対に勝てるっ! 亜栖羽ちゃんがっ、完全優勝だあああっ!」
必死過ぎて、もはや念の内容も意味不明だ。
そんな育郎の脳内に、パっっと、何かのイメージが感じられる。
「! い、いまっ…亜栖羽ちゃんがっ…一本…っ!」
気の所為かもしれないし、必死すぎて自分の願望を勘違いしたのかもしれない。
しかし青年は確かに、何か明るいイメージが、頭にピンっと感じられたのだ。
「あ、亜栖羽ちゃんのクラスが…勝って…いるって…っ!」
信じている青年は、嬉しい反面。
「…もしこれが…全く違うのだったら…っ!」
亜栖羽のクラスが負けているのだとしたら。
「亜栖羽ちゃんが、写真とか送ってくれるって、言ってたけれど…」
どんな結果なのか、逆に恐ろしくなってしまった育郎だった。
~第三十六話 終わり~
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