☆第二十話 掘り出し物☆


 古い洋書や翻訳の話をしていたから、引き寄せられたのだろうか。

 育郎の視線が、本棚の一番上の段の端っこで、大きな本で隠されるように収まっている、一冊の辞書へと留まった。

「ん…? これは…」

「? なにか 気になりましたか~?」

 立ち止まった青年の視線を、少女も追う。

「うん。ちょっと いいかな…?」

 本棚から取り出した辞書は、相当に年季が感じられる程、厚紙のケースも本体も痛んでいる。

 表紙などの字体からも、なかりの古さを感じさせた。

 中を確かめたくなって、販売者さんに訊ねてみる。

「あの、この本…見せて頂いて 良いですか?」

「ん…はっ、はいっ!」

 問われた販売者の青年は、曇って日陰になったのかと思ったら強面の巨漢が屋根の下を覗き込んでいたので、雷様が降りて来たのかと思って驚いたらしい。

 了解を得て、育郎はケースから本を取り出してみる。

 ページを開くと、シワシワだけど破れなどは殆どない、使用者の真面目さが感じられるような、良い意味での使用感。

「やっぱり、古い英和辞書だ…。いつのだろう…?」

 裏表紙を捲って、奥付を確認すると。

「一九六八年…!」

「だいたい、五十年以上も前の本なんですね~♪」

「うん。こんなに古いと、図書館にも置いてないんだよね…」

 隣で一緒に覗き込んでいる少女も、想像以上に古い本で、ちょっとワクワクしているっぽい。

 育郎は、意外と近い亜栖羽にドキっとしながらも、了解を求める。

「亜栖羽ちゃん、ぅぉっ–あ、あの…ちょっと、中を確認して いいかな…?」

 古い言葉などはネットでも調べられる、現在の情報環境。

 しかし手元に参考書があると、安心してそれで調べ物が出来るのも、育郎である。

「は~い♪ 私も~、この本棚、眺めてま~す♪」

 と、笑顔で許可をくれた。

 育郎の仕事に関して、絶対に邪魔をしないという亜栖羽のスタンスを、青年は有難く想い、そして敬意を抱いている。

「じゃあ、ちょっとだけ…♪」

 掲載されている単語や反訳など、育郎が知らない言葉は、当たり前に沢山ある。

 古い言い回しや会話の感覚を、現代の若者でもなるべく楽しめるように翻訳をする事も、翻訳者としては大切な心構えなのだ。

「ふむむ…」

 しゃがみ込んで、適当に捲ったページの単語を何ページ分も確認をして、ケースの裏面に貼られている付箋に記された、手書きの値段を見る。

 雑音が意識に届かないほどの集中で、この間、約十五分。

「五百円…超お買い得だ」

 育郎は、この古い英和辞書を購入する事にした。

「すみませーん。この本、戴きたいのですが…」

「は、はいっ!」

 値段は税込みだったので、育郎は緊張する販売者さんの掌に五百円玉を渡して、購入を終える。

「亜栖羽ちゃん、ありがとう。買えたよ…」

 と振り返ったら、少女が青年の腕へと、両腕を回してくる。

「!」

 柔らかくて温かくて細くてか弱い腕と、同じく優しい弾力のバストが、強靭な筋肉の太い上腕を、抱きしめてきた。

(なっ、何事…っ!?)

 古本を確認している時間が、育郎の体感時間よりも長かったのだろうか。

 それで、亜栖羽のご機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 と狼狽をしていたら。

「ごめんなさ~い♪ 私、この方と お付き合いをしていますので~♪」

 育郎ではない誰かへ、嬉しそうに告げていた。

「?」

「え? え…?」

 亜栖羽の視線を追ったら、身綺麗な一人の男性が、小柄な天使と大柄な鬼を見比べて「?」の顔。

 育郎にも、最近は見るだけで解るようになった、芸能事務所のスカウトだ。

 筋肉巨漢がしゃがんでいる間に、背後で少女が声を掛けられていたのだろう。

(…っ!)

 状況を理解した育郎が、事態を収める為、行動に出る。

 力を込めて立ち上がり、背筋を伸ばし、少女の小さな掌を取る。

「彼女は、ぼ、ぼ、僕のっ–カ、カ、カノジョっ、ですので…っ!」

 彼女と紹介をするのが恥ずかしくて上気した緊張顔は、まさしく睨み付ける赤鬼。

「えっ、あっ、はっ–そっ、そうですかっ–でではっ、ぉお幸せに…っ!」

 作り笑いと大量の冷や汗で、スカウトは走り去る。

「あの…ごめんね…。困っていたのに、気付かなくて…」

「オジサンのおかげで~、一瞬でお断りが出来ました~♪」

 と、亜栖羽は頬を染めながら、輝く笑顔をくれた。


                    ~第二十話 終わり~

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