☆第十四話 育郎の失態☆
野太い指先は、まるで生命そのものを鬼の元へと誘わんかの如くな迫力。
しかも頭上からは、鬼そのもののような強面が、何やら恐ろしい笑顔で見下ろしているのである。
猫たちからすれば、子供の頃に襲ってくるカラスたちよりも、恐ろしい姿だろう。
それでも。
「……ニャ…」
雄猫は警戒しながら、しかし少しずつ接近を試みて、青年の指先を嗅ぎ、これは捕食者ではなく人間の掌だと、理解をしたらしい。
背後で心配しているように見える雌へと振り返ってから、鼻よりも低い位置で差し出されている青年の指先へと、頬をスリスリし始めた。
「ぉ…おおおおお…っ!」
「オジサンっ、ネコちゃんが懐きましたよ~っ!」
「う、うん…っ!」
亜栖羽いがいで、庇護欲を刺激される相手に信用されたのは、ある意味、初めての育郎である。
「ああぁ…なんて、柔らかい頬なんだ…うふふ」
目を閉じてスリスリしてくる野良猫は、育郎への警戒心が、かなり無くなってきたのだろう。
パートナーの姿を見つめる白い雌も、青年と少女へと、近づいてきた。
「あ、この子も来た~♪」
雌猫は育郎の指先を嗅いで、ペロりと小さく舐めると、亜栖羽の指先を同じように舐めた。
「あはは♪ くすぐったいですね~♪」
「うん…この子たち、可愛いよねぇ…♪」
自分の地元にも、地域猫がいるのだろうか。
いるとしたら、こんなふうに仲良くなれるのだろうか。
そんな考えが、頭を過る。
なんであれ、亜栖羽のアドバイスに従って、ネコの警戒心が解けたのである。
「亜栖羽ちゃんのおかげだよ…うふふ」
「えへへ~♪」
鬼瓦の緊張が解けて、だらしのない笑顔になって、後ろの親子連れの子供がまた泣いていた。
国道に面した歩道へと出て、育郎は内心で悩乱している。
(ぼ、僕はなんてっ…バカな失態をしてしまっていたんだああっ!)
今日のデートで、これから行く目的地。
それは、割と難解な書物が集まった、古本市だ。
特に目的の本があるというワケではなく、育郎は、古本屋さんなどをダラダラ眺めて歩くのが、好きなのである。
頭を空っぽに出来て、心もリラックスできる。
それは、在宅プログラマー兼ニッチな洋書SFの翻訳という、頭と神経を酷使する職業故かもしれない。
または、単に育郎にとっての趣味かもしれない。
そういうデートに、亜栖羽はついてきてくれるだろうし、楽しんでくれるだろう。
しかし今日は、よく考えると。
(亜栖羽ちゃんの始めての童話を拝読させて貰って、変わった本を扱っている書店へ行って、美術館へ行って…)
このうえ古本市とか行ったら、まるで亜栖羽に「もっと童話を書け」と無理強いをしているような、誤解をされてしまうのではないか。
(亜栖羽ちゃんが、童話を書く事に興味を持っているとしても…外から色々と押し付けられると、やる気がしぼんでしまう可能性も…っ!)
亜栖羽に限らず、人は、そういう事もある。
(もっと早くっ…デートのプランを立てている時点でっ、気付くベキ事だったのにいぃっ!)
自分の迂闊さが、頭にくる。
そんな青年の、気にしすぎる葛藤とは全く関係なく、亜栖羽が気づいた。
「あ、オジサン!」
「っはっはいっ! ごごっ、ごめんなさいっ!」
つい反射的に、プランの失敗を謝罪してしまった。
「? どうしたんですか~?」
「あ、いやっ…ど、どうしたの?」
取り繕った笑顔で尋ねると、少女が車道の向こう側のお店を指していた。
「見てください~♪ 季節の和菓子ですって~♪」
「季節の?」
見ると、ビルの一階の和菓子屋さんに「季節の和菓子」と書かれた、濃紺色のノボリが立てられていた。
~第十四話 終わり~
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