第15話
そうこうしているうちに一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎた。矢野夫妻は相変わらず街中をうろつき、見えない誰かに向かって聞き込みをし、その内容を記録し続けた。
そんな中、決定的な事件が起こる。殺人事件が発生したのだ。下校中の女子高生が背後から刺殺されたというもの。
直ちに司法解剖が行われたが、犯人の正体どころか凶器の見当さえつかなかった。
判明したのは、心臓を直径五ミリほどの鋭利な何かによって貫通されたということだけ。
それから三日後、矢野夫妻は深夜に家を出た。
「ねえ、麻琴は起こさなくてもいいの? だって私たち、生きて帰れるかどうか――」
「麻琴は寝かせておこう。僕らが無事帰って来られる保証はないが……。また殺人事件が起きたらどうする? 今度は麻琴くらいの歳頃の子供が被害者になるかもしれない」
「ええ、そうね。じゃあ、麻琴には知らせないでおきましょう」
しかし、その会話を麻琴は聞いていた。起き出していたのだ。理由は分からないが、心臓が不気味に高鳴っていたから。
それを訴えようとしたら、一緒に寝ていた両親がいない。そこで、寝室を出て声のする方へと向かい、この会話に辿り着いた。
本能が、今すぐ寝室に引き返せと告げている。だが、それに従うほど麻琴は臆病ではなかった。
両親が鍵をかけずに外出したのをいいことに、麻琴は二人を追って外に出た。
冷気がぶわり、と麻琴の華奢な身体を包み込む。今夜は何かが違う。きっと不吉なことが起こる。そう麻琴は確信した。
今からでも寝室に引き返すか。それとも両親についていくか。
もちろん、これから起こることに対する恐怖心はある。だが、両親が何をしようとしているのかを知らなければ、という義務感が麻琴を衝き動かした。
母親に買ってもらったシューズをつっかけ、音がしないように玄関扉を押し開ける。
両親の姿はすぐに目に入った。こちらに背を向け、夜空の一点を凝視している。
何かを待ち構えているようだ。しかし、では何を?
電信柱の陰に入りながら、そっと顔を覗かせる。見えるのは両親の背中だけ――ではなかった。
今、麻琴を含めた三人の前には、真っ黒な霧状の何かが漂っていた。
巨大だ。高さ十メートルはあるだろうか。それがぐるぐると回転し、竜巻のような形態を取っている。
「間違いない、こいつがこの街に巣食う悪霊だ!」
「ええ! 姿を現した今がチャンスね!」
切羽詰まったような声音で、両親が言葉を交わす。そして二人は、さっと両腕を前方に掲げ、何かを押し返すような力を加え始めた。
竜巻の上部に光が瞬き、落雷のように空を斬る。それは両親に向かって、情け容赦なく浴びせられた。
一般人なら、一瞬で木端微塵にされているところ。そこを両親は重傷を負う程度で済んだ。だが、危険な状態であることに変わりはない。
すると、膝をつく二人の頭上に何かが具現化された。
槍だ。極々細い、しかし先端の鋭利な槍が、何十本も形成されている。女子高生殺人事件の犯人はこいつだったのか。
しかし、防戦一方の両親がそれに気づく余裕はなかった。
「危ないっ!」
堪らずに、麻琴は飛び出した。
このままでは、お父さんもお母さんも死んでしまう……!
だが、父親は頭上に展開された槍に気づいていた。そして、自分の霊力の及ぶ範囲に竜巻が接触したことにも。
「きっ、貴様だけは……絶対に地獄へ落として封印してやる……!」
ミシリ、と音を立てて、一歩、また一歩と踏み込む前進していく父親。その手には、小さな水晶玉のようなものが握られている。
「喰らえっ……!」
腕が竜巻の中心部へと突き入れられる。すると、握られていた水晶玉がギラン、と妖しい輝きを帯びた。
両親は既に、地面に足がめり込むほどの勢いで押さえつけられている。
しかし、その謎の力――霊力が、ふっと軽くなった。
それと同時。竜巻はまるで後退りするかのように、両親から離れていく。
やっつけた、のかな……?
そう思った麻琴が両親の下へ駆け寄ろうとした、次の瞬間だった。
頭上に展開していた槍が、すっと落下した。
竜巻にしてみれば、これは単なる悪あがきだったのかもしれない。だが、両親を仕留めるには十分すぎる威力を有していた。
そこからしばし、麻琴の記憶は飛ぶことになる。
※
「それで、お前は無事だったのか?」
「はい。気づいたら近所の病院のベッドにいました」
ジャックが気遣わしげに尋ねてくる。柄にもないことを、と思いつつ、麻琴は淡々と答えた。そして、皆が最も気にしているであろうことを口にした。
「両親は即死だったと聞いています。ですが、それが悪霊の仕業だとは誰も信じてくれませんでした」
「それ以来なんだね? 麻琴ちゃんが、幽霊を見られるようになったのは」
「ええ。気配だけを感じることもあれば、明確に姿かたちが見えることもありますけど」
僅かに視線を神﨑の方に向ける麻琴。
「ただ、私の周囲の人間は、私が両親から心理的虐待を受けていたと思っていたようです。催眠術か何かで、異様なものが見える感覚に陥っているのだと。私は親戚中をたらいまわしにされました。当然ですよね」
麻琴は憂いというか、諦念というか、暗い表情を浮かべてそう言った。
「そこで、私を信じてくれたのが神﨑さんだったんです」
「そうなのか……。君が僕と出会った時、あんなみすぼらしい格好だったのはどういうわけだい? 暴力を受けたのか?」
「いえ……。ただ、逃げ出したかっただけです。あのまま誰にも知られずに死んでもよかった。まあ、あの炊き出しの会場に到着するまでに、竹藪を抜けたり川を渡ったりしたので、それが神﨑さんにはみすぼらしく見えたんでしょう」
「それから、あなたは神﨑さんに拾われたの?」
「あなたの言う通りです、エンジェ」
「まあ、うちは金があったからね」
さして面白くもないのだろう、神﨑は肩を竦めた。
「ところで神﨑さん、どうして私を保護することにしたんです? あなたは大学を中退して、自衛隊に入る前だった。ご実家の方はまだしも、あなた自身が自由にできるお金はそんなになかったはずですけど」
「そうだな、まあ、あの時から僕も幽霊に関心があったからね。幽霊が見える人間というのは、興味深かったんだ。だから君の身柄を引き取ることにした」
当時の君は心を閉ざしていて、役所に届け出をするのに苦労したけど。
そう言って苦笑する神﨑。
逆に麻琴は、自分の親族が自分を訪ねてきたことは一度もなかった。行方不明というわけではなかったし、誰の庇護下にいるかということも、すぐ分かりそうなものなのに。
「私がわざわざ上層部の許可を取って大口径リボルバーを使っているのも、自分の身は自分で守る……というか守りたいという気持ちからかもしれません。どうせ幽霊には効かないんですけどね」
軽くホルスターの上から愛銃を叩く麻琴。
一方、ジャックは沈鬱な思いだった。まさか麻琴がこれほどの心理的な闇を背負って生きてきたとは、想像できていなかったからだ。
目の前で妻子を殺され、自らも命を奪われたことで、ジャックは自分より不幸な人間はいないと思ってきた。
だが、目の前で両親を斬殺され、挙句誰にも信じてもらうことなしに生きてきた麻琴もまた、大変な人生を送ってきた。
自分一人が不幸なのだと思ってきたことに、ジャックは僅かな恥じらいと罪悪感を覚えた。
そんな重苦しい空気は、唐突に吹き払われることになった。
「はーい! 炒飯四人前、お待ち!」
景気よく声を上げながら炒飯を運んできた柏田によって。
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