第13話
「な、なるほど……?」
「それはめでたい話だけど、誰も怒ったり悲しんだりしないのかい? そういう感情が存在しないのが天国なのか?」
神﨑が尋ねると、エンジェは首を捻って、むむむ、と唸った。
「確かに負の感情は存在するよ。でも、皆それに対する策を講じているんだ。精神的な鍛練に励むことで」
「鍛錬、とは?」
「自分が現世で暮らしていた時よりも、ずっと穏やかで幸せな世界にいるんだって自覚することだよ。その気持ちを忘れずにいれば、悪感情の発生を抑えられるようになっていくんだ」
ほう、と言って神﨑は掌に拳を軽く打ちつけた。
「じゃあ、私からも質問いいかしら、エンジェ?」
「もぐもぐ……んむ?」
早速次のチョコレート菓子をつまんでいたエンジェは、ぱちぱちと瞬きして麻琴の方に向き直った。
「なあに、麻琴?」
「もし天国がそんなにいいところなら、どうして現世をさまよう幽霊なんかがいるの?」
「幽霊なんか、とは何だ」
ジャックは助手席から手を伸ばし、麻琴にデコピンを食らわせようとした。が、その腕は呆気なく麻琴に掴まれてしまう。
捻られる、と感じたジャックは、腕を霊体化させてこれを回避。
「チッ」
「うわ、麻琴ちゃんが舌打ちしたの、久々に見たよ……」
神﨑が頬を引き攣らせる。それに構わず、エンジェは変わらない調子で答えた。
「天国じゃなくて現世をうろつく霊が何故いるのか、って質問だよね」
「ええ」
「まず、神様によって意図的に現世に残される人はいないんだ。天国か地獄か、どちらかには逝くことになる。でも、神様以上に強い意志――信念というべきかな。そういうものを抱いている人は、神様が特別に許可を出すこともある」
「それが幽霊になる、と?」
するとエンジェは、くいっと顎をしゃくってみせた。その視線はジャックに注がれている。
「確かに俺のような理由で幽霊になるやつもいたな。その仇討ちを手伝ったこともある。殺しには手を出さずに、霊体化したまま露払いをやったな。確かイタリア――」
「そんなことは言わなくてもいいよ、ジャック! でも、彼が言ってることは正しい。だから、神様は特別許可を出す代わりにあたしたち天使を監視と補助の目的で派遣するんだ。それなのにジャックときたら、感謝の言葉もなくて――」
「いつも面倒かけてすまないな、エンジェ」
「そうそう、こんなふうに斜に構えて、仕方な――って、え?」
「まあ、あんまり気負うな。死んだからといって、俺の中の義務感がなくなったわけじゃない」
ぽかんとしているエンジェの心情を無視して、神﨑は前方に向き直った。
「よし、移動しよう。また敵に捕捉される前に」
「了解」
神﨑が復唱すると同時に、車は勢いよく車道を下り始めた。
※
次に車が辿り着いたのは、東京都内のとある雑居ビルの前だった。
「ここが目的地なの、神﨑さん?」
「いや、ここからは徒歩だ。麻琴ちゃんにも知らせていなかったけど、僕の使っているお札や礼装を扱っているお店があるんだ。尾行はないと思うけど、一旦この車から降りよう」
そう言って、神﨑は他三人を伴ってビルの隙間に入っていく。かと思えば、突然大通りに出て人混みに紛れてみせる。なるほど、これなら尾行も困難だ。
あまりにも大規模な人波に顔を顰めながらも、麻琴は神﨑について行った。警視庁直属の刑事としては、いつかこの光景にも慣れなければと思っているのだが。
身体を横向きにしたり、屈んだりしなければ通れないような裏路地。だが、そんなものを無視してジャックとエンジェは進んでくる。
ああ、障害物と接触する間だけ、身体の部位を霊体化させているのだ。それを羨ましく思ってしまう自分がいることに気づき、麻琴は余計に悔しくなった。
それを振り払うべく、麻琴はジャックに尋ねた。
「ジャック、このあたりに怪しい敵の気配はありますか?」
「ない。どうだ、エンジェ?」
エンジェもまた、ふるふると首を左右に振るばかり。
なら大丈夫そうね。
そう呟いて、麻琴は正面に向き直る。すると、思いの外近くに神﨑の背中があった。
観察していると、神﨑は軽く屈み込み、正面にある廃ビルの扉に顔を近づけている。
麻琴たちは黙って神﨑の所作に見入った。
すると、彼が向かい合っているビルの扉が微かに明るくなった。今時珍しい裸電球が、ぽつり、と光を放っている。
「よし、入室許可が出た」
「さっきのは網膜の毛細血管をスキャンしていたんですか、神﨑さん?」
「そうだ。麻琴ちゃん、試しにこの扉を開けてごらん」
「え? あ、はい」
麻琴は一瞬躊躇った。神﨑の指示なのだから、危険はないのだろうが……。
ドアノブを握り、ゆっくりと押し開ける。
「失礼します……」
と言った直後、攻撃意志が麻琴を捉えた。薄暗い通路の向こう、その両側にあるドアから危険な気配がする。
麻琴がホルスターからリボルバーを抜こうとした、その時だった。
廊下に並んだドアがバン! と引き開けられ、無数の弾丸が麻琴に向かって迫ってきた。
「くっ!」
麻琴は自身の身体を壁に預け、反対側に思いっきり突き飛ばした。そのまま横たわり、応戦しようとリボルバーを構える。
そこだ、と胸中で叫びながら、麻琴は応戦。ダンダンダン、と三連射。
すると、廊下から放たれていた銃弾がぴたりと止んだ。
仕留めた、のだろうか? 実戦経験の少ない麻琴には、当たったかどうか定かでない。
麻琴はずるずると匍匐前進ならぬ匍匐後退し、神﨑に向かって叫んだ。
「こ、これはどういうことですか? 神﨑さん、私を騙して殺そうと……!」
「違う違う違う! 君の闘争心が予想より大きかったんだ! まさか撃ち返すとはね……」
そう言いながら、神﨑は堂々と廃ビルに踏み込んだ。
「柏田さん! いるんでしょう、柏田零子さん!」
「柏田零子……って、ちょっと待ってください!」
麻琴は慌てて立ち上がり、神﨑のシャツの袖を引っ掴んだ。
「柏田零子って、警視庁の指名手配犯に登録されてます! 催眠術を使った詐欺行為を何百件も繰り返してます!」
「ほう、そいつは大層なご活躍だな」
「茶化さないで、ジャック! それより神﨑さん! 本当に柏田に協力を仰いでいるんですか? 下手をしたらあなたまで――」
「なあに、心配不要だよ。君だって、僕にいなくなられたら困るだろう?」
「そ、それは……そうです」
刑事としての正義感と、今自分が置かれている立場。それらを天秤にかけ、麻琴は渋々首肯した。
「そうと決まれば、早速顔合わせといこうか。もう入室許可は出てるから、僕について来てくれ」
麻琴は渋々、ジャックは足取り軽く、エンジェはわくわくといった様子。三者三様の態度で、三人は神﨑の後について行った。
※
神﨑が足を止めたのは、玄関から真っ直ぐ行った先、正面に位置する扉だ。何故かそこだけ金属製の、重苦しい扉になっている。
「おーい、零ちゃん! 開けてくれ!」
天井隅のカメラを見つめながら、神﨑が鉄扉をノックする。
するとくぐもった声が向こうから響いてきた。
「あー、待って待って。今実験中」
他人様を弾雨に晒しておきながら、余計に待たせるとはいい度胸をしている。
先ほどの無痛弾丸(ポップコーン)を当てられまくったことを、麻琴は根に持っていた。
いやそもそも、犯罪者に協力を仰ぐのは刑事としての信念に反する。いや待てよ、自分もジャックの要望にそって動いているじゃないか。これでいいのか、矢野麻琴。
「零ちゃん、もとい柏田零子は僕の高校時代の友人でね。ふざけたやつに見えるかもしれないけど、口は堅い。彼女が情報を当局に知らせる危険はないから、安心してくれ」
と言われながらも、麻琴は納得しかねた。
「私も一応、警官なんだけど……」
「ん? どうした、麻琴」
「い、いや、なんでもないわよ、ジャック」
そんな言葉の投げ合いをしている間に、がちゃり、といって正面の鉄扉が開かれた。
その先にいたのは――。
「久しぶりね、礼くん! アポなしで来るなんて、珍しいこと」
「すまないね、零ちゃん。僕だって、こんなに君に会いたいと思ったことはないよ」
そんな茶番劇を眺めながら、麻琴は柏田零子という人物を観察した。
長髪で長身痩躯。漆黒の髪は艶やかで長く、日本人離れした翠色の大きな目をしている。
そして麻琴にとっては遺憾ながら、プロポーションが抜群だった。同性の麻琴でも、すれ違ったら振り返ってしまったかもしれない。
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