第8話 ヤトアカミ

 地をかける。もっと早く、もっと速く、もっと疾くと心が告げる。


 ワタクシにお父様から下された命は2つ。1つは船の整備と解析。流用できる技術ならば盗んでこいと仰せでしたわ。遺物はワタクシの大好物、これ以上ない命令ですわ。


 そしてもう一つは、世界一珍しい男の種を持ち帰ってこいという命令。聞けばただの人間でありながら【老害】を消し去ったという豪傑。であればその希少性は並ぶものなし。喜んでワタクシの腹に子を宿しましょう。


「うふふふふふ」


 自然と笑みが浮かんでしまう。昂りが抑えられない。きっとこれからワタクシには最高の時間が待っている。


 ああ、見えてきましたわ。お父様から渡された情報にあった場所。「きっとそこに用がある奴はみんないるぞ」と言われていた場所。


「そうじゃ。ドラゴンのとこでも随一の遺物研究者じゃと。名前は確か……」


 聞こえてきましたわ、これはきっとワタクシのことですわ。良いですわ、良いですわ、ここはパーっと登場してしまいましょう。


 龍皇バハムアトが娘として。


「ヤトアカミですわ!!」


 高らかに声を上げましたわ。ここにワタクシありと示しました。


「全速力で走って参りましたのよ!!」


 ワタクシの目に写ったのはゴッドの長であるアマテラス様。


「おお、そうかそうか。急がせてすまなんだ」

「まっっっっっっっったく問題ありませんわ!! ワタクシにこの子を弄る権利をくださるんですもの!!」


 ああ、あああ。なんて美しい形!!! これを今からこねくり回して動かすんですのね!!!


 何と言う幸福、何と言う僥倖、こんなにも生まれたことを感謝する日はありませんわね!!


「失礼ですが、少しだけ力を押さえてはもらえませんでしょうか」

「は?」


 視界には居たが、全く興味がなかった存在に声をかけられましたわ。なんでしょう、死にたいにかしら。それとも初めて見るだろうドラゴンに舞い上がっているでしょうか。


 同じ存在かのように声をかけるだなんて、一体何を考えているの?


「どうして、ワタクシが、人間の、願いを、聞かなければ、なりませんの」

「このままでは自分はあなた様の力にあてられて、負傷します。自分を負傷させれば、あなた様に非常に不利益な事が起こりますがそれでもよろしいですか」


 不利益なこと? ワタクシに? 馬鹿馬鹿しい。この人間が死のうが怪我をしようがワタクシになんの咎がありましょうか。それは弱い人間が悪いのですわ。


「ますます意味が分かりませんわ。人間1人ケガをしたところで何の問題があると言うのでしょう。ワタクシに不利益? 一体どんな不利益があると言うのです」

「アマテラス様、いかがでしょう」

「ん? そうじゃなあ。今お前がケガをしてしばらく動けなくなったとしたら、それをした者は斬首か生涯を檻の中で過ごすじゃろうなあ」


 斬首? 一生を檻の中? どういうことですの? どうしてアマテラス様はそんなに怒っていらっしゃるの? ワタクシが何か悪いことをしたのでしょうか?


「ひっ……!? ど、どういうことなのでしょう? この人間がそんなに大事なのですか?」

「大事も何も大恩人じゃ。神界の【老害】を救済しておるんじゃから。唯一無二の存在じゃ。それをむざむざ壊すなど愚かどころか生きる価値がないじゃろう?」


 愕然とした。ワタクシの2つ目の目的がこんなところに。もっと華やかで、もっと強壮な存在だと思っていましたのに。こんなパッとしない男だったなんて。


 いえいえ、たとえパッとしなくてもその価値は計り知れないのですわ。十分ですわね。


「い、今すぐ抑えますわ」

「ありがとうございます。無理を通してしまいました」

「い、いえこちらこそ。お父様が言っていたのはあなたの事でしたのね」

「お父様、というと」

「ワタクシのお父様はバハムアトと言いますの。今回の事はお父様からの命令でもありましてよ」

「それはそれは、まさか龍皇の御息女だったとは」


 お父様の名前を聞いても眉ひとつ動かさないなんて。お父様は名前だけでドラゴンの勇士でも恐れと怯えを顔に出すほどなのに。


「せっかくですので正式なご挨拶を。龍皇バハムアトが三女、地走龍ヤトアカミですわ。どうぞ気軽にヤトアとでもお呼びになってくださいまし」


 ひとまず形式にのっとった挨拶を。礼を欠くものは相手にされない。これは種族を超えた常識でしてよ。あなたはどうかしら。


「ご丁寧にありがとうございますヤトア嬢。自分はサンソンと申します。どうかよろしくお願いいたします」


 サンソン、というのですね。返しの言葉も及第点の振る舞いと言えるでしょう。でもおかしいですわね、ドラゴンは人間にとって強大すぎる相手、全く恐れもせずに名前を呼べるのはいったいどんな経験をしたのでしょうね?


「ランド?」


 あら、あらあらあら、なんて可愛らしい敵意なの。ぶすぅっとした顔で不機嫌さをアピールだなんていじらしいですわ。


「ランド・パンドーラ・ドー。よろしく」

「ええ末永く、ね」


 分かります、分かりますわ。この子、ワタクシに盗られると思っているのでしょうね。まあその通りですが。ですけど、それを止める立場でもないからこうやって無言の意思表示をするしかないと。


 うふふふふふ、この子は遊びがいがありますわねえ!!


「ランド、何かあったのか」

「何かあったか? そんなのは見れば分かるでしょ!! 見てよあの目、絶対サンソンを狙ってるって!!」

「そんなわけがない。良いか、ドラゴンから見た人間はゴッドから見た人間と同じで塵芥もしくは虫のようなものだ。それがどうして狙われる……ような……いや待てよ」


 全部聞こえていますわ。もう少し密やかに話していただかないと。


「うふふ……じゅるり」


 あらいやだ、はしたないことをしてしまいましたね。獲物を前にして舌なめずりなど。


「前言撤回だ。ランド、ヤトア嬢は自分のことをほぼ確実に狙っているな」

「でしょー!? だから僕が目を光らせて四六時中サンソンと一緒にいなきゃ危ないよ!! 寝床からお風呂からずっと!!」

「いや、そこまでは」

「えー、良い考えだと思うけどなー」


 なんて可愛らしいやりとりでしょうね。 これならずっと見ていられますわ。箱庭で愛玩動物を愛でる気持ちが分かりますわ。


「ヤトア嬢」

「何でしょう?」


いったい何を聞いてくれるのでしょうね?


「厚顔な質問なってしまい大変申し上げ難いのですが。ヤトア嬢は自分のことを収集しようと考えておいででしょうか」

「っ!? どうしてそのようなことを?」


 ふふふふふ。お、お、あ、た、りですわ。思わず高笑いをしそうになったのを堪えて平静を装いましょう。


 ええそうです。その通り。ワタクシは今最高に昂っています。なぜなら今まで1番美味しそうで今までで1番面白い蒐集物を見つけたのですから。


「ヤトア嬢から飛んでくる視線がアルゴー号を見る時と同じでしたので。ドラゴンの嗜好はある程度存じておりますのでもしかしたらと」

「あらあら、心を見透かされるというのは恥ずかしいものですわね。ですが、それには誤解がございますわ」

「誤解、と申しますと」

「ええ、ワタクシがあなたを所有するのではありません。あなたがワタクシを所有するのです」

「意味がよく……?」

「では直接的に言いましょう」


 思いつきが8割、本心が2割ほどではありますが。お父様の命令は守れますし。


「ワタクシ、妻になるよう言われて参りました。そしてワタクシもそれを了承しております」


 結果が同じなら問題はないでしょう。それに、1番蒐集したい相手に逆に所有されるというのは、こう、尻尾の先から角の先までゾクゾクとした興奮が駆け上がりますもの。


 新しい扉が開いてしまったかもしれませんわね?


「龍皇バハムアトが、そう言ったのですか」

「ええ。その通りですわ。子種をもらってこいとも言われております」

「……ドラゴンと人間の間に子はできないはずでは」

「あら、よくご存知ですわね。ですがそれは凡百のドラゴンのお話ですわ。ワタクシほどの龍になれば肉体をより人間に近づけることなど容易です。つまりはあなたの子を孕むことが可能ですわ」

「……」


 ああ、その顔。衝撃的な事を言われても人間らしからぬ不動心を見せつけるその顔。良いですわ〜、食べてしまいたいですわ〜。


 そしてそれ以上にワタクシの欲を刺激するのは後ろのあなた。素晴らしい表情、怒りかしら、嫉妬かしら、何にせよぐちゃぐちゃになった心が見えるよう。


「ねえ、ヤトアさん」

「何でしょうランドさん」

「ドラゴンって決闘を申し込む時どうするの?」

「相手の胸に手を当てて、こう言いますわ。「最後に立っていた者のみが正義」と」

「そっかあ。それじゃあ」


 あはぁ♡ ワタクシに決闘を申し込むのですね。愛する人間をとられたくない一心で。


 素晴らしい、素晴らしいですわ。それを叩き潰して差し上げたら一体あなたはどんな顔を見せてくれるのでしょう。


「最後に立っていた者のみが正義。ヤトアさん、受けてもらえるかな?」

「ええ喜んで」

「良かった。じゃあ僕の勝ちだね」


 勝利宣言? 即死攻撃でも……?

 なるほど。これは、ギッチギチに閉じ込められましたね。流石に油断が過ぎましたか。だが、肉体的拘束であるのなら、ワタクシの脚で突破できない理由はありませんわ。


「まあ、1日くらい置いておけば大人しくなるかな」


 まあまあ、舐めた事を言っていますわね。その度肝を抜いて差し上げましょう。

 ワタクシの脚がどれだけのものか見誤りましたわね。


「っ!?」

「すごいな。蹴破ったのか」


  確かに強度はそこそこありましたが、蹴り抜けないほどではありませんわ。


「出てくる」

「あーっ!! 窮屈でしたこと!!」


 あんなに締め付けられることはそうそうなくってよ?


 まあ、次はありませんけど。


「それではよろしいですか? ワタクシ、足癖は少々悪くってよ」



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