第3話 ランド・パンドーラ・ドー

 サンソンという幼なじみがいる。あいつは神界に住まう人間の中で最もおかしな人間だと僕は断言できる。人間であるのに、なんの気後れもなくゴッドである自分と交流し、前世の記憶とか言って荒唐無稽な話を異常な精度ですることができる人間など他にはいない。とはいえ、あいつは上手く神界で生きていたと思う。商売をそつなくこなし、大きな問題も起こさない。人間の時間を問題なく穏やかに過ごすことができるはずだったんだ。


 だが、あいつの持っている力が問題だった。【介錯】という聞き慣れない力。


 使ったのを見たのは1度だけ。だが、その1度だけを僕は看過することができなかった。あの力は人間が持っていい範囲を大きく超えていた。ただ死を与える力ならどんな攻撃能力でもある程度は代替可能なありふれた力だと捨て置けた。だが、あの現象はただの殺傷ではなかった。結果としては死なせることに変わりはない。変わりはないが、あれは厳密には殺傷ではない。


 あれは昇華だった。死せる苦しみを取り除き、安寧を与えて送り出す。そう言えば単純に聞こえるだろう。だが、やっていることは創世神の権能に両足を踏み入れている。まず、魂への干渉。自分のものならばまだしも、他者の魂に触れることなどゴッドの上位でも不可能である。あまつさえ、魂の葬送など世界の理にまで手をかけている。


 他のゴッドにその存在が知られてしまえば、すぐさま捕縛されて実験体にされるのが目に見えている。長い時間を持てあましているゴッドなんて腐るほどいる。希少な実験体など細胞の1つにいたるまでしゃぶりつくされる。ゴッドが少し本気になれば人間には拒否も抵抗も許されない。だから僕は全力で情報を隠蔽してきた。隠蔽、してきたんだ。


「そういえばお前がつるんでる人間いたろ? あれさ、くじ引きで次の当番に決まったから」

「え?」

「あれ? 言ってなかったっけ。一定周期でウチの地下に封印している【老害】に討伐隊を送ってるんだ。どうにもならない災害だが、一応同胞のなれの果てだ。救うのを諦めてないっていう姿勢は見せなきゃな。とはいえ貴重なゴッドを無駄死にさせるのはうまくない。だから神界にいるショートを使うのさ」


 ショートというのは差別用語だ。長命である5大種族以外を揶揄している。僕はこの呼び方は嫌いだ。短命だろうと、長命だろうと、結局はどう生きて、どう死ぬかに集約される。


「でも、あいつは商人です。あいつが抜けるとあの辺りの流通に影響が……」

「影響? そんなものないだろ。どうせ100年ちょっとも生きない奴らだ、すぐに次が出てくるさ」

「……そう、ですか」

「そうだよ、いちいち入れ込むと辛くなるぞ? まあ、折角だしお前が連れてこいよ。最期に会話するくらいのことは許されるさ」

「ありがとう、ございます」


 僕の教育担当をしているゴッドはそう言って去って行った。くじ引きと言っていたが、ゴッドはサイコロを振らない。賽は投げられる前に決定されている。つまり、僕如きの隠蔽に意味は無かったということだ。危険因子を排除して、隠蔽工作をしていた者に釘を刺す。加えて対外的な体裁まで保つという一手だ。効率が良すぎて寒気がする。


「僕は……」


 逆らって逃げてしまおうか。逃げ切れるわけがない。ここで僕が何をしようと、サンソンは【老害】の元へと送られるだろう。他のやつにやられるくらいなら僕自身がやる。これはひどい裏切りだ、分かっている。分かっているさ。それでも、君の最期を見るのは僕が良い。


「やあサンソン。見せたいものがあるんだ」

「ランドじゃないか。今日は急だな」

「そうかな? いつもこんなものだと思うけど」


 サンソンが僕に笑いかける。僕にはそんな風に笑いかけてもらえる勝ちなんてもうないのに。気取られるわけにはいかないが、胸に満ちるこの感情は2度と味わいたくはないと切に思う。


「今日は良い肉があってな、折角だから食べていかないか」

「ああ、それは楽しみだな。人間の料理は美味しいからね」


 やめてくれ。いつも通りのやりとりなんてしないでくれ。2度とできない会話を、記憶に刻みこもうとしている自分が嫌だ。もう後戻りなんてできないのに、いまからでもサンソンを連れて逃げようとしている自分が嫌なんだ。絶対に離れたくないと叫び続ける心が嫌なんだ。


「サンソン、僕と君があったのはいつだっけ」

「ん? 確か5歳くらいのときだったと思うが」

「そうか、もう15年になるのか」

「思い返せばあっという間だ」

「そうだね」

「ゴッドの感覚ならもっと短いだろ?」

「ふふ、そうかもね」


 あっという間? そんなわけないだろう。僕は君いつ何を言ったか、何をしたかを全て記憶しているんだから。


「着いたよ。そこだ」

「そこ?」


 着いてしまった。


「ごめん。ごめんよ……サンソン」

「がっ……!?」


 僕は、友人を捕縛した。ああ、吐き気がする。涙が止まらない。


「君は今から【老害】を浄化する任に就く」


 できるわけもない任務について話す、これは生贄と同義だ。僕はサンソンを【老害】に差し出すんだ。


「【老害】の名前は【深淵神】クトー・クトゥルー・クルト。狂気を伝染させる災害だ」


 大昔から生き続ける災害を、サンソン1人で倒せるわけがない。全部分かっていて連れていくんだ。だが、これだけは言わせてほしい。自己満足にすぎないけれど、都合の良いことを言っているとは分かっているけれど。願いと誓いをさせてほしい。


「もし、君が生きて戻ってきたなら。僕は君の一生に寄り添うと約束する。奴隷のように扱ってもらって構わない。だからどうか、もう一度顔を見せておくれ」


 これは僕ができる精一杯だ。 死にゆく君への祝福だ。


 そして僕はサンソンを深淵に続く穴の底へと突き落とした。


「うぷっ……!?」


 自分のしたことのおぞましさにその場で嘔吐した。吐くものがなくなってもそれは消えなかった。罪悪感は塔のように積み重なり、僕を押しつぶそうとしてきた。


 いっそ命を断てればどれほど楽だっただろうか。


 だけど、サンソンの死が確定するまでは、それまでは僕の命は僕のものではない。最低でも100年は、僕の命は君のものだよ。


「…………サンソン」


 君にもう一度会いたいよ。 

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