第7話 SF は何の略?
彼女がこの教室に入ってきたのにはちゃんと気づいていた。そっと教室に入るなり文集を読んでいる僕の姿に気づき、邪魔をしないようにと気を遣いながら静かに座った。
さすがにそれに気づかないような鈍感な人物なんてそうそういるもんじゃない。それほどまでに読書に入り込むような人物を僕は知らないわけでもないが、あいにく読んでいた文集の『4.3光年』という物語にはそれほど入り込むような面白さはなかったし、あえて正直に言おう。
こんな文集の中身なんかよりも、彼女、『宗像瀬奈』の存在のほうがはるかに僕の興味を惹く。
そのうえで、あまり興味を持てないような文集を片手に集中して読んでいるふりをしていたにすぎない。
「文集を見つけたんだ。多分卒業生のもので元文芸部員が書いたものだと思う。それよりどうしたの?」
「うん、別に用事はないんだけどね。ヒマだったから」
「笹葉さんは?」
「そりゃあ、大我とデートに決まってるでしょ」
「そうか。でも、なんでデートって決まってるんだ? まあ、あの二人仲がいいみたいだからだいたいデートしてるみたいだけど」
「ねえ、ユウ。今日が何の日か知ってる?」
「何の日?」
スマホの時計を確認する。七月七日。
「ああ、今日は七夕だ」
「あきれた」
「いや、そうは言うけどさ。この辺りじゃ七夕は八月七日に行うものだから、別に今日がそんな特別な日っていうわけじゃあないんだよな。少なくとも僕にとっては八月七日が七夕だから」
「え、でも別に今日も七夕でよくない? 一般的には七月七日のほうが主流なんだし」
「でも、それじゃあ織姫と彦星が年に一度しか会えないことの意味が薄くなる。しかも八月の方は逢うのが一か月ぶりくらいだから感動も薄くなってしまうだろ」
「じゃあ、こんなのはどう? 彦星は二股かけていて七月の七夕と八月の七夕には別々の女と会っているのよ。それなら両方とも会うのは年に一回だけだし。ほら、確か夏の大三角形って織姫と彦星のほかにもう一つあるわけでしょ」
「白鳥座のデネブだな」
「うん。じゃあ、そのデネブと織姫とで二股かけているわけ」
「彦星サイテーだな」
「あはは、っんとサイテーだね。まあ、それに最近じゃあ七夕のことをサマーバレンタインっていうし、恋人たちにとってはそれなりに大事な日だったりするのよ。きっと……」
「いや、でもさ。そもそもバレンタインは古代ローマ時代に結婚を禁止されていた軍人にひそかに結婚式を行っていた司祭が処刑された日にちなんでいるので、件のSt.バレンタインさんは夏に処刑されわけではない。そうそう何度も処刑される聖職者の身にもなってほしい。
それにバレンタインなんて引っ張り出さなくても織姫と彦星はちゃんと恋人の話なんだから、なんでそこで外国のおっさんを引っ張り出してこなくちゃならないのかがわからない」
「またヘリクツばっかり。そんなんだからユウは恋人たちの祝日にも一人ぼっちなんだよ」
「それは関係なくない……ってか。もしかして今日、栞さんがいないのは七夕のせい?」
「しおりん、いないの?」
「うん、なんか今日は用事があるとかで……、いや、でもそれはないか」
「わからないわよ。でもさあ、しおりんってどんな人が好きなのかなあ?」
「さすがに想像つかないな」
「ねえところでそれ、どんなはなしだったの?」
さっきまで読んでいた文集を瀬奈が指さす。
「読んでみる?」
閉じた文集をそっと瀬奈のほうへ押し出すが、
「いい。文字読むと眠くなっちゃうから」
そう言いながら、僕が推した分よりも多めに押し返した。
「短い話だからすぐに読めるよ」
「じゃあ、ユウが話して」
「僕が? いや、でも、そんなわざわざ語るほどの話でも……」
「聞きたいの!」
「ええ……。まったく……」
言いながらも、まんざらでもない。何度も言うようだが決してこの4.3光年という話が面白いわけじゃあない。瀬奈が、僕の話を聞きたいというのならばそれがたとえどんな物語であろうとやぶさかではない。
今読んだばかりの話を、記憶に鮮明なうちに彼女に語って見せる。わずか数分にまとめて話したが、それなりに洋書はうまくまとめられたと思う。
――だがしかし。
「うーん。よくわからないかなあ」
と、彼女は不満そうに言った。
たぶんそれは僕のせいではないはずだ。だけど、瀬奈にそう言われることでまるでその物語を書いたのがまるで自分であるかのようで、そしてそれが受け入れられなかったようでつい弁明を始めてしまう。
「要するにこれは前半部分を語っている少女に対し、後半部分を語っている男性の語る少女が前述の少女のことであるかのように思わせて,実はその少女の母親であったという叙述トリックを使っているわけで……」
「いや、それはわかるんだけどさ……」と、瀬奈。「なんで宇宙船は二週間運航しただけで4年も時間が過ぎちゃうわけ?」
「――そこか……」
と思わずつぶやく。
その部分は勝手に理解してくれていると思い込んでいた僕が明らかに悪い。元々科学に疎い瀬奈にとってその部分が分からなければいったい何の話だかまるで分かるはずのないのだ。
「いわゆる。ウィンクル効果というやつだよ」
「ウィンクル効果?」
「相対性理論からなる効果で、物質が光により近い速度で動くことでその動いている物質は動いていない物質に対して時間の流れがゆっくりになるんだよ。だから亜光速で動いている量子船に乗っている人は乗っていない人に比べて時間の流れがゆっくりになるんだ」
「うーん、つまり?」
「つまり?」
「つまり」
「そう、つまり、早く動けば早く動くほど時間はゆっくり流れる。だから年を取るのが早い。それがウィンクル効果。まあ、日本ではウラシマ効果という場合のほうが多いかな」
「ウラシマタロウ?」
「そう、浦島太郎。多分竜宮城はとても遠いところにあって、カメはものすごく速い速度で竜宮城へと案内してくれたんだ。だから帰ってくると300年も時間たっていたっていう話」
「うん。そういわれるとなんとなくわかった」
「それはよかった」
「じゃあ、初めからウィンクル効果なんて言わずにウラシマ効果って言ってくれたほうがもう少しわかりやすかったのに」
「まあ、確かにそれはそうなんだけど……。ウィンクル効果って言ったほうがなんか専門的っぽくてかっこよくないかな?」
「……」
「いや、ごめん。コーヒーでも淹れるよ」
場を紛らわすように僕は立ち上がった。少ししゃべりすぎたようで少しのども乾いていた。
「あ、いいよ。アタシがやるから」
そう言うと瀬奈は立ち上がった僕の両肩を押し付けるようにして椅子に座らせた。そしてきびきびと手際よく二人分のコーヒーを淹れてくれる。その姿が少しできのいい妻のようであり少しくすぐったくもある。
丘の上とはいえ七月ともなればそれなりに暑くじめじめとしたエアコンもない部室。正直言えば温かいコーヒーなんかではなくアイスコーヒーを飲みたいところではあるけれど、いかんせんこの部室には冷蔵庫なんて気の利いたものはない。存在する電気機械が湯沸かしポットただ一つ。飲み物を打っている自販機も旧校舎にはないから、買いに行くにもいちいち坂を下りなくてはならない。だから年中ホットコーヒーを飲んでいる。
しかし、いくらなんでも今日の瀬奈は手際が良すぎる。
まったく無駄な時間を作ることなく。あるいは無駄な時間を惜しむために無駄な動きが多いともいえるほどに素早い動きをしている。
もしかして……と思いながらホットコーヒーに素早くコンデンスミルクを絞りながら、というか素早すぎて明らかに入れすぎてしまっている彼女に聞いてみた。
「もしかして、早く動くことで時間を遅らせようとしている?」
そんな質問に、彼女はいつもよりもやや早口で答える。
「やっぱしアタシの乙女だし、そりゃあなるべくならいつまでも若くありたいからね!」
やっぱり、説明が少し足りなかったようだ。
「ウラシマ効果はあくまでも光にほど近い速度で起こる現象だから、せめて光の速度の99パーセントの速度、つまり秒速35万キロメートルくらいで動かないとその効果はほとんどゼロと言ってもいいくらいだから」
「秒速35万キロメートルって?」
瀬奈は早口で聞いてくる。
「一秒間に、地球を七周半するくらいの速度」
「……そんなの無理に決まってんじゃん」
いつも通りの速度で彼女は言った。そして少し怒ったように僕のために淹れてくれたコーヒーを机の上にドン!と音を立てるように置いた。
――たぶん、僕は悪くない。
「で、その話は結局何が言いたかったの?」
そいう瀬奈の尤も過ぎる言葉にさすがに僕もフォローはできない。
「まあ、結局は素人の高校生が書いた話だからね。あんまり期待しないでもらわないと……。
でも、確かにいろいろとツッコミどころは多いよね。あまりにも話が淡々と進みすぎて感情移入をする余地がないしテーマも曖昧だ。
たぶん作者は科学が好きでそれに関する事象を並べて物語を作ったんだろうけれどそこに偏りすぎてエンターテイメント性が感じられない。
そもそも、プロキシマβという星は確かに地球に重力が近い星ではあるけど、肝心のプロキシマケンタウリは太陽よりも熱量が圧倒的に少ない。だからこの話の中で夕焼けを見るシーンなんかがあるけど、そもそもこの星は薄暗い程度の明かりの星で夕日がきれいに見れるとは考えにくいんだよね」
なんて、自分も少し科学が好きなだけに対抗意識からつまらない批判までしてしまう。少し反省して、
「まあ、いくらSFだからってそこまで突っ込むことはないか。そうやって80年代のハードSF全盛期につまらないツッコミが多すぎるせいで衰退してしまったというところは否めないしな」と、自分自身にフォローを入れる。「それに先日だって異世界ジャガイモ問題でもめてるのを見かけたしね」
「異世界ジャガイモ問題?」
「ほら、異世界物って大体中世にヨーロッパみたいな世界設定だろ? それなのによくジャガイモやトマトを使った料理が出てくるんだよ」
「ああ、そうね。確かにジャガイモやトマトがヨーロッパに入ってくるのは近代になってのことだから中世ヨーロッパが舞台の物語に出てくるのはおかしいね」
――と、瀬奈があまりにも物分かりが良すぎてしまうことに一瞬驚いてしまった。
瀬奈は普段、そういった雑学に対しては疎いにもかかわらず、調理科の生徒だけあって食べ物関係にはやたらと知識が豊富だ。
「まあ、それをおかしいだとか矛盾しているだとか言い出す輩がいるんだよ。でも、そもそも異世界は異世界であって別にこの世界の中世ヨーロッパとは別物なのでそこに違いがあることに問題はないんだ。そもそも中世ヨーロッパにはジャガイモやトマトだけでなく、ドラゴンをはじめとするモンスターや魔法だって存在しない。でも、だとしてその異世界が現実の中世ヨーロッパと関係ない世界だとすると――」
「わかった。ジャガイモという名称がおかしいのね!」
――さすが調理科だ。
「ジャガイモの語源はジャカルタに由来するジャガタライモで、異世界にジャカルタがあるのかという問題に行き着く。でも、そんな話すべてがばかばかしくて、そんなことを言い出したら、なんで異世界で戦う美少女たちはあんなに肌の露出が多いのかということだって出てくる。ろくに未知の整備のされていない山や繫みを冒険すればあんな生足では傷だらけになってしまうだろう。でも、完全防備なおっさんたちが伸び放題のひげ面で何か月も風呂にも入らない薄汚い冒険者たちではエンターテイメントとしてつまらなさすぎる。
だからエンターテイメントを楽しむときにはそういうものだと寛大な気持ちで向き合わなくちゃいけないんだ」
「そう。ちゃんと反省してる?」
「そうでした。そこのところをちゃんと理解せずにつまらないいちゃもんを付けたのは自分でした。ごめんなさい」
「まあ、わかればいいんだけどさ」
――なぜか、瀬奈が僕に対して上から目線になっているのかがわからない。
たぶん。正直なことを言えば僕は悔しかったんだと思う。この文集を、この4.3光年という小説を書いた人間に対して勝手に劣等感を感じて、それに対するささやかな抵抗としてくだらないいちゃもんを付けたのだろう。
その作者は、これを書いたときに僕と年の変わらない高校生だっただろう。その出来はどうあれ自分の小説を完成させているのだ。
それに対し、僕はまだ、ただの一度だって自作の小説を完成させたことはない。きっと、そのことが悔しかったんだろうと思う。
とはいえ、最近のSFに関して言えば、その言葉の通りに考えればあまりにもどうかと思えることも事実だ。
「ねえ、瀬奈。ところで『SF』って何の略か知ってる?」
「ええと……。スペース……ファンタジー?」
「うん、ありがとう」
「なに?」
「完璧な間違いだ。理想的な」
「どういたしまして」
「SF金字塔であるスターウオーズなんかはそのほうがしっくり来るだろうけどまあ、正確には『サイエンス・フィクション』なので、文字通り科学を取り扱った創作なので、別に未来のことでなくてもいい。科学的なテーマでストーリーが展開するならそれでSFだと言って問題ないだろう。でも、このSFという言葉の意味を理解していない、あるいは勘違いしている人は少なくはないんじゃないかと思うんだ。特に最近の映画事情なんかを見るといささか勘違い甚だしいんじゃないかと思うこともある。
有名な魔法使いの映画はもちろん剣と魔法で戦うファンタジー物も全部SFコーナーにまとめてあるのを見るとやはり思うところはある。僕が思うにファンタジーやホラーとSFやミステリーは正反対の存在だと思っているところもあるんだ。それは、ファンタジーやホラーはわからないことをわからないこととして楽しんでいい物語で、たいしてミステリやSFはわからないことに対して理論的に説明する必要があるという点だ。
まあ、中にはファンタジー世界に見えてそれは科学的なメタバースの世界の出来事であったり、科学では説明できないような異能力を使って犯人を捜すといったうまく融合させた物語もあるわけだけど、だからこそいい加減この『SF』という言葉の意味を考え直してもいいんじゃないかとは思うんだ。
さっき瀬奈が言っていた『スペースファンタジー』でもいいし、『少し不思議』でもいい。
でも、僕がおすすめする言い方は『シュミレーション・フューチャー』かな。これは――」
ふと気づくと向かいで瀬奈はスマホをいじっていた。
またやってしまった。ついつい好きなことを語りだすとムキになってしまうのはよくないことだ。
ことさら女子はこういうのを嫌う。
急に黙りこくってしまった僕は何事もなかったように、少し冷めかかったコーヒーに口をつける。
少ししてスマホから目を離した瀬奈は僕のほうへ向きなおった。
「ねえ、ユウ。アタシこのリップ・ヴァン・ウィンクルって人の気持ち理解できないなあ」
どうやら瀬奈はスマホでリップ・ヴァン・ウィンクルの話を調べていたようだ。
「だってさ、眠っている間に二〇年の時が流れてしまって、奥さんが死んでたことに喜ぶのってあんまりじゃない?」
「そりゃあ、奥さんに虐げられていたからなんじゃ……」
「でもさ、奥さんなんだよ。二人は愛し合って結婚しているのに、その相手が知らない間に死んでて喜ぶってのはないわ。その二〇年の間、奥さんからすればだんなさんがずっと帰ってこなくなってたんだよ。その間奥さんがどんな気持ちで過ごしていたとか考えないものかなあ」
「ま、まあ、リップ・ヴァン・ウィンクルと奥さんとの間に何があったのかまでは詳しく知らないけれど、きっと結婚した時には間違いなく愛し合っていただろうね。なのにそうなってしまう未来のことまでは予想していなかったんだろう」
「うーん。わっからないなあ。結婚するほど好きな相手を嫌いになる未来って、どうにも想像できない」
「僕たちはまだ若いからね」
「ねえ、ユウ。アタシたちの二〇年後ってどうなってるかな?」
「二〇年後?」
「うん、今からアタシとシュミレーション・フューチャーしてみない?」
「――話。聞いていたんだ」
――僕たちの二〇年後。
いったいどうなっているのだろうか。きっと世界も科学も今とは全然違っているかもしれないし、実はたいして変わっていないかもしれない。
それでも、その時も瀬奈が近くにいてくれたら……。なんてこともつい考えてしまう。
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