第6話 4.3光年 Bパート
俺が初めて彼女に出会った時、彼女はまだほんの小さな少女だった。
地球とプロキシマアースとを延々と往復する量子船アルタイルが俺の職場であり、また家でもあった。
あるときその少女は親とともにその量子船アルタイルに乗って、地球からプロキシマアースヘ向かって旅をしている最中だった。
つややかでやわらかい黒髪。その幼い瞳も髪の毛と同じく黒い色をしていた。嬉しいこと、楽しいことがあるとけらけらとよく笑う子で、その笑った笑顔がとても印象的だった。
少女の名前はカグヤと言った。
あまり人見知りをしないタイプらしく、偶然知り合ったばかりの俺によくなついた。
プロキシマアースに到着して、俺は宇宙港近くの安いアパートに滞在する。量子船アルタイルのメンテナンス作業のための半舷休暇だ。
亜光速航行については、化学がいくら発達してもまだまだ不安定な要素が多く、緻密な計算と完全なメンテナンスが必要になる。当然その航行はリスクを伴い、だからこそ俺たちのような人間が多く従事する仕事なのだ。
半舷休暇の時期は、これと言ってあまり仕事があるわけではない。次の航行予定や乗務員の健康管理のための人間ドックといった業務こそあるものの、基本的には自由に行動できる。
俺はそういう時、だいたいそのあたりを当てもなく散歩をする。
これといった趣味もないからだ。
二週間の運航と二週間の休暇の繰り返し。それだけを考えるならば特にたいしたこともないかもしれないが、運航期間の二週間は船の外の世界は約四年半という時間が過ぎていく。往復すれば九年。たとえば地球で何か面白いものを見つけて新たな趣味を持っても、往復して帰ってくれば時代は流れ、そんな趣味を持っているやつはどこにもいなくなる。欲しいものがあってももうすでに手に入れることは困難になる。こんなことを続けていれば自然、趣味なんて持つのがばからしくなる。
それに、趣味なんか持たなくたって、散歩をしているだけで十分楽しい。知っていたような風景でも往復して九年の月日がたてば、それはまるで知らない世界に変わっている。
特にこのプロキシマアースの発展はめまぐるしい。俺が量子船の航海士になったばかりのころは、この星はまだまだ発展途上で、それこそ原始的な生活に近かった。しかし、航海を繰り返すうちにプロキシマアースの時間は四〇年、五〇年と進んで行き、今ではすっかり地球とあまり変わらない水準になってきた。
そんなめまぐるしく移り行く世界を見ているだけで飽きない。
その日も俺は相変わらず近隣を散歩して歩いていた。その散歩道の途中に立派なお屋敷がある。地球からの領事館だ。
その領事館の前を歩いているときに、そのお屋敷から一人の女の子が飛び出してきた。黒い髪と瞳の少女の姿には見覚えがあった。ボール遊びに夢中になっていたらしく、あまり周りのことを見ている風ではない。道路にまで飛び出してきたその女の子は散歩中の俺にぶつかった。反動で後ろにひっくり返り、すぐにその場で起き上がり、またけらけらとたのしそうに笑った。
その姿を、純粋にかわいいと思った。もし、こんな子供が自分にもいればいいのになと思った。
しかし、それはやはりかなわない夢なのだろう。俺は職業柄、普通の人たちと同じ生活をすることはできない。
それは、同じ時間を生きることができないからだ。
しかし、その半舷休暇の二週間については違う。俺は、そこにいる人達と同じ時間が過ごせるのだ。
その領事館には、俺の搭乗している量子船で知り合ったカグヤとその親が住んでいた。
縁もあって、半舷休暇の間その親子と仲良くさせてもらった。
そしてまた半舷休暇が終わり、量子船アルタイルが地球へと出発した。
その乗客に、再びカグヤの親子がいた。
俺はカグヤの親としっかり打ち解けて仲良くなり、再び地球に帰ってからの二週間、再びその親子とは交流が続いた。しかし、その交流もいつまでも続くわけではなく、二週間の時を経て、俺は再びプロキシマアースに向けて出港することになった。カグヤは俺の膝にすがって泣いた。
正直。俺もカグヤ達とは離れたくなかった。生まれて初めて家族らしいものに触れることが出来て、それを手放したいとは思わなかった。
しかし、俺はそんなことは許されない。重力の上で住む人たちと同じ時間は過ごせない。
再びプロキシマアースに到着し、そして地球へと帰ってきた。そして二週間の休暇を終えて再びプロキシマアースへと出発した。
そしてその船の中で彼女に再会した。
長く、しなやかでつややかな黒髪と、それと同じくすんだ黒い瞳の少女カグヤ……
彼女はすでに一六歳になっていたが、俺は一目で彼女がカグヤだとわかった。
そんなに長く離れ離れになっていたわけではない。俺にとってみればたった六週間前の出来事だ。
カグヤもすぐに俺の存在に気付いた。無理もない。俺の姿はカグヤと違い、ほとんど歳などとっていないからだ。
二人が再び仲良くなることに何のためらいなど必要なかった。いくぶん大人になったカグヤを、俺は再び自分の娘のようにかわいがることができた。
俺とカグヤはプロキシマアースに到着した。 彼女はその到着以降、プロキシマアースヘと定住すると言っていた。
二週間の休暇が、彼女と過ごすことのできる最後の日々になるだろうと思っていた。
もう、一人前に大きくなった彼女は親を同伴して行動する必要もなく、二人は様々な場所に出かけた。
二週間の休暇の最後の日。カグヤは俺の一番のお気に入りの場所を教えてほしいと言った。
俺の一番のお気に入りの場所は、プロキシマアースの海だった。
とある岬の突端からの眺望は絶景で、時折湧き上がる間欠泉はキラキラと空中を輝かせる、とても素敵な場所だった。
二人で並んで、一日中いろんなことを語り合った。
やがて陽が傾きかけ、プロキシマの夕焼けが俺たちを染めた。
カグヤは、俺のことを好きだと言った。
もちろん俺も、カグヤのことを好きだと言った。
しかし、それは愛とか恋といったものではなく、娘として好きだという意味だった。
数週間前に出会った彼女は、まだほんの小さな子供で、恋愛の対象だなんて考えもしなかった。
カグヤは別れを惜しんで泣いた。
俺は最後にカグヤを抱きしめた。
彼女の髪から甘い香りがした。
それは、決して幼い子供の存在ではなく、一人の女性としての香りだった。
翌日。俺は地球に向けて出港した。カグヤは見送りに来なかった。
瞬く無数の星の海の中で、もう、あの時代の彼女には会えないのだということに、今更気づいた。
時折、あの時抱きしめたカグヤの髪の香りが脳をかすめることがある。
その度に、じくじくと胸が痛むのだ。
再び地球に到着した俺は、ひとりで半舷休暇を過ごす。
それまで俺は、地球はプロキシマアースよりも美しい星だと思っていた。
しかし、いくら色とりどりの自然が存在したとしても、そこのカグヤの色がないことに気が付いた。
その抜け落ちた色が恋なのだと気づいた。
俺はすぐにでもプロキシマアースに帰りたかった。愛しいプロキシマケンタウリ、愛しいカグヤのもとへ……
プロキシマアースで再会した俺たちは、出会ってその場で抱きしめあい、口づけをかわした。
彼女はオレの知っている一六歳の乙女ではなく、二五歳の大人の女性になっていた。
変わらず、彼女の髪は甘い香りがした。
逢瀬を重ねた俺たちは、意を決して彼女の親に会いに行くことにした。
カグヤとの、結婚を許してもらうために。
しかし、彼女の父は俺たちの結婚を許してなどくれなかった。
「身分の違いをわきまえろ」
それが彼女の父親の言い分だった。
もっともな話だ。
カグヤは領事の娘であり、方や俺は犯罪者だ。
かつて俺は罪を犯した。酔った勢いで喧嘩をして、相手に大きなけがを負わせてしまった。
俺に課せられた罪は〝時流し〟の刑だった。
元々が宇宙航海士であった俺は、量子船アルタイルの乗務員となった。それは刑罰の中ではある意味寛大な刑で、ある意味ではきわめて厳しい刑罰だった。
ある程度の自由を保障されるその受刑者が入れられる牢獄は〝時の牢獄〟だ。
個人の自由はある程度保障されるが、他人とのかかわりは望めない。
「お願い、ファーレンハイト。わたしをここから連れ出して」
カグヤは、俺とともに過ごせないこの世界を牢獄のようだと言った。
二人は駆け落ちをすることにしたのだ。
カグヤは地球行きの量子船アルタイルに乗り込み、再び地球へと旅立った。
そこで二週間の休暇をすごし、再びプロキシマアースへ向けて出発の日が訪れた。
本来ならば、その船に再びカグヤが乗ってくれれば問題はないのだろう。
しかし、恒星間航行の旅費は決して安いものではない。受刑者である俺にそんなものを工面できる余裕などあるわけもなく、すでに領事の娘でも何でもないカグヤにもそんな費用を賄えるはずもない。
このままどこかへ逃げてしまおうかと考えたこともある。船になどもう乗り込むこともなく、どこかに隠れてひっそりとふたりで過ごすのだ。
しかし、そんなことがやはり許されはずもない。それが時流しの刑にあった俺の定めなのだ。
「だいじょうぶよ。ファーレンハイト。わたしはいつまでだって待つわ、あなたのこと。
それともなあに? 不安なわけ? わたしがあなたのいない間にどこかの誰かに心を奪われるなんて心配している?
そんなわけないじゃない。
あなたにとってはわからないかもしれないけれど、わたしが今まで何年という月日の間、あなただけを想いつづけてきたのだと思っているの?
どんなに離れていても、どれほどの時間が過ぎていこうとも、わたしはあなただけを愛し続けるわ。
だから、安心してお仕事に行ってきて、次に会えるのは、わたしが三二歳になった頃ね。
もう、すっかりあなたより年上よ。
それともあなたは、そんなおばさんになってしまったわたしのことなんて、どうでもいいのかしら」
そんなわけがない。
たとえどんなに離れていようとも、たとえどれほどの時間が過ぎようとも、俺がカグヤ以外の女性を愛するなんて考えられない。
そして俺はプロキシマアースへと旅立ち、再び地球へと帰ってきた。
しかし、その二週間の休暇中、カグヤと出会うことはできなかった。
彼女は仕事しており、忙しくて会う時間が取れないと言っていた。
「でも、心配しないで。仕事をしてお金がたまったから、次の航海にはわたしもついていくから。それにね、会わせたい人もいるのよ」
俺に会わせたい人というのは一体誰の事だろうと考えていた。
九年後、その人物に会った瞬間、すぐにそれが誰の事なのかがわかった。
彼女は、その少女は量子船アルタイルのセントラルパークで〝オテダマ〟という中世時代の遊びをしていた。世の中の科学技術がどれほどに進化して、様々な遊びが増えているなかでもこのような古来の遊びが消えてなくならないのは、人間という生物が本質的に変わっていないという証拠だ。
その少女は長くてつややかな黒髪、そしてそれと同じく黒い瞳を持っていた。
その姿はあの時のカグヤとうりふたつだった。それは三二歳になり、初めてその姿を見るカグヤよりも、よほどに自分の知っている少し前のカグヤで、娘の方がよほどにカグヤらしいとさえ思った。
名前をタナバタというらしい。
間違いなく、俺の娘だ。しかし、タナバタにはそのことを教えていないらしい。知れば、父親とともに過ごせない自分のことを不幸に思うかもしれないということだった。
俺は娘と、偶然に知り合った他人を演じることになった。
もう少し彼女が大人になって、物事を理解できるようになった頃に真実を教えてやればいい。
カグヤとはそう話し合った。
以前に俺は「カグヤ以外の女性を愛するなんて考えられない」などと言ったことがあったが、今にして思えば、とんだ嘘つきだったと思う。俺はタナバタを、カグヤと同じくらいに、あるいはそれ以上に愛した。
プロキシマアースへと到着したカグヤとタナバタは、領事であった父親のもとを訪ねた。
俺も当然、そこに行くべきだったのだが、正直怖気づいてしまっていた。
当時一六歳だった娘を連れだし、駆け落ちまでした自分が謝罪しなければならないことぐらいはわかっていたが、こういう時になかなか勇気というものは持てないものだ。
心の整理がつき次第、彼女の父親にはちゃんと愛に行くと約束をしていたが、あいにくのの願いはかなわなかった。すでに老齢に達していたカグヤの父親は、娘と孫に再会した数日後に、この世を去った。
俺はちゃんとあいさつに行けなかったことを後悔したが、カグヤの話では、父はまるで怒っていなかったということだった。それどころか、今まで娘を守り、孫に会わせてくれたことを感謝していたと言っていた。
そして俺たち家族は再び地球へ。
「次に会う時は、もうわたしはすっかりおばさんなのね。いつまでも若いあなたが羨ましいわ」
地球での休暇を終えて、再び離れ離れになってしまう際にカグヤが俺にそういった。
――結婚の最大の利点は、愛するものが年老いていくことさえも見ることが許される、唯一の権利者であるということだ。
という言葉を言ったのは一体誰だったか、おそらく中世時代の詩人かなにかだろう。
カグヤとは正式な結婚こそしていないものの、俺にはそれを見ることが許されていることはやはり幸福なことなのだろう。いささかそれがあまりにも早く訪れるということが難点だ。
次に会う時、カグヤは四〇歳を超えているだろうが、やはりその姿は美しいのだろう。そしてその姿にも俺は間違いなく恋をする。
そう思いながら俺はプロキシマアースへと旅立ち、そしてまた地球へ帰ってくる。
しかし、もうカグヤと会うことは二度となかった。
カグヤは地球特有のウイルスに犯され、すでにこの世を去っていた。
娘のタナバタに連絡を取りたかったが、あいにく住所も変わっていて、連絡先さえ解らない。
地球の領事館で娘のタナバタの行方を尋ねたが、正式な戸籍上のつながりを持っていなかった俺はタナバタの行方を教えてもらえなかった。
わずか二週間の休暇ではとてもその存在を見つけるまでには至らず、俺は孤独のまま量子船アルタイルに乗り出航する。
その船に、タナバタは乗っていた。駆け落ちをした時のカグヤと同じ一六歳になっていた。
タナバタは俺にカグヤの死を伝え、このままプロキシマアースへ移住するということを聞いた。
彼女はまだ、俺が父親であるということを聞いていなかった。
俺はその事実をつたえるために、タナバタをプロキシマの海へと誘った。
俺が父親であることを告げる前に、タナバタは俺のことを愛していると言った。
もちろん俺もタナバタを愛している。
しかし、それはカグヤに対する気持ちとは違う。
娘に対する親の愛だ。
そして、タナバタ自身も俺に対する安らぎを恋愛だと勘違いしているに過ぎない。
すべてを伝え、タナバタは涙を流した。
そして、俺にダイヤの指輪を手渡した。
俺はそれを受け取る。
カグヤの遺骨を高温で焼いて作った人工のダイヤだと言った。
俺はタナバタを抱きしめた。
俺の腕に包まれるタナバタの髪の香りは、あの時のカグヤと同じ香りがした。
タナバタをプロキシマアースに残し、地球への航海を終えて再びプロキシマアースに戻った俺の目の前に現れたタナバタは二四歳になっていた。
タナバタは俺と同じ年齢の恋人を紹介した。
俺が半舷休暇の二週間の間にふたりは結婚式を挙げ、タナバタは俺の腕を握りヴァージンロードを歩いた。
おそらく次に訪れるときにはきっとあの時出会ったカグヤにそっくりな孫娘に会えるのではないかなどという淡い期待を抱きながら、俺はあまたの星の瞬く海へと航海に出る。
同じ時を過ごすことはできないが、俺はこうして家族の行く末を見守っていくことが許されている。
これだけで十分すぎるほどの幸せではないだろうか。
俺はあまたの星の海を眺め、いつも同じことを思う。
それは地球に遥か昔から伝わる言い伝え。
死んだ人間は宇宙に瞬く星になるという伝説だ。
きっとこの宇宙の星のいずれかがカグヤなのだろう。
了』
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