1章 『竹取物語』著者不詳 を読んで 笹葉更紗
第2話 夏の大三角関係
『竹取物語』著者不明 を読んで
笹葉更紗
竹取物語は平安時代の前期に成立した日本最古の物語である。正確な成立年も作者も現時点では未詳。
翁が竹を割って出てきた女の子を育て、美しく育ったその娘に多くの権力者たちが求婚するも、無理難題を押し付けてはその申し出を断っていく。
誰からの求婚を受けることもなく月へと帰っていくかぐや姫はどうしてかくも求婚を断り続けたのだろうか?
作中、かぐや姫は月の世界にて罪を犯したのだという。だからその罪として平安の世に生れ落ち、誰とも結ばれることを許されなかったというのだ。
月の世界でかぐや姫が犯した罪とはいったい何だったのだろう。
8月7日。その日は幸運なことに晴れだった。
家からさほど離れていない場所に市営の図書館がある。西川というほとんど用水路並みの小さな河川のほとりに大きな公園があって、そこには役目を終えた汽車が展示してあるため、ウチら地元民は汽車公園と呼んでいる。その敷地に併設されているのが市営の図書館で、元来内気な自分にとって憩いの場所でもある。
五階建ての建物の一回から三階までが図書館で、公園と向かいの西川とが一望でき、景観も悪くなくエアコンもよく効いている。何よりウチは読書が趣味である。夏休みの予定のない時は一日中ここで過ごす。不自由を感じたことは一度もない。
夕方六時の閉館時間が近づき館内に閉館案内のアナウンスが流れ始める。焦る必要はない。もとよりこの時間までいるつもりだったのだ。特に今日という日は。
立ち上がり、窓から向かいの西川のほとりを眺めるともう多くの人が集まっている。夏のこの時間はまだ外はそれほど暗くなく、適度に風の流れる過ごしやすい時間だ。
一人エレベータを使い、一階のロビーから一歩外に出る。玄関ホールには大きな笹の木が置かれていて、そこには色とりどりの願い事をつづった短冊がぶら下がっている。
八月七日は七夕祭りだ。
一般的に七夕祭りというのは七月七日に行われるが、地方によっては旧暦に従い八月七日に行われる。もちろんこの地でも七月七日に七夕を行う人だって少なくはない。言ってしまえば地方では七夕は年に二回あるといってもいい。
そして毎年八月七日の七夕祭りの日、この図書館の向かいの西川に願いを込めた短冊をつるした笹の木を川に流す『笹流し』というイベントが行われている。なんでも川に流したその笹の木は川を下ってやがては空の天の川へと流れつき、その短冊に書かれた願いを織姫と彦星が叶えてくれるというのだ。
夏休みの間、この図書館に訪れた子供たちは各々その願いを短冊にしたため、笹の木につるして今日のこの日に川に流される。
「あれ、もしかして笹葉さん?」
耳になじんだ声に振り返る。そこにはクラスメイトの竹久優真がいた。
「竹久、なんでここに?」
「うん、まあ、なんというか。たまたまだよ。たまたま通りかかったら何かイベントをやっているみたいだから寄ってみたんだ」
「そう……」
竹久はウチの通う芸文館高校のクラスメイトで、ウチの恋人の黒崎大我の友達。不器用で優柔不断で、嘘が下手だ。
たまたま通りかかって何かイベントをやっていると思って近寄るのならば図書館ではなく向かいの川岸で行われている笹流しのほうへ行くのが普通だろう。
「笹葉さん、もう短冊は書いた?」
一階ロビーの笹の木の手前に置かれた長テーブルの上には色とりどりの短冊が並べられ、その脇にはちゃんとペンも用意されている。立ち寄った人が誰でも気軽に短冊を書けるように配慮されたものだ。
「ああ、短冊ね。書いていないわ。そんなつもりもなかったし」
――嘘だ。本当は竹久がいなければ真っ先に短冊に手を伸ばしていた。
「今から笹流しをするんだ。せっかくだから笹葉さんも何か願い事を書いたらいいのに」
「そ、そうね、そこまで言うのなら……」
しぶしぶながらを装ってペンを持つ。けれど竹久がすぐ横にいるのではなんでも好きなことを書いていいという訳にはいかないだろう。なんて書けばいいのか少し頭を悩ませる。
「ねえ、竹久はもう、短冊は書いたの?」
「え、あ、まあ……ね」
「へえ、なんて書いたの?」
「い、いや、それは、秘密だよ」
「ふーん、そう……」
笹の木を見上げる。
「あ、ちょっと探さないでよ」
「いいじゃない、減るもんでもないし」
「減るよ、いろいろ減る。精神的ななんやかんやがいろいろ減るから」
「まったく。小さい男ね」
「……なんとでも言えよ」
結局、なんて書けばいいのかわからなくなってまた悩む。
「ああ、そうだ」と竹久。
「アルタイルは地球から一七光年。ベガは地球から二五光年離れたところにある星だから、願い事が叶うのはたぶん早くて十七年後になると思う。だからそれに合わせた願い事を書いたほうがいいんじゃないかな」
竹久は得意げに言うが、それはたぶん間違っている。なぜなら――。
「そうとは限らないと思うわ。だって去年ウチの書いた短冊、今年にはちゃんと叶っているのだから」
「ええ、じゃあ笹葉さん。去年も笹流しを?」
「え、ええ、まあ。家が近くだし、この図書館にはよく来るから去年も短冊を書いたわ」
「そうか……じゃあ、もしかすると去年おれたち、ここで出会っているかもしれないね」
竹久は憶えてすらいないようだけれど、去年ウチと竹久はこの場所で逢っている。まあ、一年前のウチは今と違って金髪でもなければカラコンも入れていない。黒髪でメガネをかけていたウチと今のウチとを同一人物だと気が付かなくても無理はない。そもそも一年前の竹久にとってウチはただの通行人でしかなかっただろうし憶えているはずもないのだ。
「ウチは思うのだけれど、そもそもアルタイルとベガは十五光年も離れているのよ。それなのに二人は年に一度七夕の日に会えるなんておかしいでしょ? つまり光の速さを超えることができるのよ。アルタイルとベガは」
「光の速さを超えるなんて、そんな非科学的なことを言われてもなあ」
「なにが非科学的よ。さんざん七夕だとか願い事だとか言っておきながら今更非科学的はないでしょ」
「ま、まあ。そうだよな……」
「でも、大変よね。織姫と彦星は年に一度しか会えないのにそこで流れてくる短冊を見ては願いをかなえ続けるのでしょ? きっとせっかく会えたというのに二人の時間はないわよね」
「それこそ、光の速さを超える速度で短冊のチェックをしているんじゃないのか?」
「そうかしら? 単に目についたものをいくつかピックアップして適当に叶えているだけじゃないかしら? でないとみんなの願いが叶ってしまうでしょ? 去年の願い事はウチの願いだけが叶って竹久の願いはかなわなかった」
「ああ、確かに……。ん? なんで笹葉さんがおれの去年の願いが叶わなかったって知ってるの?」
「え? ただ、なんとなくよ。さっき十七年後に叶うとか言ってたでしょ。それってつまりまだ叶っていないってことでは?」
「なるほど……。でもまあ要するに、願いをかなえてもらうにはピックアップしてもらえるような短冊を書かなくっちゃいけないわけだ」
「そうね。でも、どんなことを書けば織姫と彦星に取り上げてもらえるのかしら?」
「そうだな。七夕っていうのは織姫と彦星という男女二人が年に一度だけ会える日だ。だから、その雰囲気を壊すような願い事はダメなんだろうな。きっと、それこそロマンティックな気分になれるような願い事」
「そう、そうね」
――ペンを執る。結局、そういうことなら迷うことはない。去年と全く同じ願い事を書けばいいだけのことなのだ。確かにあの願い事ならば織姫と彦星もかなえないという訳にはいかないだろう。
『織姫と彦星とが、来年も会えますように』
去年も書いたその願い事は、確かに今年の七夕に叶った。いろいろと複雑な事情を絡んでだけれど……
書き上げたウチの短冊を見て竹久は笑った。
「そんなに笑わないでくれる?」
「いや、だってさ、これ」
笹の木につるしてある短冊を一枚つまんでそこにある願い事を見せてくれた。
『来年もアルタイルとベガが一緒にいられますように』
きれいとはいいがたい味のある筆跡には見覚えがある。
「まったくおんなじ願い事を書かれたんだから、そりゃあ笑えるでしょ」
そんな偶然にウチも笑って見せるけれど、本心ではあまり笑えない。そこに書かれてあるベガというのはきっとうちの親友である宗像瀬奈のことを指しているのだろう。
だから、ウチの書いている短冊とは根本的に違う願い事だ。
複雑な気持ちを抱えながら短冊を笹に結び付けると「じゃあ行こうか」と、竹久が笹を担ぎ上げる。
「さっき図書館の司書と話をしててさ、おれが笹流しに持っていくことになった」
「ふーん、そうなのね。たまたま通りかかっただけなのにそんなことまで話しているなんて」
「ま、まあいいじゃないか」
そう言いながら歩きだす竹久。「手伝う」というウチの言葉に「軽いから大丈夫、服が汚れるよ」と言われ、数歩後ろをついて歩く。空を見上げるとほんのりと薄暗くなりかけた空にアルタイル、ベガ、デネブの三つの星が確認できる。アルタイルとベガの蜜月を傍らで見守るデネブはいったいどんな気持ちでそこにいるのだろうか。
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