第3話 かぐや姫と浦島太郎
西川のほとりにはすでに多くの笹を担いだ人たちが列をなしている。一人ずつ順番に宮司の祝詞を受けながら笹の木を川に流す。次第に太陽が傾き月と共に天の川と三日月が姿を現す。
ウチの願いをつるした笹の木は水面に月を映す川へと流れていった。そしてその笹を追うように二人は川沿いの緑道を歩く。
「笹の木はどうやってここから空の天の川に行くのかしら?」
ウチのつまらないつぶやきに竹久は真面目に答えた。
「実はおれも去年、それが気になってしばらく川を流れる笹の木を追ったんだよ。そしたら作業着を着たおじさんたちが笹の木を救い上げてトラックの荷台に積みこんでいたよ」
「夢のない話ね。聞きたくなかったわ」
「ところがこの話にはちゃんと続きがある。この笹の木は後日神社に運ばれて焚き上げを行うそうだよ。つまり、願いは煙となって空へと上がっていくんだ」
「そう、どっちにしろ聞きたくなかったわ」
「ごめん」
「いいわよ。別に竹久が悪いわけじゃない」
「そういえば昔から織姫伝説を聞くと竹取物語を思い出すんだ」
「そうね。どちらも夜空を見上げて想像したおとぎ話だし。それにアンタの名前が竹久というのもあるのかしら?」
「うん、まあ確かにそれはある。ところで笹葉さんは竹取物語の作者は誰だと思う?」
「そうね、やっぱり紀貫之じゃないかしら。藤原不比等によって政治の中枢から追い出された紀貫之は文芸の道に進み、竹取物語で当時の政治批判をしていたんじゃないかしら? 特に竹取物語に出てくる藤原不比等をモデルにしたと思われる車持皇子はずいぶんとあくどい人間に描かれているし」
「紀貫之という説はおれも同意見だ。のちに紫式部は竹取物語を絶賛しているうえで不比等が藤原家の悪行を隠蔽した日本書紀なんかを批判している。これは紫式部が紀貫之を尊敬していたからこそじゃないかな。最近では紫式部は紀貫之の息子紀時文と婚姻関係があったんじゃないかともささやかれているしね。
中国の話がモデルなっているだとか僧侶ではないかなんて言う説も多いけれど、結局はそれらの複数の伝説などを知ったうえで物語にまとめ、そのうえで政府批判まで行ったというのは当時それだけの学識とセンスを持ちえた人物ということになるんじゃないかな。かぐや姫のモデルは古事記に出てくる大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘、迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)だと思われるんだけど、かぐや姫の親、大筒木垂根王という名前、『大筒』の形をした……、つまりは〝竹〟から生まれたという事になっているんだろう。
でもね、『筒』にはもう一つの意味がある。古代の日本語で『ツツ』は『星』のことを意味する。星と書いてツツと読むんだ。
これは当時の宇宙観を考えるとわかる。
まず、この世界は大きなドーム状のようなものだと考えられていたんだ。そのドームの天井の壁が空で、その向こう側にはこことは別の世界が広がっている。それはまばゆい光にあふれた世界だ。そして、ドームの天井にはいくつもの穴が開いていて、その穴から外の世界のまばゆい光が差し込んできているんだと考えていたらしい。
つまりドームの壁にそれなりの厚みがあるならその穴の形はまさに筒状だ。
そしてその中でも最も大きい穴が月。このくらい大きければ人の出入りだって可能だと考えられていたんじゃないかな。
月の出入り口、即ちムーンゲートはその満ち欠けによって通行が可能だったり不可能だったりするわけだ。そして満月は最も大きくゲートが開いた状態。
かぐや姫は満月の夜にゲートを通って別の世界に帰っていく物語なんだよ」
「なるほどね、星や月は空の天井に開いた『穴』かあ」
空を見上げてみる。確かに何の知識もなくそうだと言われればそう見えなくもない。そして、その黒い天井に開いた穴から見える外の世界はさも光り輝いているようで、なんだかこの世界は穴倉に押し込められた貧相な世界にも感じる。
「その話を聞いて思ったんだけど、その世界観って浦島太郎の話にも通じないかな?」
「浦島太郎?」
「うん、浦島太郎が最初に出てくる話は八世紀初めごろの日本書紀で、浦嶋子の話がある。
この話にはまだ乙姫や竜宮城、玉手箱は出てこない。
日本書紀の浦嶋子は海に漁に出かけたが魚が釣れず、ようやく捕まえたのは大きな亀だった。その亀はたちまち女性に変身して二人は結婚し、蓬莱山に行く」
「確か蓬莱山って不老不死の世界ってことよね」
「そうだね。これは仙人の世界、神の世界、別の世界とも考えられる。
あと、それとね。丹後国風土記に出てくる浦島物語は名前が筒川嶼子となっている。ここにも『ツツ』が存在しているんだ。
また、風土記や万葉集では浦島太郎は竜宮城に行って玉手箱をもらい、帰ってくると三百年たっていたという話が入っている。さらに御伽草子では竜宮城は海の中ではなく世界の果てにある島という事になっている。
ここで考えられるのが、乙姫とともに浦島太郎が行ったのは世界の果てであり、世界がドーム状だと考えられていた古代において、ドーム状の世界の果ては壁になっているはずだ。つまりそこから壁にある穴、つまりは筒を通って別の世界に行き、時間の流れが違うその世界で過ごすという事になる。
つまりは竜宮城は星、すなわちツツの外にある世界でその世界の時間の流れはこっちの世界よりもゆっくりと動く。だからかぐや姫は三か月で大人に育つし、浦島太郎は向こうでの三日がこちらの三百年になる。
そしてあちらの世界は仙人の世界で、仙人は不老不死とされている。
それはあくまでこちらの世界から見た考え方で、こちらの世界の住人からすれば時間の流れがゆっくり流れるあちらの世界は不老不死の世界に見えなくもない。
そう考えると、浦島太郎とかぐや姫の話はつながっていて、その話を考えたのも紀貫之かもしれない……という見方もできなくはないかな?」
言い終わって、竹久は少ししまったなという顔をする。
「どうかした?」
「い、いや……。もしかしてまたやってしまったかって」
「やってしまった?」
「つい、むきになってこんな話を長々としてしまった。いけないとは思いつつもつい好きなことになってしまうと熱く語ってしまう。たぶんこういうのってキモいよね」
「そうね。そういうのはあまり感心はできないわね、そういうのを嫌う人は少なくないし」
「だよね……」
「でも、ウチは嫌いじゃないよ、そういう話。むしろそういうことを語り合えるような友達ってほしいなって思っていたから」
「いや、なんか絶対気を使っていってくれてるんでしょ?」
「そんなこともないわよ。じゃあ、言わせてもらうけれど、浦島太郎の作者が紫式部という風には考えられないかしら?」
「紫式部?」
「そう。さっき竹久、紀貫之の息子と婚姻関係にあったかもしれないって言っていたでしょ? これはウチの勝手な妄想なんだけれど、紫式部が本当に好きだった相手は父の紀貫之なんじゃないかしら? 紀貫之の文才に惹かれていたからこそ紫式部も筆を握ったんじゃないかしら? ほら、紀貫之が土佐日記を平仮名文字でつづっていたことに感化されて物語を書いたというのはどうかしら?
そして、紫式部が紀貫之の竹取物語に対する返しの句としてつづったのが浦嶋子の物語。当時土佐にいた紀貫之からすれば平安の都は世界の果てほど離れた海の向こうの世界で、そこに入る乙姫に会いに行く物語。浦島太郎は帰ってから年老いたのではなく初めから乙姫よりも年老いていただけなのよ。だけれど、乙姫とあっているときはそんなことさえも忘れていただけ。そもそも浦島太郎は乙姫のことを娘のようにかわいがって育てた竹取の翁と同一人物なんですもの。
竹取物語で引き裂かれたかぐや姫と竹取の翁とが再会する物語。それが浦島太郎の物語よ。ほら、この話って光源氏と藤壺にも通じるものがあるでしょ」
「――まったく。笹葉さんの妄想も大したものだね。確かにおれのことを一方的にキモいと言える立場じゃあないな。
こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど、笹葉さんはおれと少し似ているところがるよね。ほら、『竹』と『笹』もよく似ているし」
「竹と笹は似ているようで全然違う植物よ」
「え? そうなの? 笹が大きくなって竹になるんじゃ……」
「ちがうわよ。だって、竹が子供のころは笹じゃなくって竹の子でしょ」
「……たしかに」
「そりゃあたしかに大きいからって『メダケ』と名付けられてしまった笹や、逆に小さいからって『オカメザサ』って名づけられてしまった竹もあるのだけれど、本当は全然別のものなのよ。一番の違いは、竹は成長するにしたがって皮は剥がれて落ちるのだけれど、笹は成長しても節に張り付いたままなのよ。だから、成長した幹に皮がついているかどうかを見ると一目でわかるわ。
あと、竹の葉の繊維は複雑なのに対して、笹の繊維はまっすぐ一直線なの。いい、竹と笹は違う植物なの」
「なるほど、まっすぐなのが笹で、めんどくさいのが竹か。それは理解しやすい」
――それに、似ているんじゃなくて、ウチが勝手に憧れたからその姿をまねただけなのよ。
心の中で、そうつぶやいた。
竹久はきっと覚えていない。去年この場所で出会った女の子のことなんて。
その女の子は図書館でいつも出会う男の子のせいで読書をするようになった。
去年の八月七日に短冊に彼の書いていた言葉。
『小説家になれますように』
と願いを込めた短冊を見て、自分も同じような夢を抱くようになったこと。
その女の子が短冊に書いた願い事。
『織姫と彦星とが、来年も会えますように』
が、今年こうしてちゃんと叶っていることを竹久は知らない。
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