馬鹿で阿呆で能無しで
浮遊する身体はいつの間にか風力を失い、地面に激突する。
地上から十数メートル、ビルにして4~6階程の高さから落ちたというのに、痛みはまるでなく、骨折もなければ擦り傷ひとつついていない。
その理由は玲花の指に嵌められた金色に光るリングが玲花を守ってくれたからなのだが、へたり込む当の本人はそのことには気付かない。否、気付けないのだ。
目の前にボトボトと音を立てながら落ちていく破片の数々。鎧や兜、盾などの残骸と同時にピンク色の肉の塊も降り注ぐ。
知らない人の胴体。ブーメランのようにくるくる回る腕。どこの部位かも分からない骨を露出した肉片。
空を舞う砂埃さえも真っ赤な霧と化し、ぴちゃぴちゃと不快な音を立てる雨は鼻がひん曲がるような鉄の臭いを漂わせている。
あまりに非現実的な現実が、目を背けるという思考さえも忘却させられる光景が、玲花の意識を奪って離さないのだ。
グシャリ、と玲花のすぐ近くで頭部が潰れた。右側面から落下したせいで左側でしか顔の判別がつかない。とはいえ玲花にとっては見たことがあるような無いような、そもそも名前すらも知らない男だ。
潰れた右側面にあった目は頭蓋骨から飛び出し、ぐちゃぐちゃになった眼球からは透明な液体が漏れ出ているが、一方でもう片方はかろうじて死ぬ直前の綺麗な球を作っており、光を失ったその目は驚愕と絶望を表していた。
玲花と彼との視線がかち合った。
今日だけで何度人と目が合っただろうか。あるいはいつも今日と同じくらいかそれ以上誰かと目を合わせていたのかもしれないが、見知らぬ環境で、見知らぬ人達に囲まれたら神経が過敏になるものだ。
だが半壊した頭は異様に彼女の瞳に執着する。茫然とする玲花を決して離さず、今にも零れ落ちそうなその眼で、玲花を見続けている。
いつまで馬鹿やっているのだ、と。
「あっ、あっ……」
瞬間、玲花の脳内に再生されたのは、忌まわしいあの日の記憶だ。
今のようにのうのうと過ごして、防げた惨劇を起こしてしまったあの冬の日。
一生忘れることができないだろう最悪な光景。
「あぁっ……!」
あの時、あの場所で起きたことが、ずっと玲花を苦しめているというのに──!
「──キミが勇者って奴だね」
直後、頭は再び風に吹かれて飛んで行った。
代わりに玲花の前に現れたのは、薄水色の髪の男だった。
前髪をセンター分けにし、それとは対照的に後髪は整えていないのかうねうねとしている。顔のパーツが全体的に丸みを帯びていて、甘くも芯のあるその声を聞くまでは女性よりの印象を受ける。
兵士皆、鎧等をガチガチに身に纏っているのに対し、彼はタンクトップ風の薄着からすらりとした白い手足を場違いなほどに晒していた。
彼は言った。
「初めまして。ボクはネモネア。ネモネア・アイラノロク。キミの仲間からは"狂風"って呼ばれてる。それとももっと分かりやすく、ライガンだって言った方がいいのかな」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「……あまり喋れるような状態じゃないみたいだね。まあでも仕方ないか。ボクが言えたことじゃないけれど、その恰好で大方の見当がつくよ」
一歩、また一歩と男──ネモネアが玲花に近寄る。
血だまりを跳ねるその足音が、血の霧の中で優美に歩み寄るその姿が、まるで玲花に現実を受け入れろと言わんばかりで。
思考がまとまらない玲花を詰り、糾弾し、蔑んでいるようで。
「キミさあ、この世界のこと、舐めてたよね」
「──っ!」
だから、そんな被害妄想を現実として肯定されたくはなかったのだ。
「う、ぷっ」
遅れてやってきた嘔気を堪えられず、玲花は倒れ込んだ。
少し前にカラオケでいろいろ食べたはずなのに、唾液や胃液しか口から出ない。
どれだけ吐いても全然楽にならなくて、ようやく彼女の頭は回転を始める。
異世界召喚、魔法、兵士、魔女、結界、作戦、鎧、陣形、指輪、魔導具、ライガン、希望──。
『この世界では、およそ100年前から我々人類は、ライガンと呼ばれる魔族と戦争状態にあります』
『どうか闇の使者ライガンを打ち倒し、この世界をお救いください……!』
『我々を、お守りください……!』
『だって折角呼んだ勇者様が魔法を知らなかったらどうしようもないじゃん』
『レイカ、無知は罪だよ』
「あぁ……あぁ……!」
なんだ、最初から全部言ってたじゃないか。
何も知らない玲花のために、シルヴァルトもロベリアも頑張って伝えようとしてたし、街の人達もみんな玲花の活躍を祈ってた。
なのにそれを全部設定だとか、芝居だとかで適当に聞き流して、分かった気になって。
そのせいで既に何人も死んだんだって、ようやく気付いて。なんと愚か極まりないことか。
何がCGだ。何がモンスターだ。
眼前で形成されている地獄を闊歩する彼は、どう見ても人間だ。髪や瞳の色こそ玲花の知るそれとは異なるけれども、街の人と同じような外見なんだ。
これは戦争。人が人を殺し、殺される争い。
そんな場所でもへらへら笑って、脳ミソ空っぽにして次の場面を待っているだけだった馬鹿は誰だ。
……この世界は、生きているのだ。
「どれだけ泣いても、戦いは終わらないよ」
ネモネアが頬を掻きながら言った。
「ずっとずっと、キミタチは数の暴力でボクラに抵抗する。ボクラに比べれば無力に等しいし、簡単に殺せてしまうのにね。本当に悲しくて、虚しいと思わないかい?」
「はぁっ、はぁっ……」
「尤も、勇者のキミが死んだら話は変わるかもしれないけどね」
「はぁっ、はぁっ、あーしが、しぬ?」
それもアリだな。胸の内で玲花は思う。
現状で役立たずなのは他でもない玲花だ。玲花が死んでこれ以上犠牲が出ないのならば、きっとそうするべきなのだ。
勇者として召喚されたとは言っても、所詮はただの女子高生。期待していた人達には申し訳ないが、何もできることがない。
ソシャゲのガチャみたいなものだ。UR狙いのつもりがRが出た、ただそれだけのことなのだ。
玲花よりも頼りにならない人なんてそうそういないだろうから、次の召喚に期待すればいいのだ。
何もできない、何もなれない、何も考えない。なのにその癖して髪を染めたりオシャレをして人の目を惹こうとしてる能無しの凡人以下。それが玲花なのだから。
ハズレなんて、ここにはいらない。
「……その指輪、外していいのかい? こっちとしても助かるんだけどさ」
「あーしに……あたしにこんなもの、いらない」
「……そうかい」
指輪をぽいと捨てるレイカを見下ろしながら、ネモネアは左手の掌を天に向けた。
すると一瞬にして手の上に直径80センチほどの血を纏った赤色の空気の玉が生成される。どういう原理でそうなっているかなんて皆目見当もつかない。
つまりこれが魔法というやつなのだろう。最初に玲花達を吹き飛ばした風も魔法だっただろうが、ちゃんと使っているところを見るのは初めてだ。
そしてこれが、最後に見る魔法でもある。
「ほんの短い間だったけど、さようなら。もっとキミのことを知りたかったな」
そうして空気の玉をネモネアは投げるように射出した。赤い玉は玲花へと一直線に、大きな音を立てながら進んでゆく。
もうこれまでか。己の過去を振り返り、碌でもない思い出ばかりが瞼の裏に映って、玲花は小さく笑った。
来世ってのがほんとにあるなら、そっちではもうちょい頑張りたいな。てかどっちの世界で生まれ変わるんだろ。
まぁいいや、そんなこと。その時になれば分かるっしょ。
あったらラッキー、なくても別に、って感じだし……。
「──諦めないでください、レイカ様!」
ガキィン、と金属音に近い音が響き渡る。
想定と異なる衝撃に驚き目を開けると、
「簡単に死のうとしないでください! あなたには、あなたには生きてほしいのです!」
そう叫びながらネモネアの魔法を自らの剣で受けるシルヴァルトの姿があった。
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