第59話
そんなある日、家で留守番をしていた俺のところに、近所に住んでいたおじいさんが顔色を変えてやって来ました。
母が公爵家の子供を殺しかけた罪で捕まったと言うのです。
俺にはそんなこと、全く信じられませんでした。母はあまり笑わない人で、俺といるときも傍から見たら不機嫌に見えるような表情ばかりしていましたけれど、愛情深い人なのはよくわかっていましたから。
村で病人が出ると薬を作って届けたり、けがをした一人暮らしの村人のところに通って家事を手伝ったり、そんなことばかりしていました。
そんな母が子供を殺しかけるなんて、信じろというほうが無理な話です。
俺は母が帰って来るのをいまかいまかと待ちました。けれど、とうとう夜が明けても母が帰って来ることはありませんでした。
数日間、不安に駆られながら母を待ちました。
近所の人たちが代わる代わる様子を見に来て励ましてくれましたが、彼らの言葉にまともな返事をすることもできません。
そして一週間が経った頃、役人がやって来て母は公爵家が領地の奥に持つ屋敷に幽閉されることになったと聞かされたのです。
俺は必死で母に会わせて欲しいと頼みました。こんな人づてではなく、母の口から真実を聞かせて欲しかったのです。しかし、役人は気の毒そうな顔を俺に向け、それはできないと言いました。
後から知ったことですが、たった一週間で母の処罰が決まったのは、ルナール公爵が正式な裁判を起こされないように内々で処罰すると申し出たからなのだそうです。
母は子供を殺そうとなんかしていません。役人に詳しく調べられれば、真相が明らかになる可能性が高いとわかっていたのでしょう。
公爵の申し出は王家にあっさりと認められ、捜査は打ち切られることになりました。
世間はルナール公爵を寛大な方だと褒めました。
跡取りを殺されかけた公爵が、罪人を殺さず、領地で幽閉するだけで済ませてくれたのです。人々は公爵を称え、反対に母をあの女は最低な悪女だと罵りました。
俺は隣の村に住む親戚の家に預けられることになりました。
親戚家族はいい人たちでしたが、それでも俺ひとりよそ者なのは変わりません。どこか居心地の悪い思いで日々を過ごしました。
時折母と暮らした小さな家が恋しく、こっそり戻ったりしましたが、寂しさがまぎれることはありませんでした。
三ヶ月ほど母と全く連絡が取れない日が続きました。
ある朝、突然狩人のような服を着た体格のいい男がやって来て、母からだという手紙と小包を渡されました。
驚いて玄関に立ったまま手紙を開くと、そこには懐かしい母の字で、俺の健康を気遣う言葉と、自分は閉じ込められているけれどじきに帰るから待っていて欲しいという言葉が記されていました。
小包のほうも開けると、そこには毛糸の帽子と、蝶のような特徴的な形をした茶葉の瓶が入っています。まぎれもなく、俺が体調を崩したときに母がいつも作ってくれたあのお茶の茶葉でした。
自分はベアトリス様の幽閉されている屋敷の監視係だと、小包を持ってきてくれた男性は言いました。
本当は罪人からの贈り物を届けるなんて禁止されているのだが、ベアトリス様には家族のことでお世話になったので何かしたかったのだと。
自分には公爵家に逆らうことはできないから、せめて彼女の願い通り、息子にプレゼントを届けに来たというのです。彼は幼かった俺に、とりつくろわず話してくれました。
俺はその人に待っていてくれるよう頼み、急いで手紙の返事を書きました。
自分はときどき具合が悪くなることはあるけれど元気だ、お母さんのお茶があればすぐによくなると思う、帰りを待っているので早く帰ってきて欲しいと、覚えたばかりの字で精一杯思いを込めて書きました。
監視係は手紙を受け取ると、すぐに立ち去りました。
母から届いた手紙と小包を眺めていると久しぶりに元気が出ました。その日は部屋にいる間はずっと、小包と手紙を抱えて過ごしました。
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