四十四幕 烈火のアーディン

 関羽とアーディンは、隊列を再構築するために馬の脚を一時止めた。


 およそ三年前に出兵した兵士たちの亡骸であろうか。

 開け放たれた降魔城こうまじょうの両開きの大門は格子状になっており、鉄柵の先端に掲げられている兜や髑髏どくろが一層に、禍々しさを演出していた。


 地獄へと繋がるその深潭しんたんを守る魔物はおよそ、二千。

 おそらくは最後の砦と言うところであろうか。

 対する関羽とアーディンの率いる騎兵は、それぞれ三百を割っている。


 関羽とアーディンの両名が持つ、たぐいまれな武が合わされば、やってやれない数字ではない。

 しかし、それは平時へいじでの話。数で圧倒する魔物の山を駆け登る、ただでさえ不利な戦いは、すでに一刻(2時間)近く続いている。

 今や関羽でさえ、肩で小さく息をするほどだ。

 他の騎兵たるや、その疲労度は計り知れない。

 

「……アーディンよ。ここは俺が引き受けよう。其方は少し下がって俺が討ち漏らした魔物を確実に仕留めてくれ」


 関羽の言葉に、アーディンは目を見開いた。

 アーディンも率いた騎兵と同じくして、疲労の色は隠し切れていなかった。

 いや、贔屓目に見てもそれ以上か。

 

 アーディンは両手に持つ双刀に、魔力を宿して戦うスタイルだ。

 瞬発力は言わずもがな折り紙付き。その実力は当然関羽も認めるところであるのだが、その反面魔力の消費も尋常ではなく、こと持続力に至っては、魔法習得から日が浅い関羽に劣る。


 最初にアーディンと手合わせをしたとき然り。

 そしてここまでの行軍を経て、関羽は彼の唯一の欠点を見抜いていた。


「……友として、頼む」

「友だからこそ、その頼みは聞けねえなぁ。……カンウよ、お前は友を一人で死地に行かせることができるのかい? できやしねぇだろう」


 アーディンが破顔した。その額には、汗がいくつもの筋を作っている。


「自分ができねぇことを、人に頼んじゃいけねぇやな。……それにコイツらを倒したら、ようやく夢にまで見た魔物の親玉のツラを拝めるんだ。———いくぜっ、カンウ!」


 誰よりも先に、アーディンが馬蹄を蹴立て突撃した。

 関羽も遅れてなるものかと、追従する。

 

 この場で突貫力は必要ない。求められるはこの二千の魔物に壊滅的なダメージを与えることである。望むらくは殲滅せんめつせしめたい。


 故に陣は魚鱗ぎょりんの形。

 アーディンを先頭に末広がりに展開した騎馬隊が一つの塊となって、降魔城こうまじょうの最終防衛ラインに襲いかかった。


「うらああああああああああああぁぁぁぁあああああっ!!」


 アーディンの雄叫びが、血煙で淀んだ空気を震わした。


 振り上げた右の刃で魔物を両断。左の刃で迫る魔物の胸を一刺すると、そのまま真横に薙ぐ。崩れ落ちる魔物の影から巨躯の魔物が立ち塞がる。手に持つ石鎚が振り下ろされるもアーディンは、刃を交叉して真っ向受け止める。そのまま柄に刃を滑走させるとチリチリと赤いほむらを撒きながら魔物と肉薄する。両刃を広げるようにしていわおのような頭を胴から斬り離した。広げた二刃はその翼を休めることなく、眼前の魔物に爪を立てる。左右から同時に繰り出した電光石火の斬撃は、断末魔さえも許さない。魔物は一瞬で三分さんぶんの肉塊に成り果てた。


 これぞ『烈火のアーディン』と二つ名を持つ彼の真骨頂だ!


 アーディンの闘気に煽られた騎兵たちも、彼に負けじと気迫が疲労を凌駕する。瞬く間に魔物の半分を討ち取った。


 ———だが。


 空高く、何かが舞い上がった。


「……あと一歩だってのにな。……ちくしょうめ」


 鮮血は少し遅れて降り注がれ、刃を握った左腕がドサリと地面に音を残す。

 片翼を失ったアーディンは、馬上でぐらりと体勢を大きく崩した。

 魔物の数体がこれ好機と、急襲する。


「アーディンっっ!」

 

 関羽の声より偃月刀の轟音のほうが早かった。

 アーディンを襲おうとした魔物の首が漏れなく宙に飛び、胴は血の噴水を高々と放出した。


 馬を寄せ関羽は、残された右肩を抱き寄せる。

 綺麗に切り取られた肩口からは、絶え間なく鮮血が溢れ出ている。

 

 まずは止血をしなければ。


 関羽は己の衣服の袖を引き千切り、アーディンの首を支点にして左肩を止血する。


「しっかりしろっ! アーディン!」


 関羽の呼び掛けにもアーディンは応えない。

 深傷ふかでを負い、一時的に意識が混濁しているのだ。


 と、勇ましいときの声が近づいてくる。

 呂蒙率いる歩兵隊がようやく到着したのだ。数は七百ほどまで減ってはいたが、臆することなく乱戦の場へと突撃した。


 敵味方入り乱れる戦場でも、馬上の関羽はとかく見つけやすい。

 呂蒙は馬を走らせた。

 走らせながら、事態を悟った。


「アーディン殿っ!」

「良いところで来てくれた、呂蒙よ。アーディンをなんとか下山させてはくれまいか?」

「分かりました。我が隊にはまだ騎兵が三十ほど残っております。私も同行します。『高きにより低きを視るは勢いすでに破竹の如し』と言いますし、この命に換えてでもアーディン殿は」



「……お、おいリョモウ。お前がいなくなったら、このいくさはおしまいじゃねーか……」


 アーディンの意識が覚醒した。


「……お、俺はよ、いつまでも男に抱きつかれて喜ぶ趣味なんて、持っちゃいねーぜ」


 彼は関羽を振り払うようにして、背筋を伸ばす。

 その姿は見惚れるほどに、美しかった。


「———降魔城こうまじょうへ行け。カンウ、リョモウ」

「……そんな……貴殿を置いてなど行けません!」

「……だ、誰かがこの門を守らなきゃ、城内に魔物が雪崩れ込むかもしれないだろ?」


 呂蒙が率いた歩兵隊の加勢によって、門を守護する魔物はあらかた討ち滅ぼしていた。

 だがアーディンの危惧も一理ある。

 この戦いで魔物が終始、降魔城こうまじょうを恐れる素振りを関羽も呂蒙もアーディンも、感じ取っているとしてもだ。


「お、俺を足手まといにさせないでくれ。……死ぬ場所くらい、てめえで決めるさ」


 アーディンほどの男にこうまで言われ、恥をかかせれば義にもとる。

 呂蒙もわきまえた武人である。これ以上、彼を説得する言葉は持ち合わせていない。


「……分かりました。では歩兵五百を残します。この門を死守してください」

「ありがてぇ……。す、すまねえな、リョモウ」


 成り行きを見守っていた関羽が、とうとう口を開いた。


「アーディンよ。我らが魔王の首を刎ねるまで、死んではならん」

「そ、それは、友としての言葉かい?」

「もちろん。俺は其方が秘蔵している酒を皆と飲みたい。誰一人、欠けることなく、だ」

「はは、参ったね。そ、それじゃここで死ぬ訳にはいかねーなぁ。こ、ここは任せてくれ。お、お前たちが魔王と一戦終えるまで、持ち堪えてみせるからよ……だから、は、早く行ってくれ……」


 関羽とアーディンは視線を絡ませる。

 もう言葉など必要なかった。


 関羽と呂蒙は降魔城こうまじょうに向かって馬を走らせた。


「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!」


 臓腑を揺るがす咆哮を放ち、目の前の残党を関羽が切り裂いていく。

 それを見送ったアーディンは、小さく一笑。


 実に晴れ晴れとした、屈託のない笑顔であった。

 

「さてと……さ、最後の仕事をやるかぁ。全員、門の前で隊伍を組めっ!」


 歩兵五百が門を塞ぎ、アーディンを慕いこの場に残った騎兵百が、前列で綺麗に馬を並べた。

 その先端はアーディンである。

 睨みを利かせた眼光は、鋭さを増していた。


 周囲の魔物が、ぱらぱらと群がってきた。

 やはり予想通りか。

 降魔城こうまじょうに恐れをなしている魔物もいるのか、そう数は多くない。

 だが翻せば、群がる魔物はそれなりに力を持った個体だと言うことになる。


 アーディンはこのとき、多量の出血によって視界がぼやけ始めていた。

 

「———あ、アーディン隊長っ!」


 騎兵の一人が叫んだときには、刃こぼれした魔物の矛が、アーディンの脇腹に深く深く突き刺さっていた。


 が、当の本人は少しも動じることなく。


「あ、ありがてぇ……。もう視界が霞んでてな、この目は使い物にならねーんだ。そっちから来てくれて、た、助かるぜ」


 魔物の首をまるで親しい人にするように、右腕で馴れ馴れしく手繰たぐり寄せる。

 そのまま手にした刃で、魔物の首に線を引くと、どす黒い魔物の血が噴き上がった。



 皇女シエル・アルガートの腹心で、フェルスタジナ城兵隊長を務めた彼の風評は、「酒好き」だの「近寄り難い」など数あれど、それは表面的な部分のみで、皆一様に「だけど」と付け加え、同じことを口にする。


 ———情にあつく、頼れる人だった、と。

 

 アーディン・カムラは命の炎が燃え尽きるそのときまで、人々が語る通りの男であった。

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