四十二幕 突撃

 山裾を大きく迂回して、イレメスタ軍とクリグーズド軍からなる三軍が今も激しく戦闘を繰り広げている丁度裏側へと、奇襲の速度で進んでいく。


「ま、こんなこったろーと思ってはいたが……世の中そう上手くはいかねーよなぁ」


 アーディンが山を見上げながら、吐き捨てた。


 降魔城こうまじょうまで続く山の中腹には、まだ多数の魔物が群れていた。


「それでも、数は目減りしています……こちら側の魔物の数は、およそ二万程でしょうか」


 呂蒙が障害となる魔物の残数を、ざっくりと目算する。


 魔物が山を隙間なく覆うように跋扈ばっこしていた状況と比較をすれば、その数は半分ほどに減ってはいる。

 すべてはイレメスタ軍、クリグーズド軍からなる三軍が限界を超え、山の裏側の魔物までおびき寄せてくれた賜物である。


 されど魔物二万に対して、精鋭といえどもフェルスタジナ軍はわずか三千。


 仮に関羽、アーディン、呂蒙の勇猛が、文字通り『一騎当千』としたところで、三千の戦力が倍になるだけ。それでも単純に足りなすぎる。数字だけを比べてしまえば、絶望的な戦力差は如何ともし難い。


 だがそれは正攻法に進軍し、いざ尋常に真正面から勝負を挑んだ場合であり、この一戦は言うまでもなく殲滅戦ではない。

 降魔城こうまじょうへと到達し、魔王の首級を上げることがこの戦においての最大の戦果である。


 故に魔物と無駄に切り結ぶ必要はない。最大速度で目的地を目指すことが第一となる。

 

 サーヴァスを始めとする三軍の、仲間の奮迅を、死を、無駄にはできない。

 それは関羽もアーディンも呂蒙も、分かりきっている。


 そう、速度スピードが命運を分ける鍵となることも、だ。


「———全員聞いてくれ! 俺たちはこれからこの山を駆け上り、降魔城こうまじょうに突入する! 騎兵も歩兵も、それぞれ最大速度で駆け上がってくれ!」


 アーディンが馬首を返し、三千のつわものたちへ音声を響かせた。

 作戦の概要はこの場にいる全員に、昨晩のうちに伝達済みである。

 

 だが何を今更と、関羽は欠片も思わない。


「……そしてもし、落伍者が出ても振り返るな。仲間の命より降魔城こうまじょうに辿り着くことだけを、考えてくれ」


 いついかなるときも、部下の身を誰より案ずるアーディンが、初めて口にする言葉であった。


 仲間の身を庇い合いながら進めば、たちまち魔物に包囲されてしまうだろう。

 ならば、仲間を切り捨ててでも先に進めば、必然的に魔物は包囲の網を広げざるをえない。

 それがひいては遅れを取った仲間の身を間接的に助けることになろうとも、同士を、友を置いて進むことは、そうできることではない。

 頭では理解していても、心に歯止めがかかってしまい、不図ふとして立ち止まってしまうだろう。


 だからこその檄であった。

 仲間のかばねを越えて、前に進む覚悟を持つように。

 まるで自分に言い聞かせるようでもあった。


「……アーディン殿。私が歩兵の統率を引き受けましょう。変わりに私の騎兵を二百騎ずつ、関羽殿とアーディン殿が率いてください」


 とつとして呂蒙が進言する。


 兵三千の内訳は、騎兵と歩兵が半数ずつ。関羽とアーディンと呂蒙の三人が、騎兵と歩兵をそれぞれ五百ずつ率いる予定だった。

 それを呂蒙が、急遽変えると言い出したのだ。


 すなわち、関羽とアーディンが騎兵を七百ずつ。残りの騎兵百と歩兵千五百を呂蒙が率いるということになる。


 この土壇場で、呂蒙はさらに速さを優先させる布陣に変える狙いだ。

 それはクルスと呂蒙の見立てより、山の裏側に残存している魔物の数が多いことに他ならない。


 策を戦場の成り行きで練り直す。呂蒙は最善を尽くそうとしていた。


 だが。


「……死ぬ気か、呂蒙よ」


 関羽が問うた。


 確かに兵数だけならば、呂蒙が率いる隊は千と六百。

 しかしその内訳は、ほぼ歩兵である。

 機動力だけで言えば魔物と変わらない。いや、人より機敏に行動する魔物も少なからず存在する。

 常に魔物に包囲されながらの戦闘を余儀なくされることは、火を見るより明らかであり、その包囲を外から撹乱する騎兵を切り捨てるなど、この戦局に置いて自殺行為に等しいと言えよう。


「死ぬ気など毛頭ありません。ただ私は策の成功のため、最善の手を尽くすだけです。きっとこの場にクルス殿がいたなら、同じ進言をしていたでしょう」

「なら、多くは言うまい。この戦況で『死ぬな』とは言えぬこと。そんな約束など無意味というものだ。だが兄として、其方に残しておく言葉があるとすれば」


 関羽は真っ直ぐ呂蒙を見た。


「また、会おうぞ」


 見事魔王の首級を上げたとしても。

 途中で力尽き倒れたとしても。


 再会する場所は、現世うつしよでも地獄でもどこでも良い。ただ会いたいと。

 兄と慕う男から、再会を求められている。

 それだけで呂蒙には充分であった。


「それじゃ、行くとするか。……全軍、突撃用意っ!」


 アーディンが吠えると、隊列が整っていく。アーディンと関羽をそれぞれ先頭に置き、騎馬が二列に並んでいく。衡軛こうやくの陣立である。


「———突貫っ!」


 関羽とアーディンがほぼ同時に馬の腹を蹴る。

 山を駆け登りながら、アーディンの体はほむらに包まれ両の手の二剣が燃え盛った。

 関羽の体も蒼く燃え、偃月刀の刃が鋼色から瑠璃色へと光沢を変えた。


 山腹に陣を成す魔物の小隊が、早速行く手を阻もうと立ち塞がる。


「おりゃあああああああぁぁぁぁああっ!」

「———ぬぅぅぅぅぅんっ!」


 目にも映らないアーディンの連撃が、空気を擦り潰すような唸りを伴った関羽の斬撃が、密集する魔物の壁へと炸裂する。


 切断され、または火炎に包まれた魔物が二十体ほど弾け飛んだ。


 力技で作り出した魔物の隙間に、騎馬の列が馬蹄を響かせ滑り込む。


「……ようカンウ。この遠征前にな、取っておきのモノを手に入れたんだ。15年ものの貴重な酒だ。いくさが終わったら、一緒に飲もうや。もちろんリョモウやクルスも誘ってな」

「悪くないな。きっと今まで飲んだどの酒よりも格別に美味いのだろう。……これで死ねぬ理由が一つ増えた」


 新たに迫り来る魔物の群れを眼前に、関羽は頬を少し緩めた。

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