四十一幕 機

 アルガート帝国の命運を左右する一日が、朝日と共に幕を開けた。


 降魔城こうまじょうへと向かう三領の連合軍からなる約三万人の足音が、地を揺るがし重低音を轟かせる。

 いつもなら一日を寿ことはぐ朝焼けの空でさえ、兵たちの気迫と地鳴りによって痙攣しているようだ。


 降魔城こうまじょうを頂く山麓まで接近するや、三領の指揮官たちが指令を出す。瞬く間に軍全体へと伝播して大きなうねりとなり、速やかに陣形を変えていく。


 イレメスタ軍とクリグーズド軍を合わせた計二万四千が、綺麗に三つの大隊へと分裂した。その後ろには、シエル率いるフェルスタジナ軍の四千である。


 全軍の前にサーヴァスが単騎駆け出して、腰の剣を抜き天に掲げた。


「皆の者! これから始まる死闘がこの地に住まう人々の未来を担う一戦と知れっ! 腕が動く限り、一匹でも多くの魔物を撃ち倒せ! 足が動く限り、一歩でも前へ突き進め! 全員に、祖国アルガートの加護が在らんことをっ!」


 良い鼓舞だ、と関羽は思う。

 この奇襲は如何に魔物を引き付けるかに、すべてが掛かっていると言ってもいい。

 盾役———言葉を選ばなければ、いわば捨て石となる役目の両軍の奮闘が、まずは絶対条件だ。


 サーヴァスの檄は、確かに三軍の戦意に火を灯した。

 兵力差に恐れることなく、勇猛に攻撃を開始した。


 まずは弓兵と魔法兵による遠隔攻撃が、麓に近い魔物の陣へと容赦なく降り注ぐ。魔物たちは無防備に矢を穿たれ、または魔法で爆裂し、倒れていく。


 攻撃の手を緩めずに、二射目を浴びせていく。

 魔物の群れは混乱を極め、足並みが崩れ、綻びが生じ始めた。


「今だっ! 全軍突貫!」


 サーヴァスの号令に、三軍がそれぞれ距離を空け、三方から山を駆け上った。


 足の速い騎馬兵が隊列を成し、混沌の坩堝と化した魔物の前列と衝突する。

 魔法の爆炎によって視界が不明瞭だったことも追い風となって、面白いように魔物を屠っていく。

 遅れてやってきた歩兵たちも騎馬の間をすり抜けて、魔物と切り結んでいく。


 ここまでは、絵に描いたように作戦通り。

 だが、ここまでは言わば想定内。ここからが本番である。


 先制攻撃で屠った魔物の群れは、実のところ一万にも満たない。

 降魔城こうまじょうまでの山の斜面に綺麗に配置されている、ほんの一部なのだ。


 麓から見れば、まるで地層のように配置された魔物たちの全軍が、いよいよ始動した。


 中腹に陣取る魔物の群れが、雄叫びを上げながら急襲する。

 山頂近くに隊列を組んでいた魔物たちが、戦線を押し上げようとゆっくりと下山する。


 山の前面に配置された魔物のすべてが、三軍に牙を剥いてきたのだ。


 言わずもがな戦において、高所より攻めるが有利とされている。


 山の前面に見えるの魔物だけでも、五万近くいる。

 先制攻撃で倒した魔物の数は、多く見積もっても一万程度。


 有利となる高所より迫り来る四万の魔物の大軍を、今度は計二万四千の三軍が受け止める形となる。


 攻守がにわかに入れ替わった。


 魔物の持つ石斧に、人のそれを遥かに凌駕する剛腕に、さすがの強兵たちも少しずつ力尽きていく。


「……おいクルスよ。そろそろ限界じゃねーか? もう充分に敵を引き付けている。ここいらで俺らの出番だろ」

「お忘れですかアーディン様。まだこの形は僕たちの策の半分も満たしていません。それにサーヴァス殿下からも撤退の合図もまだ出ていません。今は辛抱のとき。……味方の健闘を信じましょう」


 麓で見守るフェルスタジナ軍だからこそ、戦場の全景が見渡せる。


 三軍は魔物の大軍に、ほぼほぼ包囲されていた。

 しかしまだ退路までは絶たれていないので、山の三合目あたりまで侵攻した三軍は、ジリジリと後退し始めている。


 交戦が始まり早半刻(1時間)。

 依然として士気は高いままであるが、個人差はあるものの体力には限界がある。そろそろ兵にも疲れが見え始める頃。

 高所からの攻撃は相手の打撃を倍化させ、逆に味方の攻撃を半減させてしまうのだ。


 加えてこの兵力差である。

 

 三軍の崩れ方が、加速し始めた。

 山に降り積もった雪が陽光に熱され溶け出すように、麓へ向かって滑り落ちていく。


「もう限界だろぅ! クルスぅ! 俺らも動かねえと、アイツらの犠牲が無駄になっちまう!」

「まだです! まだ戦えると……まだ持ち堪えられると……サーヴァス殿下は諦めていませんっ!」


 昨夜の会合でサーヴァスと取り決めたことが一つあった。

 いよいよ限界と悟ったら、サーヴァスは照明魔法を打ち上げて撤退の合図を送ると。


 だがその合図は、今だない。

 『機』が訪れるまで兵を鼓舞し、自らも剣を振るって戦っている。

 すべては、考え得る最善の形で決死隊三千を降魔城こうまじょうへと向かわすためだ。

 

 そしてとうとう奮闘が実を結び、結果となって現れた。

 ———待ちに待った『機』である。


「皆さん見てください! 山の左右です!」


 普段冷静な呂蒙が、思わずそう叫ぶ。

 山の左右から、新たな魔物が現れたのだ。


 万単位の魔物の増援は、そのまま山を侵略しようとする三軍の駆逐に参戦していく。


「この瞬間を待っていました! 皆さん! 出撃を!」

「おう!」


 そもそもこの策自体、一か八かの賭けであることは変わりなかった。

 十万の魔物がまるで木々のように覆っている山の頂上まで、寡兵で登り切るなど不可能に近い。


 だがそれでも可能性があるとするならば。

 最良の形を作るのならば。


 


「では行ってくる。クルス、シエルの護衛にぬかりはないようにな」

「はいっ! お任せくださいカンウ様! このまま三軍と合流して、一旦山麓から遠ざかります!」


 シエルが歩み寄った。その顔に少女の虚弱さは見当たらない。


「……どうかご武運を」


 関羽は軽く首肯すると、馬腹を蹴り駆け出した。

 アーディンと呂蒙もそれに続くと、麾下三千の兵が続いていく。


 向かうは山の裏側である。

 

 魔物の群れを最大限に引き付けるため、三軍が流した血を無駄にしてはいけない。

 

 関羽は馬に、鞭を入れた。

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