三十九幕 唯一の策
陽が地面に吸い込まれ、闇が空を覆い尽くした。
ここまでの道中、確かに敵襲は激減しているが油断は禁物。夜陰に乗じて魔物が襲ってくる可能性は捨てきれない。
関羽とアーディンは領主シエルのいる中軍へと向かうと、一際大きな軍幕が張られているのを見つけた。
警備を担当するフェルスタジナ兵の一人が、領主と側近たちが集まっていると説明する。
二人は迷わず軍幕の中に入った。
中央に置かれたテーブルを、主だった人間が取り囲んでいる。
今まさに、軍議の真っ只中であった。
「おい! 見たかあの魔物の数を!」
「理性のない魔物が襲ってこないとは、どういうことだ!?」
「案外我らに恐れをなしておるのかもしれないぞ!」
側近たちは口々に、持論を、または推測を飛び交わしている。
領主たちは正反対に、椅子に座り押し黙ったままだ。
クルスも同様に沈黙を守っているのは、おそらくこの中の人間で唯一、事態の重さに気づいているからだろう。
「……クルスよ。魔物の大軍はどれほどの規模であるか?」
関羽の言葉で、おのずとクルスに視線が集まる。
クルスが今まで自ら発言をしなかったのは、連合軍の士気に関わるからと思っていたからだ。
暫しの逡巡を経て、クルスが重い口を開いた。
「魔物の数は……およそ十万です」
その言葉は、加熱した軍議を一瞬で冷却するのには、充分すぎる一言であった。
「じゅ、十万……だと?」
イレメスタ軍の側近の一人が、よろめいた。
間髪入れず、一人の側近が悲鳴に近い声を上げる。
「何を根拠にそのようなことを言うかっ! 確かにあの魔物の数には驚かされたが、十万などっ! そのようなことあ」
「———おいっ! どこの誰だか知らねーが、
アーディンが凄味を利かせてクルスを擁護する。
言い方は乱暴であるが、その名が他領にも知れ渡っているアーディンが口添えすることで、クルスの言葉に重みが増した。
軍幕内は沈黙に支配されてしまった。
誰しもが、続く言葉を見つけられない。
下を向き、思考を止めてしまった者もいる。つい先ほどまで充血していた
その中で、瞳の光を失っていない者はたったの数人。
その内の一人———まずはクルスが、強い口調で話し出す。
「仮に烏合の十万なら、僕は充分戦えると思います。だけど、
クルスの言は尤もである。
今までと同じ魔物なら、こちらの姿を確認するや否や、殺意を剥き出しに襲ってきていた。
だが今回は違う。
目視で互いの姿が見える距離なのに、襲ってこようともしない。
まるで手ぐすねを引いて待っているようではないか。
魔物に策があるのなら、まともに当たっては戦力差で圧倒されてしまう。
こちらも策を考えないと、戦にすらならない。
長いまつ毛の下に光を宿している一人が発言する。
呂蒙である。
「クルス殿、残された手は多くありません。……いや、実質は一つだけだと言ってもいいでしょう」
「僕もそう思います、リョモウさん」
二人は互いに視線を絡めた後、微笑を溢す。
ほんの少しだけ弛緩した空気になると、息を吹き返す者も出てくる。
それがイレメスタの側近であったのはたまたまだ。
「そ、そんな手など俺でも分かるわっ! てっ、撤退に決まっておろう!」
クルスと呂蒙は顔を見合わせた。
二人の頭になかったまさかの案に、驚きと呆れが入り混じった顔になってしまう。
「……僕たちの目的は何ですか? あの十万の魔物を一匹残らず殲滅することですか? もしそれが目的なら、いの一番に僕が撤退を進言しています」
クルスは幼い顔に似つかわしくない鋭利な眼光で愚者を見る。
腕を組んだままだったサーヴァスが、場の進行を買って出た。
「……フェルスタジナの若き軍略家よ。申してみよ」
「ならば答申します。奇襲しか手はないかと」
「……ふむ。その理由と勝算をぜひ聞かせてくれ」
「はい。……あの魔物の軍は、魔王の意思により役目を持って配備されていると仮定します。その役目はおそらく
「で、あろうな」
「ですので、その守護の役目を逆手に取ります。三方から攻めれば、あの大軍はそれぞれの役目を果たそうと、きっと動きを見せるでしょう。その動きを瞬時に見極め、隙をついて
「だが、仮にもしもその策が成功したとして、魔王を討っても魔物の動きが止まらなかったら……」
「そのときはそのときです。潔く諦めましょう」
諦めて死ね、と良い笑顔で言うクルスに、サーヴァスも思わず「ふはっ!」と吹き出した。
だがすぐに、領主としての顔を取り戻す。
「……隙をついて
「もちろんです。魔物を引き付ける役目も、隙をついて
いくら山の麓で何倍もの兵力差の魔物を引き付けていても、奇襲に気付いた相手が踵を返し、追いかけてくるのは想定内だ。必然だと思っておいたほうがいい。
「してその配分は、なんとする」
サーヴァスの問いに、クルスは呂蒙を見た。
「その問いには、リョモウさんの意見も聞いてみたいのですが、よろしいですか?」
「無論、構わんぞ」
「……リョモウさん。あなたは僕と違って策だけじゃなく、部隊も率いれる戦略家です。きっと思い描く兵の数があるのでしょう?」
「もちろんです、クルス殿。この奇襲はスピードが第一。しかし魔物の大軍をすり抜けるだけでは、擦り潰されてしまいます。ある程度、硬さがないと
「僕も同じ考えです。……そうだ。二人同時に、奇襲部隊の数を言い合うのはどうでしょう?」
「面白い考えですね、クルス殿」
魔物十万を前にして、面白いとか緩んだ顔とか不謹慎極まりない。
本来であれば、咎められ罰せられても文句は言えないことである。
だが、今この場を支配しているのはクルスと呂蒙。全員が、二人のやりとりに飲み込まれていた。
「ではリョモウさん、いいですか? ……せーの」
「「———三千」」
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