三十三幕 共闘

 フェルスタジナ軍とイレメスタ軍が行動を共にして、三日目になる。

 

 陽はまだ高く、ちょうど中天に差し掛かった頃合だ。初日のような両軍のいさかいもほとんどなくなり、その後の進軍は極めて順調であった。


 このまま何事もなく南下して、隣接するクリグーズド領へと足を運ぶと思われていたのだが。


 案内役であるイレメスタ軍の速度が、ゆっくりと落ちていく。後ろに連なるフェルスタジナ軍も、足並みを揃えなければいけない。

 

 やがて大軍は、完全に停止してしまった。


「小休憩にはまだ早い時間であるな。一体どうしたのだろうか」

「……わからん。見たところ、行く手を遮るような障害物は見当たらねーのにな」

 

 フェルスタジナ軍の先頭を預かる関羽とアーディンが、馬を寄せて互いに首いを傾げる。

 と、後方から土煙が立ち上り、関羽たちへと向かっていく。

 シエルとその従者たちである。クルスも騎乗し並走していた。


「なぜ進軍が止まったのですか?」

「我々にも分かりかねます、シエル様。先を行くイレメスタ軍の足が、突然止まったのです。行く先で何かあったのでしょうか」

「イレメスタ兵からの伝達は?」

「それがまだ、ありません」


 シエルは御車みくるまから飛び降りて、関羽の馬上に飛び乗った。


「アローラ姉様の元へ参りましょう」


 関羽とシエル、アーディンとクルスは、イレメスタ軍の中核へと馬を走らせた。

 アローラの御車みくるまは一際背が高く、目印としてはうってつけである。

 進路を阻むイレメスタ兵の誰何をやや強引に押し切って、アローラの元へと辿り着いた。

 開口一番、シエルが叫んだ。


「アローラ姉様! 一体どうなさったのです! 何か問題が発生したのですか? なら私たちにも情報を共有してください!」

「あらやだシエル。馬に殿方と相乗りだなんて。はしたないわ」

「い、今はそんなことを論じている場合ではないでしょう!」

「……ついてきなさいな」


 アローラの御車みくるまが、ゆっくりと前進した。

 それに引き寄せられるように、関羽たちも後へと続く。


 停滞するイレメスタ兵を縫うように進み、先頭を抜け、さらに前へ。

 しばらく進み、関羽たちは足を止めた。

 いや、止めさせられた。


「こ、これは……」


 目の前には、谷がぽっかりと大きな口を開けている。

 まるで地面に亀裂が走ったかのような谷である。

 傾斜はもはや断崖に近く、左右を見渡してみても果てしなく続いている。

 そして驚愕すべきは、その谷底にあった。

 数百、いや、数千はいるだろうか。

 行く手を遮るように横たわる谷の底は、魔物の群れでひしめいていた。


「ここがイレメスタ領とクリグーズド領を隔てる幸福の谷ハッピーヴァレーよ」


 谷の向こうがクリグーズド領———降魔城こうまじょうを有する領土だとアローラが説明をする。


「谷は深く、魔物は登ってこれない。ここから一里半(約6km)先に吊り橋があるけど、当然この大軍では一度になんて渡れない。全軍が渡るのには、二日はかかるかしら。伝令を送らなかったのは、この谷を見てアナタたちが怖気付かないかと不安だったの」


 シエルがアローラに鋭い視線を向ける。

 だが同時に、体の奥から恐怖も湧き上がっていた。


 こんな魔物の大軍など、今までに見たことがない。

 幸いにも、魔物は谷を登れないでいる。

 幸福の谷ハッピーヴァレーとは、なんと皮肉な名称であろうか。

 無論、魔物の襲来とは関係なく、太古より受け継がれてきた呼び名であろうが。


 ともあれ、吊り橋があるのは不幸中の幸いである。全員が揃って渡るわけにもいかないが、無駄な交戦は避けられる。

 限りある日数を無駄に消費してしまうのは、仕方がないことだろう。

 シエルを始め、誰もがそう、考えていた。

 

「……さて。ここで問題よ、シエルの可愛い軍略家サン。私たちはこの先、どうすればいいのかしら?」

「———当然、この魔物に壊滅的な打撃を与え、先へ進みます」


 ほぅ、とアローラは、甘い吐息を織り交ぜて、クルスを見る。


「その理由を教えて頂戴」

「高所からの攻撃は、味方に勢いを付加させて断然有利となります。また、この谷を直線的に進めば、刻を一日以上稼げるでしょう。そして何より、この先に進みもしも撤退を余儀なくされた場合、後顧の憂いを断つことに繋がります」


 必勝の覚悟で挑んだ戦いであるが、軍を預かる戦術指南長として、もしもの事態も想定しておかなくてはならない。


 決して後ろ向きな考えからではない。


 必ずしも安全だとは言い切れない状況下で、領主シエルの生存の可能性は、少しでも高めておきたいと考慮しての、クルスの発言である。

 

 そしてアローラの考えもまた。

 その対象は己であれ、クルスと同様であった。



 ††††††††



 約四千。


 およそ視界に入る魔物の数の概算である。


 この四半里(約1km)に群がる四千をあらかた討ち尽くせば、万が一に撤退するときが訪れても、この退路は一縷の光となるだろう。


「全軍配置につきました!」


 連絡兵が見上げて声を上げると、谷を見下ろせる高所からクルスは頷いた。


「———攻撃を開始してくださいっ!」


 クルスの号令で、大旗が高々と掲げられた。


 陣の両端に配置された歩兵が、伐採した大木を投げ入れる。と、同時に魔法兵が断崖に向かって火球や雷球を発射した。

 断崖が削られ、岩々が落石する。木材も混ざり合うと、長く険しい谷に二つの栓を作り出した。

 続いて弓矢での集中攻撃が開始され、魔物に混乱とダメージを存分に与えた後。


「よし! 今だ! 全騎馬、突撃!」


 関羽の太い咆哮で、蓋をされ左右に行き場を失った魔物の大軍に向かって騎馬隊が、断崖を滑るように駆け降りる。

 両軍は騎馬隊には、馬術に優れた兵を選出していた。

 その数は関羽率いるフェルスタジナ兵が千と五百。イレメスタ軍は三千で、率いるのはアローラの側近の一人、ジャルクである。

 今回の作戦を立案したのがクルスということもあり、便宜上総大将は関羽が務める形となった。


 両軍は競い合うように谷を降り、勢いそのままに魔物の群れへと衝突する。

 高所より勢いを味方につけた騎馬隊の圧力は、そう簡単に受け止めきれるものではない。魔物は騎馬に弾かれ、潰され、絶命していく。


「うおおおおおおおおぉぉ!」


 関羽の偃月刀が、青く染まった。

 青い光は形を成し、刀身を二回りほど大きくさせる。


 これが関羽の魔法訓練の集大成。

 刀身に炎を宿すのがアーディンなら、関羽は流水で刀身を肥大化させる。


 名付けて、水刀斬。

 命名はアーディンである。


 巨人の剛腕の如き関羽の水刀斬が唸りをあげて、魔物の群れに飲み込まれていく。

 そして、分断。

 肥大化した偃月刀は、凄まじい切れ味を宿していた。


「流石です、関羽殿!」


 隣で呂蒙が魔物を槍で突き伏せる。

 関羽の足元にも及ばないが、彼の矛先もまた、魔力の衣で煌めいている。

 

 関羽が一太刀薙げば、鮮血を撒き散らしながら魔物が二十は空に散る。

 これには精鋭を揃えたイレメスタ軍の騎兵たちですら、目を見張る。

 そして味方として、これほどまでに心強いことはない。


 両軍の士気は、最高潮に達していた。そして戦局も、圧倒的有利に進んでいた。


 関羽が周りの魔物を討ち尽くすと、一騎の騎馬が近づいてきた。

 馬には精緻な意匠の馬面が被され、跨る人は女と見紛うほどの長い青髪と甘いマスク

 ジャルクである。


「やはり剣も尋常ならざる腕前ですね。カンウ様」

「何故俺の名を?」

「野暮なことを。兵たちの噂になっております」


 初日の諍いのことか、と関羽は得心とくしんする。

 手綱を引き馬を止め、向き直る。


 ジャルクの闘気が、関羽に向けられていたからだ。


「……今は敵陣の中。其方と戯れている暇などない」

「そう言わずに。この戦は我らの勝ちです。カンウ様には物足りないのではないかと」


 ジャルクの獲物はレイピアである。

 その先端が揺らめきながら関羽に向けられ、次の瞬間。


 関羽の後ろの魔物が爆ぜた。

 隙をついた魔物の奇襲から、ジャルクが救った形となる。

 もちろん関羽も気づいてはいたが。


 超高速で突き出された細身の刀身は、関羽の頬に触れるほど近い。


「……お見事。まばたき一つしないとは」

「よく言う。殺気の籠っていない剣など、そよ風に過ぎぬ」


 ジャルクは込み上げる衝動を眉の一つで抑えつつ、関羽に馬を寄せていく。

 そっと耳打ちをすると、彼の剣筋と同様に、つむじの如く去っていった。

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