三十二幕 ひと騒動

 明朝になり、フェルスタジナ軍とイレメスタ軍は行軍を開始した。


 その数は合わせて一万六千。

 威風堂々とした軍様である。


 自領ということもあり、まずはイレメスタ軍が先行し、関羽たちフェルスタジナ軍が後に連なる形をとった。

 駐屯していたイレメスタ城は領内の北東部に位置しており、イレメスタ領を抜けるのには三日はかかるとアローラの言だ。


 なので陽が沈む前には、できるだけの勾配の少ない拓けた場所へと進路を変え、軍幕の設置や炊事の仕度などを、夜営の準備をしなくてはならない。


 まだ行軍初日である。

  

 同じ帝国内とはいえ、領土が違えば文化や風習も異なるもので、互いに興味を抱いてしまうのは無理もないこと。

 故に小さないさかいなども、起こってしまう。



「おい、美味そうなパンだな。俺たちにも少し分けてくれよ」


 石を積んだだけの即席釜を中心に、輪となり食事を摂るフェルスタジナ兵に対し、イレメスタ兵数人が高圧的な態度で迫った。


 イレメスタ領では稲作が主流で、しかも自給できるほどの生産力がない。基本は他領からの輸入品に頼る食生活なのだから、小麦が原材料となったパンなどは高価でとても日常の食卓には並ばない。


 共闘とはいえ、イレメスタ兵から見れば、フェルスタジナ兵の戦力は自分たちより劣るもの。

 なのでどうしても、その口上には増長している節が見える。


「自分たちの配給があるだろう。俺たちだって腹一杯食えるほどはない」

「ゴタゴタうるせーんだよ! 俺たちの尻に隠れているだけのオメーらなんぞ、一日二日食わなくたって充分だろーがぁ!」


 イレメスタ兵の小隊長クラスであろうか。

 大柄で厚みも幅もある体躯は、従えている数人よりも立派なものであった。

 

「丁重にお断りしたつもりだが、どうやらはっきりと言わなきゃわからんらしいな。やらん。そしてさっさとこの場から立ち去れ」


 されどフェルスタジナ兵とて、負けてはいない。

 対する彼も、五十の兵の長である小隊長。並の恫喝で屈するようなヤワな根性では到底務まる役職ポジションではない。


 こうなると、もう手がつけられない。


 小隊長同士が、額をつけて睨み合う。

 周りが煽り囃し立てると、男二人の鍛え上げられた肉体が激しく衝突した。


 ††††††††

 

「……へっ。それでしまいか。大したことねーな!」


 ふんっ と鼻を摘んで血を噴出させる男と、仰向けに倒れている男。

 勝敗はイレメスタ兵に軍配が上がった。


 周りのフェルスタジナ兵はすっかり沈黙してしまっている。

 その兵たちを肩で押し退けながら、勝者が戦利品———フェルスタジナ兵の主食であるパンに手をかけようとした、その時だった。


「やめなさい! 食糧のことで争いなど、兵士のすることですかっ!」


 眉を寄せても翡翠の瞳が美しい、シエルの声がその手を止めた。

 篝火を携えた守備兵を連れているところを見るに、兵たちの慰労を兼ねて巡回している最中に、このいざこざに遭遇してしまったようだ。

 

「……誰だアンタ」

「私はシエル・アルガート。我が兵に無礼があったのなら、私が詫びましょう。ですが、それは兵たちの大切なかて。どんな理由があるにせよ、それを奪うことは許しません!」


 曲がりなりにも共闘する領主の名ぐらいは、一兵卒まで行き届いている。

 それが小隊長ともなれば、至極当然のことである。


「……これはこれはシエル殿下。それはちっとばかし勘違いってモンですなぁ」

「何が勘違いなのですかっ!」

「俺はこの男と食糧を賭けて勝負をしただけです。なーに、ちょっとしたお遊びってヤツですよ。そして見事、俺が勝っただけのこと。王族の領主サマに咎められるようなことは、何一つしちゃいないですぜ。……そうだろぉ、みんなっ!」


 イレメスタ兵の小隊長は、後ろを振り向き語尾を強めた。

 部下の数人が、賛同の声で擁護する。


「……くっ!」

「では、そういうことで。殿下も早々にお引き取りを」

「ま、待ちなさい! それならこちらにも考えがあります! その勝負にもう一度挑戦します! カンウ! こちらへ!」


 シエルより五歩ほど後ろにいた関羽が、ゆっくりと歩みでる。

 シエルの脇にいる守護兵が持つ篝火に、その姿が揺らめいた。


「……お、おい、なんてデカさだアイツは……」


 場の注目を独り占めた渦中の男は、一歩、二歩と前に出る。

 そしてシエルの隣に腰を落とし、そっと耳打ちをした。


「……よいのであるか? 仮にもこれから味方となる相手ぞ。真相はわからぬが、挑発してきたのは相手であろうが、喧嘩に負けたのは事実であろう。ここは一つ穏便にことをすま」

「いいのっ! やっちゃってカンウ! ウチの兵が弱くないってところを見せてあげてっ!」


 などと言い、ふんすとシエルは空殴打シャドーボクシングまで見せる始末。

 先程までの毅然とした領主の顔はどこへやら、すっかり素のシエルに戻っている。


 そんなあるじに目を細め、どこか愛おしさを感じながら。

 関羽は男の顔に戻り、立ち上がる。

 

 関羽とて、嫌いではないのだ。強い男との対峙なら。


 悠然とイレメスタ兵の小隊長の元へ、関羽は歩み寄った。


「我が兵が世話になったな。今度は俺が、相手になろう」


 睨みを効かせたこの言葉だけで、大抵の者は戦意喪失するものであるが、されど相手も小隊長。

 やはり部下の前では恥を晒したくない。

 まして戦いを放棄して降参など、もってのほかである。


「へ、へへへ。け、喧嘩はなぁ、力だけじゃ勝てないんだよ、この———木偶でくのぼうがぁぁぁああああ!」


 不意打ちの右拳が関羽の顔に急襲する。

 頭一つ半は違う体格差なので、小隊長の拳は必然と打ち上げアッパーの軌道を描く。

 見事、関羽の顔を殴打ヒットした。


「へ……へへ。手応え十分だぜ。どうだ俺の拳骨は!」


 拳の下で、関羽の目がかつと見開かれた。


 常人なら十分に昏倒せしむる一撃も、関羽の前では虚しいだけ。

 その強靭タフネスさは、もはや常軌を逸している。


「き、効いてねえのか!?」

「効いてないわけなかろう。……いや。なかなか気迫の籠った殴打であった」


 今度はこちらが、などと言葉はいらない。

 関羽は腰を落として、半身になる。後退りながら構え直す小隊長。


「———ふん!」


 関羽の足元の枯れ葉が。音もなく舞った。

 巨躯にはおよそ似つかわしくない、紫電一閃しでんいっせんの足運び。

 たとえ徒手空拳でも、強さのかさは変わらない。

 武神、戦神などと畏怖された男に、不得手など存在しなかった。


「———がはぁぁぁ!」


 ズドンと鈍い音を響かせて、関羽の拳撃パンチが小隊長の腹に突き刺さる。

 小隊長は小さく吐瀉すると意識が抜け落ちて、まるで糸の切れた操り人形のようにダラリと崩れ落ち、関羽の腕にもたれかかる。

 右腕一本だけで、関羽はそれを支えてみせた。


 唖然。


 その表現がこの場を総括するのに、もっとも適しているだろう。

 

「———きゃぁあああ! さすがカンウ!」


 黄色い叫声が、沈黙を掻き消した。

 そして視線を集めてしまったシエルは、慌てて体裁を整える。 


「……ご、ゴホン。皆も見たでしょう我が兵の強さを。今後はフェルスタジナ兵をあなどることは許しません! 私たちは共に戦う仲間、なのです。これからは互いを尊重し、手を取り合いましょう」


 一番のつわものが、ただの一撃でのされたのだ。

 この場に残されたイレメスタ兵に否はない。

 どうにか領主の面目を取り戻したシエルが、この騒動を締め括った。


 ††††††††


「———で、どう? ジャルク。アナタだったらあの男に勝てそう?」

「イエガーをたった一撃で倒す相手です。普通に無理かと」


 大木に背を預けたアローラがジャルクと呼んだ男は、青みがかった長い髪をかきあげながら、いともあっさりそう答える。

 

 一部始終を見届け終えたアローラは、煙管きせるを舐めるように咥えると、夜空に向かってゆっくりと紫煙を吐き出した。


「カンウ……ね。あの男が欲しいわ。ジャルク、どうしたらいいかしら?」

「普通じゃない方法をとれば良いかと」


 アローラの側近であるジャルクは、口数が多いほうではない。

 ともすれば男も色を覚えてしまうほどの端正な顔立ちは、まるで女子おなごのようでもあるが、真逆となる武の匂いも合わせ持っていた。


「さ、行きましょう。楽しい余興が見れてよかったわ」


 煙管きせるを叩き、火種を落とす。

 それを足で踏みにじるさまが、アローラという人を表していた。

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