三十一幕 イレメスタ領主

 アルガート帝国陛下は子宝に恵まれ、四男二女の子を授かった。

 

 第二子でもあり長女でもあるアローラ・アルガート。


 女であるが故、継承権を持たない彼女であったが、初の女子誕生という背景もあり陛下はことのほかアローラを溺愛した。

 指のひとつで周りが動かしすべてが事足りてしまう、不自由とは無縁の生活。蝶よ花よと育てられたその末路は、王族の沽券を履き違えた尊大かつねじくれた自尊心を育成してしまったのだ。


 だが、難ある性格とは対比して、その美しさは紛れもなく本物であった。

 漆黒の髪が、シエルと血の繋がった証左でもある、白い肌をなまめかしく浮かび上がらせている。

 

「フェルスタジナ城から使者がきたときは驚いたわ。まさかシエル。あなたが出兵するなんて、ね」


 唖然とするシエルたちの視線は、完全に二分されていた。

 頭上の美女と、地上の生物。

 アローラは注目のすべてが自分に向かっていないことに不快を覚えたのか、小さく鼻を鳴らして言葉を続けた。


「……ああ、これ? これはさいという動物よ。国の東にわずかしか生息しない、珍しい生き物なの」


 シエルもようやく平静を取り戻す。

 見上げて見下す姉を見た。


「……アローラ姉様。私たちは降魔城こうまじょうへ向かいます。少しでも時間が惜しいのです。イレメスタ領の通過をお認めになってくださいませんか?」

「嫌な言い方をするわねぇ。それじゃ私がまるで邪魔しているみたいじゃないの」


 実際に兵が行手を阻んでいるのだから、そう言われても当然なのだが、アローラは他人事のように言い放つ。

 そしてあたかも値踏みするように、周りを見やる。


 アローラの青々とした瞳が興味に揺れた。


「で、私の可愛い妹シエルちゃんは、一体何人の兵を連れているのかしら?」

「……五千です、アローラ姉様」


 ほんの一瞬。アローラの顔に驚愕の色が浮かんだ。

 だが、すぐに自信に満ちた顔に戻る。


「フフ、アハハハハハ! そう、五千! たったそれだけで、降魔城こうまじょうへ向かうなんて、自殺行為もいいところだわ!」

「そ、そういう姉様はどれほどの兵を集めたのですか!?」

「一万と一千よ」


 倍以上の戦力を擁するアローラの嘲笑いが鳴り響く。

 が、その目は愉悦に浸りきってはいなかった。


(農作しか芸のない、あのフェルスタジナ領で五千の兵を募るとは……この小娘、一体どんな手を使ったのかしら……)


 フェルスタジナ領から兵の通過の許しを得る封書が届いたときアローラは、二千がせいぜい。民兵に近い雑兵をかき集めても三千には届かないと踏んでいた。


 それが、よもやの五千とは。


 しかもだ。

 アローラが見渡した限りでは、民兵のような急造兵は一人もいない。皆が装備もそれなりに、そして全員が兵士の顔をしているではないか。


 アローラは驚きを禁じ得ない。寡兵だと笑ってみたものの、それは表面上の体裁で、平静を保つ演技も多分に含まれていた。


 だから彼女は考える。

 この誤算を自分の利益にできないものか、と。

 

 領主になり人を束ねる才能を開花させたのは、その人徳と偏見のない人材の登用でフェルスタジナ領を予想以上に発展させたシエルだけではない。

 

 アローラもまた、イレメスタ領で交易と人脈を広げ、その才能を大きく育ててきたのである。


「……ではこうしましょう、シエル。私たちも明日には出兵する準備ができているのです。イレメスタ領とフェルスタジナ領で連合して、降魔城こうまじょうへと攻めましょう」

「れ、連合軍ですか!」

「ええ、そうよ。五千で戦いに向かうあなたたちの心意気は買うけれど、やっぱり心許ないわ。兵が増えればそれだけ戦いがラクになるでしょう? それに兵の消耗だって軽微になるかもしれない。悪い話ではないと思うけど、どうかしら?」


 さすが、と言うべきであろうか。


 アローラはシエルに話すと同時に、周りの兵にも顔を、目線を合わせながら語りかけた。

 

 味方の兵が増える。

 戦いを有利に進められる。

 結果、死ぬ確率が大幅に下がる。


 それを喜ばぬ兵など、どこの世界にいようか。

 

 周りの兵をも巻き込んだアローラの大袈裟な説明に、場は一時騒然となった。


「わかりました。その申し出、ありがたくお受けします」


 そしてシエルの応答は早かった。


 それもその筈である。

 シエルに打算などはない。心中にあるのは唯一の真理。ただただ平和を願う渇望だけである。

 そもそも国の王になど、興味がないのだ。

 平和の世が約束されるのであれば、そんなもの誰がなろうと構わないのである。


「シエル様、す、少しお待ちを! 連合軍となり共闘となると、良いこともありますが、それだけではございません」

「あら? そこの可愛い坊や。何がいけないのかしら?」


 クルスがアローラに向き直った。


「同等の士気と覚悟があってこその共闘だと、私は考えます。同じ方向を向いていない連合軍では、戦いにならないでしょう」

「あら? 我がイレメスタ領の兵士たちがとても弱腰に聞こえるのだけど、私の耳がおかしいのかしら?」

「い、いえ、決してそのような……」


 たじろぐクルスの様子を見て、シエルが庇った。


「これ以上のお戯れはおやめください、アローラ姉様。そして今の言葉に失礼があったのなら、私が謝罪します。フェルスタジナ軍はイレメスタ軍と共に戦うことを誓います」

「フフフ。では我が軍も出兵の用意を急がせるわ。今夜の食事はイレメスタ城から運ばせましょう。アナタたちを一日足止めさせてしまうのだからね。それくらいはさせて頂戴」


 アローラはそう言うと、御者に目配せで合図を送る。

 鞭を打たれたさいは、短く鳴いて反転すると、大きな足音を残して去っていった。


「……で、カンウ。お前はどう読むよ? あの女狐が、何を企んでいると思う?」

「今の段階では俺にはわからぬ。アーディンこそ昔は王都にいたのであろう? あの女性にょしょうのことは詳しいのではあるまいか?」

「まーな。まあ、あまりいい噂は聞かないぜ。人を利用したり、たぶらかすのが上手いってことだけは確かだ。共闘は望むところだが、厄介なことにならなきゃいいがな……」



 アローラは城へと向かう道中で、ソファに身を委ね、思慮に沈む。


(あの小娘の側にいた二人の大男。おそらくあれが、フェルスタジナ軍の中核ね。さて、どうやって取り込もうかしら……楽しみだわぁ)


 

 かくしてアーディンの予想は、あらかた的中していたのであった。

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