三十幕 出陣

 闇がひっそりと、空を覆うように降りてくる。


 城外は多くの篝火が燃え盛り、兵士たちの顔を煌々と照らし出していた。

 夜空を照らす満月も、霞んでしまうほどに。


「魔物の群れが来ます! その数はおよそ500!」


 まだ地響きも、咆哮も聞こえてはいない。

 しかしクルスの前では、夜襲も奇襲も筒抜けである。彼の『遠聞術ボディ・イアー』は既に、魔物の群れを感知していた。


「———さあ皆の者、いざ参りましょう! 私たちが目指すは降魔城こうまじょう! この国に、真の安寧と秩序を取り戻すのです!」


 馬二頭を操る御者が引く、飾り気のない御車みくるまに乗り、シエルが出陣の幕を上げる。

 

 その形相は真剣そのもの。まさに不退転の覚悟であった。


 軍の先頭が二つに分かれ、あたかも双頭の大蛇の如く動き出す。

 映えある先陣の二隊はもちろん、関羽とアーディンの隊だ。

 競い合うように駆け出して、そのまま群れへと急襲する。何体かの魔物が空に舞い弾け飛んだ。

 そのまま存分に群れを分断すると、孤立した魔物たちは次に襲いかかるクルス率いる歩兵の波に飲まれていく。


 断末魔さえも許さない、電光石火の攻撃であった。


 数と士気とで凌駕したフェルスタジナ軍は魔物の群れを一蹴すると、勢いそのままに南へ向かって進軍を開始する。


 シエルを守護するクルス率いる中軍に、騎馬300が近づいてきた。


「クルス殿。怪我人はすべてフェルスタジナ城へ送り届けました」


 交戦で出てしまった数人の負傷者は無事に城へと戻したと、騎馬を率いる呂蒙が言う。

 いくら再生魔法で傷は癒えても、すぐに戦線復帰とは無理な話。 

 ならば残念だが、負傷兵はフェルスタジナ城で養生してもらい、軍の足を速めるのが今は上策である。


「ありがとうございます。これでもう少し、速度を上げられますね。リョモウさんは殿しんがりをお願いします。輜重しちょう隊を守りつつ、軍の速度を押し上げてください」

「承知しました」


 呂蒙の隊が踵を返し、軍の背後へと回る。

 目的地である降魔城こうまじょうまで、日数の概算がおおよそ立っているとはいえ、道中何が起こるか分からない。

 

 時間は、あればあるだけ良い。

 思案することも、体力を回復することも、すべて時間が重要となる。

 無論、使える戦術の幅も格段に広がる。


 ならば兵の体力が万全な今は、なるべく距離を稼いでおきたいところ。

 ここは自領で、地理にも明るい。

 この先、進軍を阻むような自然の障害物は何もない。

 

「このまま速度を緩めずに進みます!」


 とは言え闇夜では何が起こるか分からない。油断は禁物である。

 クルスは『遠聞術ボディ・イアー』の射程を最大限に広げながら慎重に、行軍の指揮を執った。


 ††††††††


 騎馬の駈歩かけあしに近い速度にも、歩兵はしっかり喰らいついている。

 これが行軍の最大速度。

 しかしながら、夜を通し走り尽くし兵にも、流石に疲れが見え始めていた。


 東の空が、白み始めている。

 いつの間にか月はその姿を隠し、代わりに差し込む陽の光。

 視界も充分に確保できるなら、そろそろ休息が必要だとクルスは考えた。


「先陣のアーディン様、カンウ様に伝令です。行軍を止め二刻(四時間)ほど休憩すると、伝えてください」


 先頭に向かい伝令係の騎馬が走り出すと、程なく軍の動きが緩くなり、やがて止まった。

 クルスは下馬すると、歩兵にテキパキと指示を飛ばす。


「まずはシエル殿下の天幕を作ってください。すぐに輜重隊から水と軽食が届きます。それを食べたら交代で、仮眠をとってください」


「っていうお前も少しは休めよな」


 声の方向に振り向くと、干し肉を齧るアーディンと、水筒に口をつけた関羽の姿。


「左様。周辺の警戒は俺たちに任せて、クルスはしっかりと休養せねばな。軍の頭脳が疲れていては、勝てる戦ですら勝てぬやもしれぬ」


 そう言い関羽は辺りを見渡す。

 

 フェルスタジナ城周辺とは違い草木はやや少なく、剥き出した土が地面の大半を占めていた。

 

「してクルス。フェルスタジナ領はもう抜けたのであろうか」

 

 アルガート帝国の領境に、明確な境界線などはない。

 領が所有する小城や砦から四里(約16km)圏内が税を納める先であり、一応がその領の傘下となる。その圏外からさらに離れた村などは、どちらの領が近いかで納税先が決まる、大雑把な仕組みである。


「だいぶ南に走りましたから、ここはイレメスタ領内ですね。イレメスタは良質な鉱石が多く出土して、経済的にも豊かな領土です」


 アルガート帝国では丁度中の中、広くもなく狭くもないイレメスタ領は、フェルスタジナ領と帝国の最南端に位置するクリグーズド領に挟まれる位置に存在する。

 生産される穀物は少なく、自領にくまなく行き届かない。土が農作に不向きなのだ。自給自足が困難な代わりに、鉱石が多く採掘される。故に産業と貿易に力を入れている。


 他領に多くにつてを持ち、領内を豊かに導いていく。

 それがイレメスタ領の特徴であった。



「さあ、小休憩は終わりです。行軍を開始しましょう」


 フェルスタジナ軍は再び南下を始めた。

 今度は歩兵の速度に合わせた、長い移動を見据えた行軍である。


 自領では見られない形の山脈や、土の匂い。

 夜間の進軍とは打って変わって兵たちは、初見の眺望を楽しみながら、上官に注意されない程度の会話を交えながら、進んでいく。


 シエルの御車みくるまがゆっくりと、クルスに近づいた。


「ねぇクルス。このまま南下をすれば、イレメスタ城の側を通過するのではないですか?」

「確かにその通りです、シエル殿下。ですが封書でその旨を、事前にイレメスタ城へと知らせています。何も問題などないでしょう」

「……だといーんだけどねぇ」

「え? 何か不都合でもおありでしょうか!?」


 シエルが眉を曇らせる。

 まさにその時であった。


 物見の騎馬が、兵の隙間を縫って駆け込んできた。


「———きゅ、急報! 前方に一里(4km)先に大軍が待ち構えています!」


 肌にまとわりついた弛緩した空気が、一瞬で弾け飛んだ。


「た、大軍? な、なんで……。と、とにかく全軍に通達です! 警戒を怠らないようにと!」


 地平線がいびつに蠢いていた。確かに物見の言う通り、大軍が進路を阻んでいる。

 それも相当の兵力だ。


 その大軍が二つに割れると、ゆっくりと何かが近づいてくる。

 馬より体躯が二回りほど大きく、角のある得体の知れない動物が、これまた見事な御車みくるまを引いている。


 あたかも周りの人間を睥睨するためだけに作られた背の高い御車みくるまには、はたから見てもそれと分かる高級な生地をふんだんに使った座り心地の良さそうなソファが一つと、足を組んだ姿が様になる、妖艶で妙齢の美女が一人。


 敵意がないのは、所作から分かる。しかも相手はただの一人だ。

 だが、なんと堂々とした姿であろうか。


 凛として大胆に。


 草薮をかき分けるかのように、兵を割っては進んでいく。

 シエルを囲む護衛の兵が、不測の事態に備えて槍を構える。

 そんなことはお構いなしにシエルにまた一歩近づくとようやく止まり、吸い込まれそうな瞳を見下ろした。


「———あら? 誰かと思えば、シエルじゃないの」

「……アローラ姉様」

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