二十九幕 檄
二週間後の満月の日。
この日に合わせるようにして、アレッカ城など領内の各地から、兵士の群れがフェルスタジナ城へと集結した。
その数は、合わせて約二千。
魔物の襲来は、なにもフェルスタジナ城だけに限られたことではない。当然各拠点にも同じ周期で招かざる客が襲ってくる。なのでどうしても最低限の守備兵は、残さざるえない。
にもかかわらず計二千の増兵は、領主シエルが領内で積み重ねてきた信頼と、長きに渡って続けてきた説得の賜物であった。
そして、フェルスタジナ城生え抜きの兵士が約三千。
計五千の軍隊は、騎兵が千五百、魔法兵が五百、歩兵が三千の構成で成り立っており、アーディン、関羽、呂蒙がそれぞれ騎兵五百と歩兵五百の一千ずつを率いる三隊を主軸として、残り二千の本陣をクルスが預かる形となっている。
刻はまだ陽が落ち切る前。
兵のすべてが城外に集められ、そして整列していた。
「……いつまで憤っているのだアーディンよ。其方らしくもない」
「うるせっ! シエル様を戦場へとお連れするんだぞ!? これが黙っていられるかってんだっ!」
城壁から兵を見下ろすアーディンは、関羽を睨みつけると顔を背ける。
想像通りに、シエルが出兵に同行すると聞いたアーディンは、烈火の如く猛反対を口にした。
だが、そこはシエルが譲らない。
一歩も引き下がらず、アーディンの意見を却下した。
領主としてのシエルは、周りの意見をよく取り入れる。
上下官隔てず広く意見を聞き、相談に相談を重ね、よくよく考えた後に判断を下す。
良主の才能を、ここ一年ほどで開花させていた。
そんなシエルであるが、残念な欠点もある。
こと自分のみに関する話となると、周りの意見をまったく聞かない。聞く耳を持とうとしない。一度言い出したら頑としてその態度を崩さない。
アーディンも説得は難しいと思ってはいたのだろう。なにせ二人の付き合いは、昨日今日に始まったことではない。
それでも尚、
だからシエルも心から説いた。自分の気持ちを。
そして領主が行軍に同行するその意味を。
結局はアーディンが折れる形となった訳だが、やはりどうにも釈然としない。
出兵間近となった今でも、顔を強張らせているのが何よりの証拠だ。
「まあまあ、アーディン殿。シエル殿下が自ら望んでいるのです。それを聞き入れ最善の手を尽くすのも、臣下の務めではござらぬか?」
「そんな簡単に割り切れるもんじゃねーんだよ、リョモウ。シエル様にもしものことがあったら、俺は生きちゃいらんねぇ」
随分と大風呂敷を広げたものだが、あながち間違ってはいないのだ。
シエルの母、アルガート帝国の王妃には歳の離れた兄がいる。
それがヤージャである。
シエルの遊牧民としての生活を支えている、元アルガート城の近衛兵長を務めた男。ヤージャから見てシエルは
剣の師の身内であり、さらに己が仕える主君のシエルは、アーディンにとってそれだけ特別な存在なのだ。
烏滸がましいが、身内に近い感覚を持っていると言い換えてもいい。
そのシエルが共に戦場へ向かう。
決して覆らない事項であるなら、自分が身命を賭して守ればいいだけだ。
剣呑な顔のままアーディンが、唇を噛み締めた。
しばし間をおいて。
護衛の兵を引き連れて、シエルが城壁に姿を現した。
同時に関羽やアーディン、呂蒙やクルスが側に
城外の兵たちに、歓声と
もちろんのこと、歓声の主たちはフェルスタジナ城兵たち。
そして響めきは、領内の各地から集まった兵たちである。
シエルは一歩、前へと歩み出した。
城壁から見下ろす形で兵たちと向き合うと、ためらいなく口を開いた。
「私はフェルスタジナ領主、シエル・アルガートです。私たちはこれから、この国の命運を懸けた決戦の場に赴きます」
兵たちに、もれなく動揺が走った。
初めて領主を拝んだ者たちの
これだけの兵が一堂に集められているのだ。
よほど頭の鈍い者でなければ、大きな戦が始まるのだろうとおおかたの予想はつく。
しかしながら、国の命運を懸けた戦だなんて、誰一人として想像している者などいなかった。
五千の兵が騒然となるも、構わずシエルは言葉を繋げた。
「向かう先は
兵たちの騒めきが大きくなっていく。
そんな話など、聞かされてはいない。噂話でさえも語られていない。
「それは本当の話なのでしょうか、シエル殿下! そのような話、我々は知らされておりません!」
整列している兵の最前列。アレッカ城兵の部隊長が声を上げた。
シエルは声の主に視線を運ぶ。
「国中の混乱を防ぐために、
そう言って頭を下げる領主に対して非難の声など、どうして上げられようものか。
喧騒が少しずつ薄らいでいく。
視線を戻し、前を見据えた小さな領主は優しく語り出した。
「……苦しい戦いになるでしょう。多くの死傷者が出てしまうかもしれません。ですが私たちが戦うことを放棄してしまったら、皆の家族や友人はいずれ魔王によって支配されてしまうでしょう。私たちはそれを止めにいくのです」
年老いた両親。甲斐甲斐しく世話を焼く妻。まだ小さな手のひら。
それぞれが守るべき人を、その存在を、頭に思い浮かべていく。
兵たちの顔に、闘志が宿り始めた。
さらにシエルは断言する。
「でも、兵士だから、犠牲を払ってまで戦おうと考えるのは、間違っています。皆一人一人の命もまた、誰かにとって大切な存在なのですから。……だから、必ず生きて帰りましょう! 共にこのフェルスタジナ領へ! 愛すべき人の元へ!」
シエルが右手を振り翳す。
力強く。そして
それに呼応した兵の熱狂が、雄叫びが、地を揺るがした。
誰一人として、反対するものなどいない。
「……流石、としか言いようがない」
「だろ? 見たかカンウ。これがシエル様よ。まあ少々我儘で言い出したら聞かないとこもあるけどな、誰よりもこの国のことを、人々の平穏な暮らしを望んでいる。俺が
アーディンが誇らしげに、そして覚悟を宿した眼光で関羽を見る。
関羽も首肯で静かに応えた。
当時の伝記や記録を見ると、やたら脚色が施されたり、大げさに神聖化された記述が数々と残されている。だがアルガート帝国が正式に認めた史書だけは、そのときの様子を克明に記していた。
『領主シエルは、平和を愛し、そして同時に兵を愛した。自らが戦場に立つことで、兵を鼓舞するその姿勢が、おおよその予想を覆し、最良の戦果を挙げることに繋がった』と。
後世の領主や戦略家たちは、シエルの勇気と行動力を絶賛した。
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