二十八幕 シエルの覚悟
「し、失礼しました! ただいま個室をご用意させていただきます!」
金貨を見た店員は態度を一変。へつらいながら二人を個室へと案内する。
広い間取りの中央に堂々たるテーブル。背もたれの高い椅子が向かい合わせて計八脚。
なるほど潤沢に贅を使ったこの店の個室であった。
店員が接客の見本のような所作で、椅子を引きシエル、関羽の順で着席の促していく。
二人が腰を下ろすと店員は扉の前で、
「ご用の際には机の上のベルを鳴らしてください。それでは、ごゆっくりとお過ごしくださいませ」
慇懃に腰を折り、扉を開き退室した。
さてと、何を注文しようか。
関羽は机に置かれたメニュー表を開いてみる。
読めない文字も多少はあるが、どんな料理か何となく想像がつくくらいは理解できる。
ふとメニュー表越しに、シエルの顔が視界に入った。
なんと恐ろしく表情が沈んでいるではないか。
「……どうしたのだシエル。先ほどまでの元気は、どこにいってしまったのだ」
「———だってぇ! 私がここにしようって言ったのに! 私が奢るって言ったのにぃ! 結局カンウさんに助けられてさぁ!」
「俺の給金はシエル、領主である其方からもらっているようなもの。ならば誰が支払おうと、関係ないのではないか?」
「……うぅ。そうかもだけど、そうじゃないのよぅ……」
「俺にはよく分からんが、気にすることはないぞ。存外にシエルもかわいいところがあるのだな」
などと言ってしまうから、恋愛沙汰に鈍い男はタチが悪い。
予想を外さずシエルは顔を
「この料金ならさぞかし美味い料理が出てくるのであろう。楽しみであるな。……ん? どうしたシエル。顔色が赤いが、用便所ならこの部屋にくるまでの途中に」
「———カンウさんのバァカァァァァァァァァァ!」
「ぬお!? メニュー表を何故投げる!?」
そんなやり取りがありつつも、どうにかオーダーして待つこと四半刻(三十分)、出来立ての料理が続々とテーブルに並べられた。
「では、頂くとしよう。……うむ! これは美味! シエルも料理が冷めてしまう前に、早く食べるといい」
関羽の箸が次々と、料理を口に運んでいく。
その様は、実に惚れ惚れとする食いっぷりであった。
ご機嫌が直角に傾いていたシエルも、空腹には耐えられない。
関羽の
「……お、美味しい……!」
流石に高級料理店である。値段の額は、伊達じゃなかった。
最高の食材をふんだんに使用し、腕のある料理人が作った料理はシエルの曲がったヘソを直すのには、充分であった。
箸が進むにつれて、シエルの機嫌も戻ってくる。
美味しい料理は、会話に色彩を与えてくれるもの。
徐々に会話の数が増え、そして弾んでいく。
笑い声が広い個室に飛び交った。シエルに顔にも光が戻る。
やはりシエルには笑顔が似合う。形の整った輪郭から放たれる眩い光は、その場にいる者を確実に魅了する。
もちろん関羽とて、だ。
だが異性としては意識していないところが、何とも関羽らしい。
シエルには少々気の毒ではあるが。
ややあって、料理もあらかた食べ尽くした。
シエルとアーディンが初めて顔を合わせたときの話、幼少時代を過ごしたアルガート城での生活の話など、そのどれもが関羽の笑いを誘うものであり、関羽が喜んでくれるから、シエルもさらに
が、笑いが絶えたほんのわずかな隙をつき、突如シエルの顔に
「……あと二週間、次の満月で魔物を倒したら、
「そうであるな。すでにアーディンから話を聞いていると思うが、もしもの事態に備えて最低限の守備兵を残し、その足で
「そっか……そうだよね」
俯き加減のシエルは呟くように、言葉を落とす。
賓客をもてなす個室なので、防音にも抜かりはない。
そして関羽も沈黙に耐えられないような、浮ついた男ではない。
しばし無音が刻を進めた。
シエルが、とうとう口を開く。
この空気を作り出した、己の責任を果たす為に。
秀麗の顔に相当の覚悟を宿して、だ。
「私も、
関羽は無言のままであった。
あたかもその言葉を予期していたかのように、眉ひとつも動かさない。
当然だが、予期などしてはいなかった。関羽にとっても青天の霹靂。
考えてもいないことだったのである。
では何故に、そこまで冷静でいられるのだろうか。
それはシエルの真意が、その決意が、心に
シエルの願いはただ唯一。
魔物に脅かされるこの世界から、平和を取り戻したいという
相当な覚悟であることは、シエルの燃ゆる翡翠の瞳が代弁していた。
最悪、フェルスタジナ軍が敗れれば、共に命を失う危険は高い。
いや、殺されるのならまだ良いほうだ。
相手は本能のままに襲いかかる魔物である。
凌辱という、死よりも辛い憂き目に遭う可能性もある。
それが分からぬほど、シエルは愚鈍ではない。
だから関羽は言葉を発することなく、無言を貫いた。
説得など、無粋もいいところだ。
本気の覚悟に水を差すような真似を、関羽がしようはずがない。
ただただ、シエルの真っ直ぐな瞳を、真正面から受け止めている。
胸襟を開いたシエルを優しく、そして包み込むように。
無言は今も尚、続いている。
こうなると、シエルのほうが心配になってくる。
果たして自分の意見は聞き入れてもらえたのだろうか?
領主の気まぐれな発言だと、思われてはいないだろうか?
不安な気持ちというものは、言葉に出して確認したいという衝動にかられてしまう、実に厄介なものだ。
「……ねえカンウさん。私は本気だよ。決して思いつきで言った訳じゃないし、軽い気持ちでもない。本当に私は……」
「分かっている」
関羽が発したのは、ただその一言。
だけど、その言葉はシエルを救ってくれたのだ。
言葉は多ければ良いというものではない。
短いが重い、重い関羽の返答であった。
シエルの目に、涙が浮かんだ。
その涙を拭うように、関羽の顔に微笑が浮かぶ。
「だが一つだけ、問題があってな」
「えっ!?」
一体どんな問題があると言うのか。
シエルの顔に、動揺が走る。
「……ならばアーディンのことであろう。
「———う、うん。うん! そうね! アーディンは絶対絶対反対するけど、カンウさん、私と一緒に説得に協力してね!」
「ふはっ! 心得た!」
アーディンの怒髪天を突く姿を想像してしまい、関羽は思わず吹き出した。
そして同時にこうも思う。
———昔といい、今といい、俺は主君に恵まれているな。
関羽の胸は今、
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