二十二幕 呂蒙という武人

 関羽のときとは違う点が一つある。

 それは呂蒙の発見に、多くの兵が居合わせたことだ。


 魔物襲来の折には城外の民間人は城内へと漏れなく避難する。武装した兵を除き、人が城外にいることなど、あり得ない。


 ———ではの者は、一体何者なのか?


 瞬く間に噂が広がると、人々は好き勝手に憶測を口にする。

 やれ神の使いだ、いや近領の間者だ、いや待て、魔物の仲間かもしれないだのと、根拠のない作り話までもが囁かれた。

 その噂話の数々は、領主シエルの耳にも届く事態へと発展する始末。

 フェルスタジナ城内において、今や呂蒙は時の人であった。

 今日も調練場には呂蒙を一目見ようと多くの人が集まっており、珍しいことに女性も多い。


「……関羽殿。いつもこんなに見物人が多いのですか?」


 呂蒙は切長の目でギャラリーに目配せをする。


「それは呂蒙、お主が目当てであろう?」


 自分を過小評価しすぎだと、関羽は失笑。


 鍔迫つばぜり合いの最中である。獲物は互いに木剣を用いている。

 接近戦では勝機が薄いと判断した呂蒙は、跳躍で後ろに下がり間合いを作り出した。


 その動作が、とめどなく華麗なのだから仕方がない。


 調練場を円で囲んで見下ろすように作られた観覧席からの騒めきに、黄色い声が多量に混ざり合う。


「いやはや、兵の調練の場に女子の歓声など……この城の練兵といい、魔法の存在といい、今までの常識は早く捨てさったほうが良いですね」


 自分には、まるで心当たりがない顔で呂蒙が言う。

 謙虚なのか、それとも鈍いのか。

 どちらにせよ、武勇や知略のかさを計るにはなはだ無縁であることに変わりはない。

 関羽がそれと認めた男なのだ。ひとたび戦場に出れば、一目置かれる武人であることは折り紙付きなのである。

 逆に私生活において多少の欠点は、呂蒙の控えめな人格を際立たせ、むしろ好感すら覚えてしまうのでないだろうか。


 増長せず、努めて謙虚を良しとする。

 それが呂蒙という人であった。


 加えてどこか憎めない雰囲気を醸し出している辺りも、フェルスタジナ城内の異性から人気の後押しになっているなどとは、知らぬは本人だけのこと。


「関羽殿! まだまだこれからです!」

おう! 俺も全力で応えようぞ。まだまだ弟に負ける訳にはいかぬのでな!」


 駆け出す呂蒙に、待ち受ける関羽。

 二人の木剣が、目にも止まらぬ速さで交錯した。




「で、あれが噂のリョモウって人ね」

「はい、シエル様」


 シエルとアーディンは、一般人が立ち入ることを許されてはいない屋根付きの個室に近い観覧席から、二人の立ち会いを見つめていた。


 そう、二人だけである。


 周りには護衛を担当する近衛兵はいない。

 そもそもアーディンが同行している時点で、護衛の心配は皆無である。

 だからお付きの文官たちも遠ざけた。そのほうが気兼ねない。

 領主として日々の業務が山積している多忙なシエルにも、息抜きは必要である。

 それが例え一時でも。


 現にシエルは領主としての仮面を外し、だらしなく頬杖をついていた。

  

「俺もリョモウと立ち会いましたが、なかなかの豪の者です。このフェルスタジナ領に来てまだ三日なので、万全の状態ではないのでしょう。ですがああやってカンウの相手を務めているのですから、たいした男です」


 シエル様への報告はここまでで良い。

 心の中でそう思う。


 アーディンは両者と立ち会った感触から、二人の腕を推し比べていた。

 呂蒙の戦闘スタイルは、自分と酷似している手数で勝負するタイプ。

 例え呂蒙が万全の状態でも、関羽の腕のほうが少し上をいくだろう。

 

 だが、それでもだ。

 膂力や体躯など武の才も、関羽にやや劣るものの、呂蒙の武技は申し分なく達人の域。


 ———本気でり合って、俺と互角ってとこか。まったくカンウの住んでいた世界ってのは、一体どんなところなんだ!?


 アーディンが胸中で舌を巻く。


「……で、リョモウって人が他の世界から来た人間じゃないかと噂が一人歩きしちゃって、こんなに野次馬がいるってコトね」

「ええ。あとはあの女受けするツラですからね。ま、数日も経てば落ち着きますよ。心配されますな」

「ふーん。顔、ねぇ。……僕はカンウさんのほうがカッコイイと思うけどなぁ……」


 気を抜いた状態で、思わず漏れた自分の言葉に口元を抑えるシエルだが、時すでに遅し、である。


「シエル様今なんて!? まさかカンウに……まさか、そんなまさかぁぁああ!」

「ちょっ! あ、アーディン! 声が大きい! 冗談だよ冗談! 本気にしないでぇぇええ!」


 幼き頃からシエルを知るアーディンは、一回り以上歳が離れているシエルに対し、妹ならぬ子供に近い感情を持っていた。

 シエルのことになると鬼の隊長と呼ばれるアーディンも、よもや型なしとなってしまう。

 涙目になりながらシエルへと迫る今のアーディンなど、他の兵に見せられるものではない。

 ここが特別な観覧席で周りに人がいないことが、これ幸いした。


 ††††††††


 布で汗を拭いながら、関羽と呂蒙は調練場の休憩所へと足を向けた。

 

「お二人ともお疲れ様です! はい、冷水をどうぞ!」

「おお、これはクルス。すまぬな」


 鉄製の水筒を受け取ると、クルスはニコリといつも以上に表情を柔らかくする。


 ———む。


 その表情に違和感を感じたが、あえて口を挟むような無粋な真似を、関羽はしない。

 クルスのことである。何か考えがあってのことに違いない。

 

「ところでリョモウさん。カンウ様からちらりとお聞きしたのですが、リョモウさんは軍略にも長けたショウグンだったと、聞いております」


 呂蒙の美麗な顔に、小さな動揺が現れた。


「く、クルス殿。それは関羽殿が事を大きく吹聴しているだけ……私にそんな誇れる才などありませぬ」

「クルスよ。呂蒙は軍略においてはこの関羽とて足元にも及ばぬ。……そして呂蒙よ。謙遜することなどないぞ。この世界では遠慮など一切無用。ましてこの関羽、そんな弱気な弟など持った覚えはない」

「関羽殿……」


 呂蒙はクルスに向き直る。その瞳には聡明な力が宿っていた。


「武においては関羽殿に劣りますが、智においては誰にも負けないと、そう自負しております」

「……その言葉を待っていました! リョモウさん、僕と一つ勝負をしましょう。———誰か、駒と盤面を持ってきてください!」


 ———なるほど。先ほどの作り笑いは、そのような理由であったか。


 込み上げる嬉しさを抑えきれず、嬉々として指示を出すクルスを見て、関羽の顔にも笑みが浮かんだ。

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