二十一幕 強力な仲間

 アーディンはもちろんのこと、部隊長など何十人かの管理的業務に携わる人間を除いた、言い方を躊躇しなければ『一兵卒』と呼ばれるフェルスタジナ城の守護兵は、週に三日は城門の警護や城下町の警邏けいらなどの任に就き、休暇を除いた残りの三日は調練場で己を高める訓練に精を出す。

 常に100人近い兵たちが、汗を撒き散らしながら剣を振り、または木剣も用いた立ち合い稽古もざらに行う。

 アーディンを頂点に抱くフェルスタジナ城兵は、アルガート帝国内でも類を見ない士気の高さである。故に稽古にも自然と熱が入り、怪我人も後を絶たない。

 いくら再生魔法で傷口を修復できるとはいえ、即座に傷付いた筋繊維の一本一本までが完全に回復する訳ではない。

 で、あるから調練場にはやや広めの治療室が五つ、設けられている。怪我人が横になり体を休めるベッドは計75床。


 魔物との交戦で負傷した兵士とは隔たれて、一人の男に治療室の一室が充てがわれていた。

 

 ベッドに横たわるその男を取り囲むように、その治療室は兵士の群れで溢れかえっていた。魔物との戦闘が終わったばかりで、まだ武装解除をしていない者が多くいるおかげで、衣擦れ音ならぬ鎧擦れ音がカチャカチャと、好き勝手に憶測を話し合う雑談と相まって、騒がしいことこの上ない。


「うるせーぞお前ら! 鎧を脱ぐか帰るか、どちらかにしやがれ!」


 そう叫ぶアーディンの声のほうがよっぽど五月蝿いが、そんな反論を口にできるものなど誰もいない。


 いや、たった一人を除いては。


「ちょっとアーディン様! 怪我人の前で大きな声出さないでください! ……皆さんも気になるでしょうが体を少しでも休めないと、今日の任務に支障が出ます。あとで僕がちゃんと報告をしますから、どうかお引き取りください」


 クルスの丁寧な物言いに、兵たちは周りで顔を見合わすと一人、また一人と治療室から退室していく。

 夜間の戦闘の後なのだ。しかも大半を占める歩兵たちは、軍としての規模で魔物と交戦するのは初めての経験。初陣なのである。好奇心よりも心身の疲労が勝ち、帰路につく者が実際のところであった。


 つい先程まで賑やかしかった治療室が、一転して静けさを取り戻す。残されたのはアーディンとクルスと関羽、そして今だ意識を取り戻さない男だけ。


「……うっ……うぅ……」


 ベッドに横たわる男から、掠れた声が漏らされる。

 次に閉ざされた目が、ゆっくりと開かれた。周囲を彷徨う微睡んだ瞳は、関羽を視界に捉えると驚愕に揺れた。


「……っ!! そ、そんな! ま、まさか! もしかして……! か、関羽将軍であられるか!?」

「……よい、まだ体を起こすでない」


 跳ね起きた男は、言われてベッドに体を戻す。

 が、切れ長で明哲めいてつな眼を最大限まで見開いて、視線を関羽から外せないでいる。


 この男の名は、呂蒙子明りょもうしめい


 呉の中核を担う将軍でもあり、そして関羽の命を奪った男でもある。


「私は幻でも見ているのでしょうか。……若かりし関羽将軍は……いやはや、なんとも逞しいお姿であられますな。よもや今一度お会いできるなんて……やはりここは黄泉の国なのですね」

「呂蒙よ、お主も命を落としたのだろうか」

「……ええ、おそらくは。麦城での戦いの後、病がちになり床に臥す日が増えてしまいました。自分の命の炎の大きさは、自身が一番分かることです。もはや立ち上がることもできなくなり、ああ、このまま死ぬんだなと思って、意識が消えた後、目を覚ましたらここにいるという次第です」


 呂蒙は仰向けのまま、淡々と語った。その視線は天井を通り抜け、遙か遠くを見ている様でもある。


「ここは黄泉の国でも天国でも地獄でもない。アルガート帝国という国のフェルスタジナという領地なのだ」

「あ、アルガート……広く書物を読みましたが、そのような国、聞いたことがありません……」

「ここは呉でもなければ蜀でも魏でもない。無論、鮮卑や羌でもない。歴史も文化も何もかもがまったく異なる世界なのだ」

「まさか輪廻転生りんねてんしょうだとでも……!」


 さすが呂蒙である。

 武将として名を上げたのち、努力の末に学問を身につけた男なのだ。

 一を言えば五は理解する。頭のキレは健在であった。

 驚きが連続する呂蒙に対し、関羽は諭すような口調で語りかけた。

 その声色に、関羽の持てるだけの優しさを含ませて。


「呂蒙よ、我らは一度死を迎えたが、もう一度生を与えられたのだ。もちろん俺にも理由など皆目見当もつかない。ただ、まだ役割があるのではないかと考える。俺……いや、俺たちにしかできない役割をな」

「役割……ですか……」

「お二人は生前顔見知りだとカンウ様からお聞きしました。……お仲間だったのですか?」


 クルスの一言で、場の空気が凍りつく。

 現に呂蒙は、室温が何℃か下がったような感覚に襲われた。

 関羽の命を奪ったのは、紛れもなく呂蒙の手によるものだ。

 クルスやアーディンはもちろん二人の複雑な事情など知らないし、関羽も当然ながら、そこまでのことを二人には伝えていない。


 そして呂蒙も、今更言い訳などするような矮小な男ではない。

 真実を言い出せないのは、ただ一つの杞憂であった。


 ———本当のことを言ってしまって、関羽将軍に迷惑がかかるのではないだろうか?


 自分の心配より、他人をまず心配してしまうあたりに呂蒙の人の良さが垣間見える。

 だが、いつまでも無言でいるわけにもいかない。

 関羽と共にいる二人の男。それはすなわち関羽が認めた男だという証左。

 その男から問われたのだ。

 

 包み隠さず明瞭に返答しなければ。

 呂蒙は覚悟を固め、口を開いた。


「実は拙者が関羽将軍を……」

「もう、良いではないか。過去のことなどこの世界では無用なのだ、呂蒙よ」


 作り笑いなどではない。

 関羽の笑みは、心底湧き出た感情を形にしたものだった。

 恨みなど微塵にもない。ましてや復讐心など。

 互いに力を出し尽くした。その結果、勝者が呂蒙で敗者が関羽であっただけのこと。今は敵味方に隔てる立場も責務もなく、こうして向かいあっている。


 なら、それで良いではないか。


 関羽の眇められた目が、雄弁にそう語っていた。

 40代で早逝した呂蒙は、若返ってもそう見た目は変わらない。その変わらない目元で、関羽を真っ直ぐに見つめ直した。


「……関羽将軍。拙者と最後に交わした言葉を覚えていますか?」

「忘れようはずがない。……あの言葉は、最期に俺の心を震わせた」

「では拙者と……この呂蒙子明と、愚弟ではありますが兄弟の契りを結んでは下さりませぬか?」

 

 一点の曇りもない。

 呂蒙の目は、どこまでも澄み切っていた。


「……ちと人使いが荒い兄になるが、それでも良いか? 呂蒙よ」

「関羽将軍のお力になれるのなら、私は喜んで死地へと向かうでしょう」

「話し中すまねぇな。ちょっと口を挟んでいいか? ショウグンってのが、カンウたちの世界では役職の名前かい? 隊長みたいなもんなのか?」

「うむ。千単位、時にはそれ以上の軍を率いる力を持つ者に与えられる称号である。……そうであろう? 呂蒙

「え、ええ。それは間違いなく……」


 将軍について細かな説明など、何故に?

 首を傾げる呂蒙をよそに、アーディンが実にイイ顔で関羽に向く。


「これもカンウのお陰なのかぃ? それともシエル様のご威光か? どちらにしろ、またまた天に向かって拝みたい心境だぜ」

「まさに。まさによアーディン。俺も同じことを考えていた」


 呂蒙が第二の生をこのアルガート帝国で授かったのは、関羽を慕うあまりの事象なのか。またはなにがしかの神の力が発動した結果であるのか。

 真実など分かり得ない。いや、仮に真相が何であれ事ここに至っては、詮無きことである。


「リョモウと言ったな。俺はアーディン。カンウとは兄弟みたいな付き合いをさせてもらってる。お前がカンウの弟と言うのなら、俺にとっても兄弟みたいなもんだ。……まずはゆっくり体を休めてくれ。話はそれからだ」

「は、はあ……」


 呂蒙の肩に手を乗せたアーディンに、呂蒙は煮え切らない言葉で返す。

 まだ分からないことだらけで、頭の整理も追いついていないのだから、当然の反応と言えよう。


 ただ、呂蒙も呉軍では指折りの武将である。


 関羽を兄弟と呼ぶアーディンは口先だけの男ではない。

 彼の放つ強烈な武の匂い。

 それだけは確かに嗅ぎとれた呂蒙であった。

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