十九幕 致命的な欠陥


 刻の経過は奔流ほんりゅうに似たり。


 関羽がアルガート帝国に転生して、四ヶ月が経とうとしていた。


 月に一度の魔物の襲来は、関羽とって実戦の感覚と魔法の練度を惜しげもなく試す場でもあり、魔法を融合した武技の切れ味とその持続力は、格段に上昇していた。

 アーディンの鼓舞に煽られて、日々練兵を行うフェルスタジナ城兵士らの士気も依然として高い。


 兵の遠征に不可欠な兵糧の蓄積も、近年稀にみる豊作のおかげで滞りなく行われており、城主からの依頼とあって武具を生み出している鍛冶屋が建ち並ぶ城下町の一角も、活気に満ち満ちている。


 すべてが順風満帆に進んでいる。


 後は降魔城こうまじょう攻略に向けて十分な策を練り、出兵するタイミングを残すだけに思えたのだが———


「……クソッタレがぁ! これじゃいつまで経っても降魔城こうまじょうに向けての出兵なんてできやしねぇ!」


 日課の練兵を終え、場所は目抜き通りの大衆酒場。

 既に酔いに負けているアーディンが豪快に、空のジョッキをテーブルに打ち付けた。


 今宵は珍しくその隣には、酒が苦手なクルスの姿が見える。


 クルスは揺れたテーブルの上で倒れそうになった果汁のコップを慌てて掴むと荒れているアーディンを一瞥し、飛び散ったナッツに似たさかなを皿に戻し始めた。


「……アーディン。言葉を返すようで悪いが、貴殿の活躍でフェルスタジナ城の兵は増大し、今や三千まで膨れ上がっている。それでもまだ足りぬと申すのか?」

「へっ……俺の活躍ってより、カンウ。どっちかと言うとお前の人気が大きいがなぁ」

「ちょっとアーディン様! そんな小さなことでカンウ副隊長に絡まないでください! 大人げないですよ!」


 蕩けた目で関羽を睨むアーディンに、クルスが毅然と物申す。


 軽く舌打ちをしたアーディンが、顔を背けたまま「悪りぃ」と謝罪の言葉を小さく漏らすと関羽は笑って受け流した。

 横目でそれを見たアーディンも、もはやつられて笑うしかない。


 怒気は削がれたアーディンであったが、今度は神妙な面持ちへと変貌した。

 

「……実は昨日な、領内を視察に回っていたシエル様から話を伺った。フェルスタジナ領内に点在する小城や砦の兵をかき集めれば、あと二千、出兵に加えられるとな」

「な、なんと。あと二千もか。それなら尚のこと心配することなどないではないか」

「ああ、兵数なら俺も十分だと思うぜ。領地が狭いこのフェルスタジナ領で、よくやったと言ってやりたいねぇ。兵たちは皆、士気も高いし練兵も順調だ。……だが残念なことに、それを束ねる猛者がいねぇ」


 なるほど。アーディンの悩みはそこにあったか。

 関羽はようやく合点がいった。


「いくら兵の数が十分でもそれを率いるヤツがいなければ、軍なんてただの人の群れだ。率いるモンがいてこそ初めて勇猛な軍となる。……領内の要所にそれらしい人物がいなかったかシエル様に聞いてみたが、残念ながらこれといった人材は見つけられなかったらしい」


 兵を束ね、味方を鼓舞する指揮官の不足。

 それは戦場において致命的とも言える欠陥である。


 いくら関羽やアーディンが一騎当千の強者でも、実際に千人を相手にできる訳がない。軍を率いるが故、背中を預け個の武が一層に際立つ。個の武が際立つが故に、連なる兵も奮い立つ。


「万に近いアルガート軍を破った魔物の軍団だ。たとえ俺たち五千が一丸となっても到底かなう相手じゃねぇ。しっかり戦術を練った上で、的確に指揮を出し、同時に自分が先陣を切り開く、武力も知力も兼ね備えた指揮官が絶対に必要となる。だが、それが足りてねえ。フェルスタジナ城ウチの部隊長たちに期待をしていたがな……どう見たって奴らはまだまだ小粒だ。大役を任せるには時間も経験も追いついてねぇ。カンウもそう思うだろう?」


 アーディンを慕う部隊長たちは、実際によくやっている。いや、食らいついていると言い直したほうが的確か。

 腕力、膂力はあれど、それを武力と呼ぶには少々心許ない者がほとんどである。まして統率力となると尚更。

 比べる対象がアーディンや関羽なのである。酷と言えばそれまでではあるが、荒削りさや統率力、絶対的な経験値不足は否めない。無論、努力は認めるが。


 それは関羽にも分かっていた。

 分かっていたから関羽は、言葉なく首肯のみ。


 あくまでも、兵の奮励努力はののしらない答えであった。


 アーディンは己が予想した通りの返答に胸がすく。

 彼だって慕う部下たちを、無碍に思っている訳ではない。

 胸の奥底に溜まった鬱憤を、酒の力で吐露しただけなのだ。


 可笑おかしな話だが、自分で部隊長たちを否定しておきながら関羽の態度に救われた気がしたアーディンは、ジョッキの麦酒ビールを一気に飲み干す。


 そして隣に目を向けた。

 

「……おいクルスよ。お前はどう思う?」


 兵二千の増強と聞いてから、顎に手を当てたままクルスは押し黙ったままだった。その脳漿にはいくつもの策が交錯しているのだろう。


 ややあって、アーディンが全幅の信頼を寄せている見た目は小さな戦術指南長が口を開いた。

 

「……五千という数字は決して悪くはないです。もともと寡兵で戦を挑むつもりでしたから、想定以上の戦力は戦術の幅を大いに広げてくれます。ですが相手の数は定かではない以上、相手のほうが二回り上くらいに考えておかなければなりません。なので基本、僕たちの戦い方は奇襲、もしくは策にめて相手を撃破することを前提とします。仮にアーディン様とカンウ様で千ずつ率いてもらうとしましょう。その数がスピードを殺さず相手を撹乱、粉砕するのに最も適した兵力だと思うし、不測の事態にも混乱することなく早急に対応できるからです。二千は後方から支援を行う予備兵や本陣を守る兵に充てるとして、残りは千人。やはりもう一隊、臨機応変に動ける戦力が欲しいのが現状です。この千人を自在に操れる指揮官がいれば……お二人に引けを取らない猛者がいれば……」


 クルスの言わんとすることの意味を、関羽も理解する。


 中央、右、左と機動力を生かした部隊で陣を組み、策を携えそれぞれが縦横無尽に動けるのであれば、挟撃も容易たやすいし、仲間の危機にも柔軟に対応できる。


 やはり二隊では心許ない。使える策も制限されてしまう。


 言い換えれば良策なしでは降魔城こうまじょうに蔓延る魔物の殲滅は絶望的なのだ。無策では、数で劣るであろうフェルスタジナ軍の勝利など程遠い。そして兵の数も質も現状が最高値だ。これ以上は望めない。



 王都襲撃の期日まで、あと残り八ヶ月。

 悪戯に刻を過ごしていくのか。はたまた急造でも将足りえる人材を育てるのか。


 この世界ではまだ日の浅い関羽には、言葉にできる良策など持ち合わせてはいなかった。

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