十七幕 シエルという領主

 城下町のどこからでも仰ぎ見れる、中央に聳える堅固で雅なフェルスタジナ城が眼下に睨みを効かせている。


 だが、その内部の造りはまるで真逆。


 外観の偉容さとはかけ離れ、虚飾や見栄は一切ない。豪華絢爛とはほど遠い、質素な調度品がぽつりぽつりと飾られているだけ。


 廊下には窓が多く取られており、陽の光で柔らかく照らし出す。煌びやかな装飾の輝きよりも、よっぽど良い。


 さらに城内の導線は、複雑に入り組んでいた。一度や二度の登城では到底把握できるものではないほどに。

 もし仮に何某なにがしかの曲者が侵入しても、城主がおわす本丸に辿りつくことは限りなく不可能に近い。実際に何度か城内に足を運んでいるアーディンでさえ、道案内役がいなければたちまちに迷ってしまうであろう。


(質実剛健とはこれまさに。無駄を省いた良い城であるな)


 質実をよしとしながら、有事には最後の砦の役目を果たす機能を充実させた城内に、関羽は歩きながら感心する。


 甲冑を脱ぎ冷水で体を清め簡素な私服に着替えたアーディンと関羽、そしてクルスと数人の部隊長が、案内役の文官に先導されて城内を練り歩いていた。


 目的の場———いよいよ謁見の間の扉に辿り着く。


 扉を守る近衛兵に文官が目配せで合図すると、重い扉が厳かに開かれる。


 謁見の間も、やはり質素な作りであった。壁や柱も無駄な細工や装飾などは施されてなく、ましてや肖像画や彫刻といった部屋を飾り立てる美術品の類もない。


 唯一飾られているものと言えば、玉座くらいなもの。

 そして素朴な衣服を身に纏いそこに座る女性もまた、玉座と同じ輝きを放っていた。


「よくぞ参りました、アーディン。そして彼に引けを取らない勇者たちよ」

「はい、シエル殿下におかれましても、ご健勝で何よりです」

「そちらの兵は見ない顔ですが、お名前は?」


 翡翠の瞳を優しく眇めたシエルの顔が、関羽に向く。

 

「……関羽、と申します」

此度こたびの活躍は私の耳にも届いております。アーディンに比肩するほどの力をお持ちだと」


 シエルは笑顔を挟んで言葉を繋げた。


「他の者も皆、よく戦ってくれました。ささやかではありますが、守備兵にはもれなく恩賞を贈ります。ではアーディンとカンウを残し、他の者は下がってください。文官も皆、すべてです」


 文官たちは怪訝な表情を浮かべながら扉へ向かうも、対するクルス率いる部隊長らは、誇らしげに退室する。人気のなくなった謁見の間を、三人が独占する。


 するや否や。


 城主の仮面を脱ぎ捨てたシエルが玉座から跳ね、関羽に飛びついた。


「久しぶりだね! カンウさん!」

「や、やっぱり! 其方はシエルで相違ないのか!?」

「やだなぁ。もう僕の顔を忘れちゃったのかい? 一晩一緒に過ごした仲だって言うのに……」

「お、おい! ちょっと待て! 一緒に過ごした仲だと!? どーいうことだそれは! ……いやその前にだ!  二人は知り合いだったのか!?」


 アーディンが分かりやすく狼狽する。詰問する。

 然るにだ。二人(主にシエル)はきゃっきゃと戯れあっているではないか。


「そうだよ。僕が森に入って魔物に襲われているところを助けてくれたんだ」

「———なっ!? 魔物にぃぃ!? シエル様! 一人で魔物の生息域に行かない約束をお忘れですか!?」

「もちろん覚えているって。でもどうしても採取したい香草があったんだよ。……あ、これはヤージャには内緒にしといてね」

「……はぁ。そんなこと、言えるわけないじゃないスか。俺がヤージャ殿に殺されてしまいますよ……」

 

 シエルは戯けた口調で「それもそうね」。我が意を得たりと含み笑う。

 そして関羽に視線を向けた。


「やっぱり僕の思った通りだ。カンウさんならアーディンに気に入られるんじゃないかと思っていたけど、こんなに上手くいくとはね。僕の目に狂いはなかったよ」

「ちょ、ちょっと待ってくだされ。話が全然見えてこないのだが、俺にも分かるように説明してくださらんか?」

「シエル様はアルガート陛下の第六皇女。俺は殿下と一緒に中枢のアルガート領からこのフェルスタジナ領へやってきたんだ……って、いい加減に離れてくだされ!」


 どうにか平静を取り戻したアーディンが二人の間に割って入り、引き離しながら問いに答える。

 柳眉りゅうびを上げてふくれるシエル。逆にほっと安堵の顔を見せたのは関羽のほう。


「もともと俺の剣の師が、アルガート城で近衛兵長をしていたヤージャ殿でね。その縁でシエル様を幼い頃から存じ上げてるって訳だ」

「そして二年前の父上の政策で、僕はこのフェルスタジナ領の領主に拝命されてこの城へとやってきた。アーディンとヤージャと一緒にね」


 なるほど、先日アーディンが酒の席で話してくれたこの国の実情。それと見事に一致する。流石に領主がまだあどけない幼女だとは思っていなかった関羽だが、話の筋は一応は通っている。


 だがしかし。

 解せない点もやはりある。


「……一つ分からないのは、何故シエル……もといシエル殿下は、遊牧民の真似事などしておられるのだろうか」

「真似事じゃないよ! どっちかといえば遊牧民あっちの生活のほうが僕らしい生き方だよ。元々アルガート城でも動物や作物を育てて暮らしていたからね」

「皇女なのに、そのような……」

「皇女と言っても第六皇女。……兄妹の中では、そんな扱いなんだ」


 長男が王家を継ぐアルガート帝国の中で第六皇女など継承権がないに等しく、行く末は隣国へと嫁ぎ、政略結婚で国同士を繋ぐ役割しか選択肢が残されていない。

 アルガート陛下は民に対して賢帝であると同時に良父でもあった。


 故に憐れんだアルガート陛下は、シエルに最大限の自由を許した。無論城内だけのことではあるが、王族としての細かい礼儀や作法を教え込むよりも、シエルの好きなことを優先させると、土を耕し動物を慈しむ彼女の土壌を形成した。


 継承権のない皇女におもねる佞臣が少なかったことも、シエルにとっては追い風となった。アーディンやヤージャなどの真に武を極めんとする者は、権謀術数が応酬し合う城内の勢力争いにまるで興味がない。あるのはただただ忠の心。己の武を正しき道へといざなってくれる主君の存在である。


 その結果は言わずもがな。


「ところでカンウよ。おめぇ、シエル様と一晩一緒にいたんだってなぁ。……そりゃ一体どういうことか、ちゃーんと説明してもらおうかぁ? ええ?」

「お、おいアーディン。貴殿ともあろう者が、よもやそのような勘違いをするのか。ちゃんと話せば分かる。……シエル、いやシエル閣下。早く誤解を解いてくだされ!」

「フフフ。さーてね。どうだったかなぁ」


 このように気が置けない仲間に近い腹心が、彼女の元に集ったのだから。

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