十一幕 二人だけの酒宴
アルガート帝国は七つの領地に分類されている。
その中で優劣をつけるなら下から数えた方が早いフェルスタジナ領は、軍事力や生産力は他領に比べて見劣りはするものの、領内の中核となるフェルスタジナ城は、やはりそれ相応に活気に満ちていた。
それはもちろん城下町も同様で、陽も隠れ始めた夕刻になっても、目抜き通りの人の往来は減ることなく———むしろ一日の労働を終え、明日への英気を養うために店舗のテラス席で杯を打ち付ける音が、あちらこちらから聞こえている。
そんな中、関羽はというと———
「お帰りなさいませ。旦那様」
「う、うむ。かたじけない」
門を開け、一糸乱れることのない執事とメイドの整列に、やや面を食らっていた。
「おいおいカンウさん、もっと気楽に寛いでくれ。今日からここがアンタの屋敷なんだからな」
アーディンの言葉を聞きながらも、関羽は引け目を感じてしまう。
関羽は生前、荊州の主だった。若い時分は各地を転々としながらその日暮らしの日々も経験もしてきたが、富貴な生活にも当然のこと慣れている。
だがそれは、苦労の末に漢朝復興を志す同士と共に積み重ねた結果であり、軍という母体が大きくなり裾野が広がれば、劉備と共に少数で立ち立ち上がった古株の関羽は、敵に畏怖されるほど多大なる戦果を鑑みれば、自ずと地位は上がり生活様相も他の兵たちとは一線を画すものへとなってしまう。
贅を貪り、不自由のない生活を、関羽は仕方ないことだと思っていた。
軍には厳しい規律があり、それ守れない軍など簡単に内から崩壊する。他国を攻め自領を拡大することは、いくら大義名分があるとは言え、民草からすればただの侵略戦争だ。たまったものではない。とかく末端の兵卒には、それが浸透し切らない。「崇高な理想などクソ喰らえ」なのだ。
もちろん属する軍の真意を汲み取り、理性を御して立派に振る舞う者も中にはいる。が、全てはそうとは限らないのが事実であることも否めない。自分の欲を優先に、略奪や無益な暴力、または殺生をする者も後をたたない。それが膨れ上がった軍というものである。故に厳しい規律で軍の暴走に歯止めをかけるためにも、担がれた神輿はなるべく高い方がいい。
軍が大きくなればなるほど、みすぼらしいトップになど誰一人としてついてこない。規律を守り武功を重ねれば、いつか自分もそうなれる。理想や高い志だけでは多くの人を従えられない。夢を与え、そこにリアリティが伴ってこそ、大勢の人間が一つの方向へと向かうのだ。
それを踏まえた関羽だからこそ、荊州の主として自分を飾っていた。
だが、これはどうであろうか。関羽は考える。
自分はまだ、フェルスタジナ城に足を踏み入れてたったの二日。
早々に副隊長という肩書きを拝命し、ややこじんまりとはしているが、民家とは比べものにならないくらいの屋敷と数人の使用人たち。まだ何も成したわけでもないのだから、昨日寝起きした民宿程度が自分にはふさわしく、この対応は過分すぎるのではないのだろうか?
アーディンの後に続き、応接間の扉を開けると、彼はどっかりとソファに腰を下ろす。「酒だけ用意してくれ。後は適当に
「何か不満かねぇ、カンウさん。……っと、これからはカンウって呼んでもいいかい?」
「無論。ならば、この屋敷を俺が住むこと……いや、そもそも俺が副隊長など、やはり突飛すぎやしないだろうか? アーディン殿」
「俺のこともアーディンでいい。……まーな、確かに前例がなく特例中の特例ってとこだけど、カンウの強さを俺自身体感しちまったからな。ま、今日集まった部隊長たちがカンウの強さをせっせと広めてくれてるだろうよ」
手酌で注いだ琥珀色の液体を飲み干して、まずは一杯。もう一つのグラスを関羽に向けて口元を歪める。
受け取った関羽のグラスにアーディンはボトルを傾け、なみなみと満たした。
「さ、
「かたじけない。いただくとしよう」
グラスに口をつけ一口、ゆっくりと液体を噛み解き、喉を湿らせる。
美味い。
初めて味わう酒ではあるが、丁寧に蒸留された上品な香りがアルコールの熱と共に鼻腔をつき抜ける。二口、三口と傾ける手は止まらずに、グラスは即座に空となった。
「———ヒュウ。やるねえ。今日はとことん付き合ってもらうぜ」
悪くない。この男と飲む酒ならば。
関羽もまた、口の端を吊り上げる。しかし泥酔する前に、どうしても聞いておきたいことがあった。
「昨日の模擬戦でアーディンが最後に放ったあの技……。あの様な剣技を見たことがない。あれは如何なるものであろうか」
「ああ、ありゃ簡単な攻撃魔法と剣技を組み合わせた技だ。俺のとっておきだったんだがな、それが見事、カンウに防がれたって訳だ。……実際、少々ヘコんだぜ」
魔法。しかも攻撃魔法。シエルの言っていた民間魔法とは、また違うものなのか。
「アーディン。その魔法について、詳しく教えてはくれぬか」
今度は関羽。アーディンのグラスに酒を注ぎながら問う。
「カンウの世界には魔法は存在しなかったんだな。いいぜ、教えてやるよ。……俺より強い男に注がれた酒を前に、断れねーよな」
アーディンはフッっと一笑。自虐的に浮かべた笑みの影に、まだまだ余裕が見え隠れしているのを関羽は見逃さなかった。
やはりアーディンの武の底は、まだまだあんなものではないのだと。
「まず魔法には民間魔法、攻撃魔法、再生魔法が存在する。民間魔法はちょっとした訓練で、誰でも比較的使えるモンだ。簡単な傷を治したり、犬や羊を操ったり、主に庶民が使う魔法だな。その家系しか使えない民間魔法もあるらしいぜ。まぁ、戦闘にはなかなか使えんがな」
アーディンはまたも一気にグラスの液体を飲み干してみせる。関羽も自然とそれに倣らう。
空になった二つのグラスに、またも関羽が琥珀色の液体を注いでいく。
「攻撃魔法はその名の通りだ。攻撃に属する魔法を指す。その中でも最も自分がイメージしやすいものが、具現化されることが多いな。俺を例にあげるなら、俺は炎の攻撃魔法が得意だ」
「なるほど……それがあの武技の正体であるか」
「おっと。早まってもらっちゃ困るぜカンウ。大概の魔法は火を飛ばしたり、風で切り裂いたりして攻撃するもんだ。アレは俺のオリジナルなんだ。炎が俺の体を覆ってただろ? あれはな、同時に再生魔法で体を守っていたんだ。再生魔法は使い手によっちゃ、体力の回復はおろか重症の体も復元できる。再生魔法で体を保護し、発生した攻撃魔法を剣一点に集中させて、剣技で更に倍化させる。本来は炎を宿した剣で、多勢と戦う技なんだがな。あの模擬戦ではそれを全てカンウ、お前に向けた。そしてお前はそれを防ぎきった」
グラスの液体はなくなっている。当然関羽のグラスもである。
「その魔法、俺にも使えるだろうか?」
今度はアーディンが酒を注ぐ。
その瞼は重そうで、少しばかり落ち始めていた。頬も血色が良くなっている。
「……ああ、多分な。魔法は意外と誰でも使えるが、それなりの使い手になるにはイメージとセンスが必要だ。俺はあの模擬戦でカンウの体が光るのを見た。あれは気合と共に咄嗟に出た魔法の欠片だな」
「本当か!? 俺は自分では気づかなかったが……。アーディン。明日から俺に魔法の使い方を教授してはくれまいか」
自分の知り得ない技がある。それだけで関羽は嬉しくなる。強さを求めより高みに。それこそが関羽の真理だからだ。
「ハハ! 俺はやっぱりお前を思いのほか気に入ってるようだ。裏表がまるでない。お前の剣技と一緒だ。正々堂々、公明正大ときたもんだ。嫌いじゃないぜ、お前みたいな男は。……いいぜ。明日からみっちり教えてやるよ。ハハハハ!」
尚も高笑いを続けるアーディンだが、ボトルを掴み怪訝な顔になる。「おーい! 酒が無くなった! 面倒だから四、五本まとめて持ってきてくれ!」と、扉の向こうに構えているであろう使用人に届けと吠える。
今夜は深酒になりそうだなと、関羽の顔が綻んだ。
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