第16話

「お店間に合って良かったね。…家に帰ったら、また付けてみる」


帰りの電車の中。蒼が喜んでいる隣で僕は今日の出来事と、あの日に加奈から振られた際に告げてきた言葉が頭から離れずにいた。


もう終わったことなのに、何故また胸が痛み出してくるのか、抑えようにしても気が立っている状態だった。その思わしくない表情に彼も気づいて、大丈夫かと問うてきた。

これくらいのことで逃げているようじゃ、いつまで経っても彼女と縁を切る事ができない気がしていた。


「あらかじめ、あいつがあの店にいる事を言っておけばよかったな」

「もういいよ。逆に二子玉まで来て良いものがあったんだし。次デートする時つけてこようよ。」


蒼は前向きだ。改めて彼の寛容な心持ちにうらやましく感じていた。そうしているうちに終点の渋谷駅に到着した。

お互いに手を振り合いその場で別れた。


自宅に着いて、スマートフォンを開くと削除したはずの加奈の番号から履歴がきていた。

折り返し電話をかけると、向こうが会って話がしたいと言ってきたが、終わった仲だからやめてくれと返答すると、電話口で聞きたいことがあると言ってきた。


「お店に来た人、新しい彼女?」

「そうだ」

「男でしょ?そういう趣味だっけ?」

「趣味って言い方はやめろ。あの人はジェンダーの人間だ」

「そう。まぁ私が差し出がましくいう立場じゃないけど、良い人見つかって良かったじゃん」

「お前、随分優しいな」

「別に。私も新しい彼氏できた。だから、もう会う事もないと思って今日かけたの」

「俺も。彼に会ってから色々吹っ切れた」

「もうヤったの?男同士どうやるんだか、想像するにしても吐きそうだし、醜いし。」

下衆げすな事言うな。俺らの文句や陰口を言うならいくらでもしても構わない。だけど、他の同性カップルの人達が苦しみながら生きている事だけは覚えておいてほしい。そういう人の前では絶対悪く言うな」


それからお互いに別れの言葉を伝え合い、電話を切った。


これで良い。別れて正解だった。

最後の最後まで棘のある言動をしてきたが、あまり彼女の事を悪くは思いたくはない。


世の中にはまだジェンダーレスについてさげすむ人も多い。どうあるかではなく、どうわかり合う立場を考えていけばいいか一緒になって向き合うべきなんだ。


僕は蒼や芽依のように背中を押してくれる人がいないと生きていけない境遇にある。


いつか家族になりたい。


僕も自分に負けていられない。周りに人がいてくれるからここまで来れたんだ。目の前の高くそびえる壁は厚い。必ず越えてみせる。


…腹が鳴った。まだ夕飯を食べていなかった。

せっかく決意表明をして奮い立たせたのに、こういうところは正直なんだな。出前でもとるか。


就寝前に蒼にメールをした。翌週は諸用があるから、そのまた次の週に会おうと言ってきた。久しぶりに芽依にも会いたいから連れてきて欲しいと伝えると、快く承諾してくれた。


2週間後、3人で食事をした後、彼からこれから家にきて欲しいと言ってきたので一緒に向かった。夕方、到着してリビングへ行くと彼らの母親が台所で夕飯の用意をしていた。


「明日お休みでしょう?今晩泊まっていってください」


蒼と芽依も頷いてきたのでとりあえず泊まる事にした。しばらくすると父親も帰宅してリビングのソファで座り、支度の合間に会話をしていた。夕飯が終わり2階の蒼の部屋に入って、彼が布団を床に敷いてくれた。


陽太ひなた、ここに座って」

「…どうした?」


ベッドに座ると彼は僕の手を取り、目をつぶっていた。誰か来そうだと告げると大丈夫だから気にするなと言ってきたので、彼の唇にキスを交わした。


そのままベッドに押し倒して、もう一度唇に触れようとした時だった。

ドアの開く音に咄嗟に反応すると芽依が僕らを目を丸くして凝視していた。


「お邪魔しました…」


彼女は勢いよくドアを閉めて大きな足音を立てて1階へ降りて行った。


「また、母さんのところに行ったな…」


蒼は項垂れて両手で顔を覆うと、僕は2人の素振りに思わず失笑してしまった。

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